田坂昻『数の文化史を歩く』

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田坂昻『数の文化史を歩く―日本から古代オリエント世界への旅』(風濤社 1993年)


 数についての本の続き。久しぶりにわくわくする読書の楽しみがありました。何に惹きつけられたか考えてみると、古代の宇宙観・世界観を日本、中国、狭義のオリエント、西洋にわたって展望し、その影響関係を考えているからで、私のよく知らないことがたくさんあったことと、私がもともと大風呂敷を広げたようなパースペクティヴの読み物が好きなせいに違いありません。

 著者は、編集者的な視点でこんな本があればよいと話していたら自分が書く羽目になったと、「あとがき」で告白していますが、たくさんの筆者の書物を駆使して、それを編集した感じの書き方になっています。福永光司松本清張大野晋、杉山二郎、辻直四郎らの本が引用されていましたが、小島櫻礼編『蛇の宇宙史』や川崎真治『謎の神アラハバキ』、『古代日本の未解読文字』など、知らないような本もありました。

 読んでいてとくに驚いたのは、日本の古来独自のものと思っていた記紀神道に、中国の道教の影響があるという指摘で、いくつか例が挙げられていました。
①『古事記』に登場する神々の数は、三神(アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カムムスヒ)から始まり、二神(ウマシアシカビヒコヂ、アメノトコタチ)を加え別天(ことあま)つ神として五柱の神とし、次に独り神二神と対偶神五組の神世七代と展開していくが、これは道教教典の『九天生神章経』に説かれている神の誕生が三→五→七と展開する記述と符合する。

②『古事記』の太安万侶の「序」の言葉、「天武天皇、乾符を握りて六合を総べ、天統を得て八荒を包みたまう」の「八荒」は「八紘」と同義で、宇宙もしくは世界の全体を八角形として把握することを意味し、同じく全宇宙を意味する「六合」の語とともに、道教の神学に見える言葉で、道教の教典『淮南鴻烈』原道篇などに書かれている。

③『日本書紀』巻第一の冒頭の文章、「古(いにしへ)に天地(あめつち)未だ剖(わか)れず、陰陽(めを)分れざりしとき」は、道家思想の色濃い『淮南子』「俶真訓」の中の「天地未だ剖れず、陰陽未だ判れず」と同文。また日本書紀の編者は易学についても造詣の深い人であったことがうかがわれる。

④江南(呉)の道教では、呉越の巫術を行う際、朱色の袴をはいた巫女が鈴を手に握り神事を掌るとされるが、伊勢神宮を筆頭とする日本の神社・神宮には、その道教の影響が見られる。奈良の大神神社の巫女の持っている鈴が、上中下の三段で、下から七→五→三の構成になっているのも道教らしい。

⑤「天皇」という言葉すらも、それまで「きみ」とか「おほきみ」と呼ばれていた日本の元首を、道教の神学用語である「天皇」という言葉に呼び改めたもので、明らかに宮廷でも道教思想信仰との関連性を持ち始めたことを示唆している。天武天皇は、とくに道教と深い関係をもっていたようで、その諡(おくりな)として用いられた「瀛(おきの)真人(まひと)」という称号は道教に由来している。

 また日本の万葉時代の意外な一面も知りました。
万葉集が編纂されたころ、「樗蒲(ちょぼ)」または「かりうち」と呼ばれる博打が盛んに行われていた。これは、白黒二面の扁平な四枚の木片(かり)を投げて、白・黒の組合せで勝負を決めるものらしい。当時はすでに双六も、立方体のサイコロもあり、サイコロの歌が万葉集に収められている。「一二の目のみにはあらず五六三(ごろくさむ)/四さへありけり双六の采」(3827番)。

 私が無知なだけで、以上のことは事実だと思いますが、次からは想像の域を出ない説(と思う)。
⑦注連縄の語源に関して川崎真治の説を紹介している。注連縄は古事記では尻久米縄(しりくめなわ)として出てくるが、「しり」はシュメール語の蛇(シル)、「くめ」は蛇(グビ)だとし、「しりくめ」はこの二語を重ね合わせたもので、注連縄の二匹の蛇が巻きついた形状とも一致する。また虫は、シュメール語のムシュ(虫)がそのまま日本語になったという。

⑧これも川崎真治説。中国の伝承のなかに伏羲氏、女媧氏、神農氏という三皇が出てくるが、古代シュメールと関連があるという。女媧氏は蛇身人首で、別に女希(キ)と呼ばれ、ウルクの蛇女神キを信奉する氏族、神農氏は人身牛首で、ウルクの牡牛神ハルを信奉する氏族だとする。また天理の石上神宮におさめられている「七支刀」の銘文を解読して、これは古代の加臨多(カリンタ)文字で、「霊験あらたかな(七枝樹に)向い合う牡牛神ハルと蛇女神キ」と書いてあるという。

ピタゴラスが創造の根にある四要素として火・水・空気・土を考えていたことが、仏教における四天(地・水・火・風)と符合すること、またピタゴラスが輪廻転生を唱えていたことなど、さらに、ピタゴラスが「三は神を、四は四方世界を表わし、合わせて宇宙全体が七という数に収まっている」としたことが、シュメールの「七枝樹二神」(牡牛神ハル側に三枝、蛇女神キ側に四枝を描いた生命の樹)と繋がっているとする。またシュメール神話の「イナンナの冥界下り」(七つの大門を通って冥界に至り蘇る)が、須弥山世界の中心に入るためには七つの山脈を越えなければならないとするインド仏教の考え方と関連し、全体として、シュメールの神話・思想が、ピタゴラスの数観念や仏教の須弥山世界に影響を与えたとしている。