:鹿島茂『人獣戯画の美術史』


鹿島茂『人獣戯画の美術史』(ポーラ文化研究所 2001年)


 愛書シリーズという訳でもありませんが、一種の挿絵についての本なので、傍系として読んでみました。著者にはほかに愛書そのものをテーマにした本も数冊ありますが、ずっと昔に読んだ本なので今回はパス。

 この本は、大ざっぱに言うと、動物の姿が人間のように描かれている、あるいは人間が動物のように描かれている挿絵について語った本です。動物の観察を通じて人間のなかに潜む動物の性質を見つけ人間社会を考察したトゥスネル『動物の精神』、動物を主人公とした物語を通じて人間社会を諷刺したラ・フォンテーヌ『寓話』、それと人間の容貌のなかに動物を見つける動物観相学を取り上げ、最後に、挿絵画家グランヴィルの、動物の出てこない絵もあるが変った動物たちを多く描いている『もうひとつの世界』を取り上げています。。

 この本の味わいは、挿絵の面白さもさることながら、鹿島茂のとぼけた味わいのコメントが出色。まっとうで核心を突いたコメントながら、どこかからかうようなユーモアが感じられます。例えば、トゥスネルの論理の奇矯さを表現する言葉遣い。先生と呼びながらもだんだんとぼろくそな口調になって行きます。

「トゥスネルは・・・『動物の精神』という、師のフーリエの著作に劣らぬ天下の奇書を書き上げた」(p10)、「なんとも夜郎自大の、偏見丸だしの人種主義というほかないが、この人種的偏見がメス猫と野生のオス猫との交配の観察から導き出されたと主張するところに、トゥスネルの情念動物学の恐るべき点がある」(p46)、「鼠と難民・移民を同一視するこのトゥスネル先生の言葉がまったくの世迷い言として片付けられればいいのだが」(p86)、「トゥスネル・・・先生は、なにしろ超のつくほどの狂気の動物学者であるからして、その情念動物学による狼評価の根拠というのが、例によって一通りのものではない」(p98)、「いかにもトゥスネルの『情念動物学』らしいトンデモナイところである」(p102)、「例によって唐突なアナロジー・・・このあたり、いかにも妄想家らしい思考パターンである」(p120)、「思考の回路はかなり怪しいが結論は悪くない」(p122)といった具合。

 しばしば筆が勢いのあまり、トゥスネルや挿絵からはずれて、現代の日本や世界の政治状況への揶揄に及んでいるのも面白いところ。

 この本は、またトゥスネルの情念動物学やグランヴィルの挿絵を語りながら、それらに多大な影響を与えたというフーリエの情念論について紹介がなされていて、貴重です。


 グランヴィルの『もうひとつの世界』は、若い頃買った『Bizarreries and Fantasies of Grandville』(Dover、1974年)のなかに「動物たちの私生活・公生活情景」とともに抄録されているのを見て、そのあまりの想像力の奇怪さに驚いた記憶があります。

 イラストによって描かれた幻想旅行記として、グランヴィル『もうひとつの世界』と並んで紹介されていたジョアノーの『いずこなりともお望みの国への旅』が面白そうだったので、勢い余ってネットで海外古本屋へ発注してしまいました。船便なのでしばらく先だと思いますが、到着次第また報告します。