:関川左木夫の二冊


関川左木夫『本の美しさを求めて』(昭和出版 1979年)
関川左木夫『ビアズレイの芸術と系譜』(東出版 1976年)

                                   
 愛書シリーズの続き。今回は日夏耿之介、山宮允、平井功、石川道雄らと交流のあった関川左木夫。直接書物への愛を語っている『本の美しさを求めて』と、ビアズレイの日本移入を語りながら、大正、昭和初期の書物の挿絵史ともなっている『ビアズレイの芸術と系譜』の二冊です。こうした本を読んでいる時がいちばんゆったりとくつろげる感じです。


 『本の美しさを求めて』は、書物に対する愛とともに、先師の思い出が綴られています。著者が出会った書物として、モシャー本、ビアズレイ装本、ケルムスコット刊本、ハイハウス書局、「媽祖」と日孝山房刊本、大雅洞刊本などが紹介されていましたが、この本自体もタイトルに相応しく美しい装幀です。

 著者が影響を受けた愛書家も続々と登場し、その書斎が「色彩を沈潜させた茶室か僧院の書庫のように渋く閑寂の空気を漂わせていた」日夏耿之介や、三階建の広壮な邸宅の天井までの書棚に英国稀覯書、和書、私刊本がずらりと並んでいたが戦火で一冊残らず焼尽してしまった山宮允、日夏門下の鬼才で著者が書物の知識を学んだという平井功谷中安規を留守番に本郷森川町の奢灞都館に住んでいて数百冊の和洋の書籍を酒代にしてしまったという大酒飲み石川道雄のことなどが語られています。明治、大正、昭和の詩書蒐集者衣笠静夫、英国浪漫主義やゴシック・ロマンス文献蒐集者太田七郎、大雅洞という限定本出版社の佐藤俊雄など、初めて知った名前もあります。

 著者の姿勢におおいに共感したのは、紙、インク、印刷、装幀、材質など書籍の細部の美しさに心奪われながらも、根底では書物の内容を重視しており、内容に相応しいかたちで、材料が精選され造本が繊細に行なわれているかに注目している点です。しかもいたずらに豪華本を作るのではなく、一般読者が無理なく買えるような価格設定を求めています。「厳格な典籍美からいえば、装本だけの華美は、逆にそれだけ煩瑣で醜悪な形態を露呈するものといわなければならない」(p30)という厳しい言葉が印象に残りました。

 さらに、「あとがき」の「どんなに美しい本が制作され、出版され、また美しい本を要望する読者が地方に多数存在しても、この両者を結ぶ書物の流通機構、すなわち取次と販売の機構に、今日のごとき欠陥がある限り、書物が地方書店に配給されても、大部分は直ちに返送され、ことに中小出版社の本は、小売店の書棚に並べられることすらなく返品され・・・」(p210)という呪詛のすさまじさ、私も同感ですが。

 読んでいるうちに、三木露風『廃園』、平田禿木神曲余韻』、矢野峰人譯詩集『黒き獵人』、佐藤春夫車塵集』、木下杢太郎『緑金暮春調』、関野準一郎『版画を築いた人々』など欲しくなってしまいました。


 『ビアズレイの芸術と系譜』は、図版が多数あるのが魅力的。ビアズレイに言及している明治大正期の作家、評論家、学者を調べ上げて、どんな言及の仕方をしているかやどんな影響があったかを丹念に追いかけていますが、おのずと怪奇幻想派文人を網羅した形になっています。後半では、ビアズレイの影響を受けた日本の画家、版画家ということで、沢山の挿絵画家が登場しますが、これもほとんど大正から昭和初期にかけての挿絵史のような体裁になっています。

 矢部季、今純三(今和次郎の弟)、小村雪岱山名文夫、山六郎など、資生堂意匠部に当時の挿絵画家の面々が揃っていたのは凄い。矢部季の『香炎華』という詩集では、本文用紙に香水が泌ませてあったというのにも驚きました。

 読後興味を新たにした画家は、改蒅(「紅楼夢図詠」)、小川芋銭と小杉放庵(妖怪鬼神の漫画)、杉浦非水、太田三郎水島爾保布、田中恭吉、藤森静雄、永瀬義郎、長谷川潔、矢部季、渡辺与平、竹中英太郎初山滋武井武雄谷中安規

 少し残念なのは文章が回りくどかったことと、誤字誤殖がたくさん見受けられたこと。