中平解のフランス語語源解説4冊

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中平解『フランス語語源漫筆』(大学書林 1958年)
中平解『フランス語語源漫筆(2)』(大学書林 1961年)
中平解『フランス語博物誌〈植物篇〉』(八坂書房 1988年)
中平解『フランス語博物誌〈動物篇〉』(八坂書房 1988年)


 中平解の語源随筆の続きです。八坂書房の『博物誌』は、大学書林の『語源漫筆』では混在していた植物と動物をそれぞれの篇に分け、新たに植物では4項目、動物では5項目を付け加えたものです。宗左近青土社の清水康雄が八坂書房社主に『語源漫筆』の再刊を推薦したいきさつがあとがきに詳しく書かれています。このあとがきでは、『語学漫筆』執筆当時にお世話になった人の多くが故人となったことへの追悼と、過去の記述を振り返っての間違いや至らなさを反省する言葉が印象的でした。

 前回の本と同様、とても勉強熱心で、いくつもの種類の辞書を参照しながら探究している様子がうかがえます。著者は、フランスに住んでいないので、実際はどうか分からないとか、見たことがないとか盛んに書いていますが、今の世の中なら、ネットでもっと簡単に知ることがいくつもあるような気がします。またたくさんのフランス小説を読んで、そのなかに出てくる植物や動物などの単語を記録しているようですが、これもテキスト検索でいろんなことが可能になるので、もっと探究が広がったのではないでしょうか。しかし、効率は悪くても自分で丹念に探すということに意味があるので、単純に今の便利になった世の中がいいとは言い切れません。

 『語源漫筆』二冊のほうでは、前回読んだ『言葉』と同様、日本各地の方言を調べて、呼び名が同じ趣旨ながら微妙に変化していることを並べ立てていますが、30年を経た『博物誌』ではそうした記述が消えています。これも今の日本では、TVや教育の普及で、地方差がなくなりつつあり、こうした地方の呼び名が消えつつあったから、あるいはそうした異同を考えることに意味を見出せなくなったからではないでしょうか。

 いくつか内容をご紹介しておきます。まず言葉の法則的なことから。
①時代とともに語形が変化するのに法則がいろいろある。chou(キャベツ)もcou(首)も古くはcolで、sou(スー、貨幣単位)もsolであった(『語源漫筆』p24)。Espagne、Champagneは、古くはEspaigne、Champaigneと綴ったが発音に引っ張られて今日のような綴りになった。逆にMontaigneは綴りに引っ張られて発音の方が変化した(『語源漫筆』p69)。発音されなくなったsが消える現象もある。Moustarde(マスタード)→moutarde、feste(祭)→fête、forest(森)→forêt(『語源漫筆』p99)。また、フランス語の語頭のsが英語で消える現象もある。英語のstomach(胃)は古代フランス語estomacから、spirit(精神)もフランス語espritの古形espiritから、study(勉強する)はフランス語étudierの古形estudierからの借用(『語源漫筆』p111)。

②フランス語で笞をfouetというが、これはfou(ブナ)の指小語(小さい、可愛いのニュアンスを付加する)で、「小さいブナ」→「ブナの小さい棒」→「ブナの笞」→「笞」と意味が変化した。fouは一般の用法から消えて、派生語のfouetだけが現代語として残った。派生語だけが残る同様の例は、mul(雄騾馬)→mulet、viole(スミレ)→violette、raine(蛙)→rainette、corp(カラス)→corbeau、tor(雄牛)→taureau、boul(カンバ属)→bouleauといくらでもある(『語源漫筆(2)』p95,96)。

 次に個々の語源の話で面白かったこと。
③煙突を掃除するという動詞ramonerの語源はramonで、古代フランス語では「枝ぼうき」を意味し、raim(枝)から来た語である。箒は一般にbalaiであるが、これはブルターニュ語でエニシダのことをblainと言い、箒がエニシダで作られたからそう言われるようになった。英語でも箒を意味するbroomは本来エニシダのことで、どちらの国も命名の仕方が同一であることが面白い。ramageもraimから派生した言葉であるが、「木の枝」から、「木の枝の中の鳥の鳴き声」の意味になり、やがて「鳴き声」一般を指すことばとなった(『語源漫筆』p1~p5)。

④石臼を示すフランス語meuleはラテン語molaから来たもので、molaはmolere(粉にする)の派生語である。フランス語のmoulin(水車)もやはりmolereの派生語の俗ラテン語molinumから来たもの。「臼歯」のことを言うフランス語のdent molaireもラテン語のmolaris(臼の)から借りたもの(『語源漫筆』p93)。

⑤フランス語のmille(マイル)は、ローマではmille pas(千歩)に当たる距離の単位であった。pasを単純に一歩の意味にとると、非常に大きい人間でないとこれだけの距離にはならないが、ローマ時代には、はじめの足が地についたところから二度目についたところまでをpas(ラテン語ではpassus)と呼んだ(『語源漫筆(2)』p16)。

⑥moreauはもともと顔色が褐色をした人に与えられたあだ名であった。人名のLebrun、Brunot、Brunetはbrun(褐色の髪の毛を持った)から来たもの。roux(赤毛の人)の指小語がrousseauで、人名Rousseauは「小さい赤毛の男」の意味(『語源漫筆(2)』p67,68)。ほかBoul、Boule、Boulleは古語boul(カンバ属)から、またFay、Dufay、Faye、Lafaye、Delafayeはラテン語fāgĕus(ブナ)の女性形fageaから来ている(『語源漫筆(2)』p96)。

⑦フランス語のpaïen(異教徒)は、ラテン語pāgānusから来たもので、pāgānusはpāgus(村)の派生語で、古典ラテン語では「村の人」の意味であった。「異教徒」の意味でも用いられるようになったのは、都会の人たちが早くキリスト教を信ずるようになったのに対して、田舎の人びとは長い間キリスト教に背を向けていたから(『語源漫筆(2)』p79)。

ラテン語pāgus(村)はもともと「地中に打ち込んだ境界標」を意味した。この境界標から「境界標によって区切られた田舎の土地、地域」を指すようになった。日本語でも、クニ(国)は、関東、東北、中部地方などの方言に残っているクネ(垣)とつながりがあるように思われる。クネで区切られた土地がクニであろう。江戸時代の藩も、原義は「垣、まがき」の意味だった(『語源漫筆(2)』p81)。

⑨フランス語で「いやしい、下劣な」という意味のvilainは低ラテン語villānus(農家の人)から来た語。「粗野な、不作法な、洗練されない」を示すフランス語rustiqueも本来は「いなかの」という意味(『語源漫筆(2)』p79,80)。これらも田舎に対する一種の軽蔑語(péjoratif)であろう。

⑩フランス語crétinは「クレチン病患者」を指すと同時に「ばかな人間」に対しても言うが、スイスのValais地方やフランスのSavoie地方の方言cretinから来たもの。この語は、共通フランス語ではchrétien(キリスト教徒)に当たる。初めは病気の人に対する同情の言葉として用いられていたものが、後にpéjoratifとして使われるようになった(『語源漫筆(2)』p83)。

⑪ジプシーは英語gipsy、gypsyで、中世英語Egypcienの上略形であるGipsen、Giptianから来た。これは、ジプシーが16世紀の初めイギリスに現れたとき、彼らがエジプトから来たものと思ったからである。フランスでは彼らがボヘミヤ(Bohémie)から来たものと思いこんだためbohémienと言うようになった(『語源漫筆(2)』p83)。

⑫フランス語でムカデをcentipède(100の足)と呼んでいる。ムカデの漢名も百足で、まったく同じ表現法である(『語源漫筆(2)』p18)。


 他にも面白い事例がいろいろありましたが、たくさんになるのと、細かくなりすぎるので、これくらいで。

 私がフランス語を勉強し始めた学生のころは、最新流行の文学や思想について語ることが多く、語学や語源研究というのは地味であまり興味が湧かず、むしろ軽蔑さえするぐらいでしたが、この歳になってみると、逆に流行の文学は薄っぺらな気がして、とくに語源研究は歴史の重みの中に人間の本性が見え隠れして、なかなか味わい深いものがあると感じています。今頃気がついても遅いか。