Jean Lorrain『VILLA MAURESQUE』(ジャン・ロラン『ムーア風別荘』)

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Jean Lorrain『VILLA MAURESQUE』(LIVRE MODERNE 1942年)

 

 向うの古本屋でよく見かけた「LE LIVRE MODERNE ILLUSTRÉ」というシリーズの一冊。MICHEL CIRYという人の挿絵がついていました。

 

 ジョルジュ・ノルマンディの序文によると、ジャン・ロランの2作目の小説作品で、1886年に、最初は『Très russe(超ロシア的)』というタイトルで出版され、1914年の再版の際もその題名が使われたが、もとは『VILLA MAURESQUE』というタイトルが付けられていたそうです。「Très russe」は女主人公リヴィティノフ夫人の性格を表わすものとして、「Villa mauresque」はこの物語で主要な役割を果たす建物を指す言葉として、どちらもこの小説にふさわしいタイトルだと思います。同じくロシア貴族の家系を描いた1902年の『ノロンソフ家の人びと』を思わせるような雰囲気はありますが、『ノロンソフ』ほどのグロテスクさはなく、健全な印象がありました。

 

 本作品の魅力は、ノルマンディ地方の海岸の風光美を背景に、芸術家や貴族が訪れる避暑地の夏がありありと描かれているところで、読んでいる間、生駒にいるはずの私もその一員となって、海辺で泳いだり、居酒屋で飲んだり、アヴァンチュールを楽しんだりの気分になりました。主人公の詩人モーリア(ジャン・ロランがモデル)の友人の画家ジャック・アレルが語り手となり、「Villa mauresque」に避暑にきたロシア貴族のリヴィティノフ夫人に対するモーリアと小説家のボーフリラン(モーパッサンがモデル)との恋のつばぜり合いが中心となっています。以下があらすじです。

 

 2年前に、モーリアはフィレンツェで初めて彼女と出会い、その美貌と知性に恋い焦がれて、愛を告白するが冷たくあしらわれた。ところが彼女が旅立つ前日急に呼び出されて一夜を共にする。その後何度手紙を書いてもなしのつぶてだったが、その夏急に、「ノルマンディ沿岸の町イポルのムーア風別荘に滞在している」という連絡が来たところからこの物語は始まる。彼女のまわりには多数の男性の存在が見え隠れしている。正式の結婚は3回で、いずれも財産家と結婚しているが、二人の夫は怪死している。それ以外にも彼女のせいで亡くなった男もいて、多数の金持ちの老人をパトロンにして、豪奢な生活を送っていた。

  モーリアは海辺や森で彼女とデートを重ね、別荘に入りびたりとなるが身体は許してくれず、モーリアはじりじりしている。そんなところへ小説家のボーフリランが博学と甘言で彼女に取り入り割って入ってきた。ある日、こっそり伺うと、夫人が帰ろうとするボーフリランに鍵を渡し微笑むのが見えた。今晩、逢引きするつもりだなと嫉妬して、夫人が夕食を誘うのも断り、夜また不意を襲おうといったん近くの居酒屋へ行くとそこにボーフリランがいた。どうやらここで時間稼ぎをしているらしい。モーリアは語り手アレルのところへ憤激をぶちまけに来て、帰りがけに「ボーフリランの野郎を殺す」と言って去る。棚を見ると銃がなくなっていた。

  深夜、別荘にモーリアが忍び込み、夫人と言い合いをしているところに、案の定ボーフリランがやってくる。夫人はモーリアの銃を奪いボーフリランを招き入れ二人で消える。モーリアが愕然としていると後ろから夫人が現われ、ボーフリランは女中が目当てで忍びこんで来たと明かす。半信半疑のモーリアは夫人に誘われるままに、森を散歩し廃墟の塔の中で愛を交える。明け方、二人で手をつなぎ詩を朗唱しながら森を歩いていると、ボーフリランが満足げに戻ってくるのと出くわすが、なぜか夫人は姿を隠そうとする。どうやらボーフリランを騙して夫人と瓜二つの女中を替え玉にしたらしい。「夫が帰って来る前の日に、二人の争いを見たくなかったから」と言う。不実な愛をなじり激高するモーリアに対して、「後悔してるの?今回の情事は秘密にしてね。私はこのひとときのことは一生忘れないわ。青春の思い出よ」と別れの言葉を告げる。

 

 リヴィティノフ夫人は、男の真剣な心を弄ぶfemme fatale(宿命の女)、la belle dame sans merci(冷酷な美女)の類でしょう。作中でも、ところどころにリヴィティノフ夫人の恋愛哲学をうかがわせるセリフが出てきました。「最初の思い出を永遠に残したいのよ。私は愛した人と二度は身体を任せないの」、「幸せって幻影なのよ」、「男たちは、愛する人の過去には嫉妬するけど未来にはしないのよね。逆に女からすると、愛されたことのない男は気持ち悪いわ。私たち女性は、知り合ってからは他の女に目もくれずにていくれる男性を夢見るのよ」など。

 

 どうやらある程度実話にもとづいて書かれたようで、この小説が出版されてから、モーパッサンとは子どものころから一緒に遊んだ仲だったのに、絶交状態となってしまったようです。ムーア風別荘もまだ残っていて、「モーパッサンはここに住んで多くの作品を書いた」と間違った標示板が貼られているとのこと。モーリアとリヴィティノフ夫人が愛を交えたという廃墟の塔もあるということです。機会があればぜひ行ってみたいものです。

 

 単なる避暑地での上流階級の恋愛を描いた詩的な物語というのではなく、推理小説的なトリックがあったり、機知に富んだ挿話があるなど、いろんな味付けがなされているのがこの本の面白いところです。ロシアの伯爵夫人に愛を告白する詩をかつて捧げた詩人がいまや年老いて盲目になっていたが、やはり年老いて醜くなり寡婦となっていた伯爵夫人がその詩人と結婚して世話しているという挿話がありました。どこかで読んだ気がして、探してみたら、同じロランの『Le vice errant(さまよえる悪徳)』のなかの短篇「La Maison du bonheur(幸福の家)」に同じ話が出ていました。また、モーリアの書斎の描写は、「水族館か海中の洞窟のような雰囲気」、「幻想癖と珍奇癖」、「暗緑の夕暮のような大広間」という言葉に見られるように、「さかしま」のデ・ゼッサントの部屋のような幻惑的雰囲気に満ちていました。

        

 些末な話ですが、ボーフリランが画家のアレルに煙草を進めるとき、「あなたは画家だから恥ずかしい習慣になじんでるでしょ」という言い方をしていました。この時代すでに喫煙に後ろ暗いところがあったということと、画家がそうした風潮に抵抗していたことが分かります。