井本英一『夢の神話学』

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井本英一『夢の神話学』(法政大学出版局 1997年)

 

 これで井本英一を最後にしたいと思います。この本も読んでいて目がちらちら頭がくらくらしてきました。年のせいかとも思いますが、やはり、説明不足のまま話題が急に変わったり、例話が次から次へとめまぐるしく出てきて、そのスピードについていけないからで、頭が整理されないまま多量の情報が入ってくるせいでしょう。それに固有名詞が、中東、ユダヤなどでは意味不明のカタカナ、中国、日本では黒々と漢字で、やたらと多いのも原因。井本英一の執筆法は、いろんな本を読んで、そこからとにかく同じテーマに関する話題を集めるというやり方みたいで、本人なりに整理はしているつもりのようですが。『アンネナプキンの社会史』という本まで読んでいたのは驚き。

 

 と悪口を書きましたが、筋道たって読める章もありました。「臨死体験と文学」、「山の信仰」、「棄老説話の起源」、「死と救済」、「トーテムと始祖伝説」、「味噌買い橋をめぐって」などはエッセイ風で面白く読めました。比較的後期の著作なので、こなれてきたということなのか。

 

 神話や民話の本を読んでいて、いつも疑問に思うのは、いろんな地域に共通の話題が分布しているということを丹念に調べ、多くの例証をあげることに血道になっていることですが、地域を網羅するということにそれほど意味があるとは思えません。話としては面白いですが、むしろその話題のどこに伝播する力があったのか、あるいは人類共通の発想が生まれる元があったのかを論じる方が大事だと思います。また結論に至る過程にどう考えても飛躍があってその根拠が説明されないことが多く、もし勘で結論を導いているとすれば、読んでいる分には面白いですが、他の学問に比べて学術的とは言えない気がします。

 

 この本で主張されている断片的な考えをいくつか私なりにアレンジして羅列しておきます。

①古代の日本では箸と橋と梯子と柱は同系のことばで、神が降臨する場所であった。

②鼻輪、腕輪、首飾り、指輪に共通する「輪」には、信頼、従属の意味があったようだ。

③死者の霊魂が死の時点で女子の胎内に入るという思想は、世界的に広く見られる。孫が祖父母に似るという事実に対して、隔世遺伝という知識がなかったためで、例えば、長男夫婦が死んだ親の遺体のそばで夫婦関係をする習俗があるが、これは死んだ人の魂がもういちど人間の胎内に入るようにという願いを表わしたもの。

④ノアなどの洪水は、出産のとき母胎から流出する羊水を象徴したもので、流出後、羊膜の中から新しい生命が誕生する。その場合、胎児を包む羊膜は、ノアの方舟にあたるもの。

⑤民話の鬼には、赤鬼と黒鬼がよく出てくるが、これは腐敗しはじめた死体の色を表わしている。

⑥女人禁制の霊山の意味は、自然は女であるから、男だけが母胎である山に回帰できるという考え方。

⑦鳥居は古くは笠木に鳥が止まっていたので、インディアンのトーテム・ポールと同類。

⑧「鬼は外、福は内」と同じような呪文は各地に見られる。イランでは年末最後の水曜の前夜、「僕の黄色は君のもの、君の赤色は僕のもの」、清代の中国では12月24日に「阿呆を売りましょう」と唱える。これは、季節の境目に行なわれたお祓い。

⑨睡眠中に人間の魂が小動物の姿になって肉体から出て行き、その魂の体験が眠っている人の夢として現れるという信仰が全世界に広く見られる。

⑩古くは、鳥居の左右の柱のまん中の祭壇に立てられた木が神であった。後の神社形式では、神の位置が後退し、神殿が建設された。(→何となく逆のような気がするが)。

 

 神話的なイメージもいくつか列挙しておきます。

双子山には、蠍人間が門番として門を守っていた・・・双子山には、古くは二つの洞穴があったと考えられる。一つは死者があの世に入ってゆく洞穴で、一つは産道と同じように、死者があの世から再生して出てくる洞穴であった(p57、『ギルガメシュ叙事詩』)。

ヒズル(船頭)が・・・生命の水の水源に着いたとき、食糧としてたずさえていた干し魚を水中に投ずると、魚は生命をとり戻して泳ぎ去った(p63、エチオピア語版『アレクサンダー伝説』)。

二人の漁師が深山に分け入り、神仙境にたどりついた。二人の美女にかしずかれたが、別れぎわに腕嚢をくれた。開けてはいけないといわれていたのを、家人が男の外出中に開くと、中から青い鳥が飛び立つ・・・男は動かなくなり、蝉の抜け殻のようになった(p107、陶淵明『捜神後記』)。

モンゴル皇帝の宮殿に、外国の皇帝が、二種類の、人に見分けのつかないものをもってきた。一つはラバのような動物で、人の姿を見ると、体が膨れてますます大きくなる動物であった(p152、モンゴル・オルドス地方の民話)。

嫁が姑を憎んで、夫に姑を山に捨てさせる・・・鬼の子が現われ、偶然の頓智で婆は小槌を手に入れる。婆は小槌で地面をたたき、町をつくって女殿様になる(p169、『大和物語』)。

若い方の男が見ていると、寝た男の鼻の穴から一匹の虻が飛び出し、佐渡島の方へ飛んでゆき、やがて戻ってきて寝ている男の鼻の中へ入っていった(p280、関敬吾『日本昔話』より「夢を買うた男」)。

 

 いくつか不勉強で知らない語源的なことを教えられました。

ギリシア語のネモス、ラテン語ネムスという語は、聖なる林を意味する・・・サンスクリット語のナマス(敬礼きょうらい)に対応する。南無阿弥陀仏の南無は、ナマスの主格ナモーの音訳である(p132)。

遊という字は古くは斿と書かれ、旅と同じく、旗をもって出行することを示す語であった。族の字によって知られるように、その旗は氏族の標識(p202)。

アマゾンとは「乳(マゾス)のない(ア)」という意味で(p296)、アマゾン川上流に入り、川を下ったスペインの征服者たちは、途中、インディオの女子軍に襲撃された。そのために、アマゾン川という名をつけた(p300)。

 

 次からしばらくは、論理的な叙述をしてそうな本を読んで行きたいと思います。