:杉田英明『日本人の中東発見』

                                           
杉田英明『日本人の中東発見―逆遠近法のなかの比較文化史』(東京大学出版会 1995年)
                                   
 古代日本とイランとの関係の本を読んできましたが、最後の総まとめにふさわしく日本と中東との関係を総覧した本を取り上げてみました。

 伊藤義教や井本英一とは親子以上も若い研究者による本ですが、逆に伊藤義教や井本英一が子どものように感じるぐらい大人びた筆致です。本全体の構成がとてもしっかりしており、論理的な叙述が全体を貫いています。また視野も広く、社会的歴史的な視点を多く取り入れたことで、地に足のついた議論になっています。

 伊藤義教や井本英一の議論について、「これらの議論の多くは状況証拠に基づく仮説の域にとどまっている憾みがあり、人名等の復元も『単なる思いつきや嗜好に誤られて恣意的なものに陥りやすい』危険はあるが、全体として古代ペルシアから日本へ、かなり具体的な文化の伝播があったことは確実であろう」(p20)とあっさり片付けるのは並の心臓ではありません。

 伊藤や井本の扱っている時代が古代日本という資料のすくない時代に特化していることや、どちらかというと民俗学宗教学のジャンルの仕事であり、政治社会運動の歴史を語るほど明確には語れないということがあるので、気の毒に思います。またこれまでの研究の蓄積によってどんどん知り得る世界が広がってきたということもあるのでしょう。

 著者は相当な勉強家のようで、和漢籍、英仏独書籍、アラビア語、ペルシア語、トルコ語等あらゆる文献が網羅されていて驚き。とくに明治以降の部分が中東の資料を駆使していて、著者の独壇場といった印象も受けます。


 全体の流れを概観しますと、
日本と中東の関係は古代から近世まで、つねに中国や西洋を媒介にして関係してきたという特徴を述べた後、古代中世日本に中東からの文化伝播があったことをいくつか例証し、近世日本には、長崎貿易での中東物産の到来や西洋の地理書の翻訳でより正確な中東像が描かれたことを述べています。

明治期になると、今度は法令の調査のためや西洋への途上に立ち寄ったりで直接中東に赴くようになりますが、当初は同じ西洋の被支配者として共感の目で眺めているのに、次第に植民地支配の参考にするための目線になって行くのが恐ろしいところ。

次に、今度は中東がどう日本を見たかについて、日露戦争を契機に日本礼讃のブームが沸き起こり、中東の人たちが日本を西洋に立ち向かう盟主と見て、イスラムに引きこもうと暗躍する様が描かれます。最後に、東大教養学部卒らしく、中東で浦島伝説を素材にした作品を取り上げ、比較文学的な考察を加えています。


 面白いと思ったのは、
13世紀頃の日本の僧が中国からペルシア文字の記された紙片を日本に持ち帰ったその現物の生々しさと、そこに書かれた詩の美しさ(p28)
中東に人が生る木があると日本では言い、中東では日本にあると言うように、同一の他者イメージの投げかけあいが見られるというところ(p43)
これは和辻哲郎の論で昔聞いたような気もするが、「砂漠的人間」は自然や他の人間社会には対抗的・戦闘的であると同時に、部族には服従的という二重の性格を持ち、そこから人格神も生み出されたという説(p111)
ヨーロッパがエジプトを統治していた時、無知蒙昧の貧民に対し富者が豪奢な生活を見せることによって進歩の道筋を示そうという、ヨーロッパ人の考え方が紹介されていましたが(p118)、これは強者の都合の良い論理で、どこか大企業から裾野へというアベノミクスの議論や、また東京を強くすることによって日本を強くできるという東京一極集中論の誤謬にも通じているような気がします。
田中逸平、山岡光太郎、鈴木剛、大原武慶、中野常太郎ら、中東メッカへの巡礼者たちに共通して国粋主義的傾向が見られるという指摘(p156)
エピソードとして面白かったのは、13世紀のモンゴルの歴史家が日本を紹介した部分で、「大海のなかに浮かぶチマンクという大きな島が一人の国王を立てて反抗を続けている。その住民は背丈も首も短いが、腹は大きく、その土地からは多くの鉱物を産すという」というくだり(p164)
イスラム主義の思想家たちの間にあった、日本をイスラム化することでイスラム世界が強力な求心力を得て欧米に対抗できるという希望が、そのうち既定の事実のごとく見做され、日本の天皇イスラムへ改宗したといった噂が中東やヨーロッパ各地の新聞紙上で伝えられたという記述(p220)
日本がイスラムを受容することで中国・東南アジアで得られる政治的・経済的利益を説き、1938年に東京にできたモスクの導師となったイブラヒムという人物に対する興味(p227〜231)。彼はまた井筒俊彦アラビア語の先生であり、前嶋信次にも影響を与えたらしい。
日本と中東のように文化的・地理的に隔絶した位置関係にある地域間では、相互認識・相互イメージ形成に当って強い理念化が行われるということ(p255)。


 他に、ラフカディオ・ハーンの仏訳本が1920年代のフランスで次々と刊行され、ハーン熱が高まっていたこと(p245)や、浦島伝説に似た異界淹留譚として、中国の爛柯説話やフランス中世の唄「ギンガモール」があること(p254)を知りました。