:レニエの小説二冊

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アンリ・ド・レニエ青柳瑞穂訳『ある青年の休暇』(大日本雄辯會講談社 1958年)
アンリ・ド・レニエ矢野目源一訳『ド・ブレオ氏の色懺悔』(操書房 1948年)


 年末から、レニエの本を読みつづけています。学生時代に読んでいたものの再読も含めて、原書が出版された順番に。『ある青年の休暇』は1903年、『ド・ブレオ氏の色懺悔』は1904年、この後続けて読もうと思っている『生きている過去』は1905年、『燃え上がる青春』は1909年。

 近頃読んだ『碧玉の杖』(1897年刊、2012年7月19日記事http://d.hatena.ne.jp/ikoma-san-jin/20120719/1342693408参照)、『さだかならぬ話』(1919年刊、2015年12月25日記事http://d.hatena.ne.jp/ikoma-san-jin/20151225/1451006800)と合わせて比較して、『碧玉の杖』と『さだかならぬ話』は神話的、懐古的、物語的な要素に富んでいて少し似ている面もありますが、今回読んだ二冊はまったく別物の印象があります。

 『ある青年の休暇』は、幻想味もなく審美的な懐古趣味もない、現代を舞台にした青春小説。『ド・ブレオ氏の色懺悔』は、おそらく18世紀の貴族社会を念頭に置いていて、登場人物の信仰と快楽をめぐる思想が展開される一種の観念小説です。


 『ある青年の休暇』は懐古趣味もないと書きましたが、自分の青春時代を思い出しているという点で、レニエのなかでは懐古的だったらしく、序文で「まこと、この小説は、前作と同様に、過ぎし世の、或は、今の世の、ある生き方を物語ろうと試みたものである」(p7)と書いています。

 内容を簡単に要約すると、若きレニエとおぼしきジョルジュがバカロレアの試験に落ち、母とともに大伯父の田舎へ帰った休暇中の話で、まだ女性を知らず、艶事の出てくる小説をこっそり読んでいるようなジョルジュが、友人の兄の恋人や、大伯父の家に泊まりに来た親戚の寡婦、美貌のエスクララグ夫人と交流するさまを、田舎の人々の暮らしぶりを交えて描いています。最後の夫人とのキスシーンは胸がキュンとなってしまいます。

 この小説の第一の特徴は、人物が生き生きとして魅力的であること。『さだかならぬ話』のなかの「MARCELINE OU LA PUNITION FANTASTIQUE(マルスリン―幻想のなかの懲罰)」で描かれていた夫婦の姿に似ているところを感じます。しかし『さだからなぬ話』の人物が極端に性格づけされていたのに対し、この作品ではより現実的に穏かに描かれています。幻想小説は日常的な人物を避ける傾向があるように思いますが、それと符合するでしょうか。


『ド・ブレオ氏の色懺悔』は、翻訳本が同じ訳者で同じ操書房から前年に『情史』というタイトルで出ています。中の頁はまったく同じ版で刷られ、表紙、中表紙、奥付だけが変えられているようですが、どういう事情があったのか不可解。

 この小説の前半部は、サドの観念小説ばりの長口舌が延々と続き、かなり退屈です。全体で九章に分かれているうちの五章目「ド・グリニイ公爵夫人の恋と死と数奇なる葬礼の物語」で俄然面白くなりました。この葬礼の物語はこの小説中の白眉で、グロテスクな場面がありドールヴィイのテイストもあるように思います。

 
 この作品には、短い挿話をつなげてひとつの長い物語にしているという構造が見られます。それは次のような場面からなっています。
①主人公のド・ブレオ氏がド・プレニユレエ侯爵夫人の催しで踊っていたド・ブリオンヌ夫人を見初めること
②踊りの舞台の洞窟のなかでヴエリニイ検事がデュ・トロンコワ夫人を襲う事件
③そのヴエリニイ検事がド・ブレオ氏の部屋の上に住んでいる骨董商の娘をまたもや襲う話
④エルブー氏の語るド・グリニイ公爵夫人の恋と死の物語
⑤ド・ブレオ氏と楽器商ジェロー夫人との逢瀬
⑥ベルカイユ氏の改宗と隠遁
⑦ヴエリニイ検事が修道院へ入るが結局不向きなことが分かる話
⑧そしてド・ブレオ氏が田舎に帰る途中ド・ブリオンヌ夫人を襲う幕切れ

 
 ロココ時代の享楽に満ちた雰囲気の中で、登場人物たちが信仰と神の実在についてや、恋愛と欲望について、意見を述べ合います。不滅ということを信じず生は一回限りだと欲望を肯定するド・ブレオ氏に近いのは、霊魂は肉体とともに消えると信じている快楽主義者のベルカイユ氏。ド・ブレオ氏は崇高な女性を追い求め、ベルカイユ氏は手近な女性を相手にしています。彼らに対して、来世の人々の平等を信じ善行を積んでいるエルブー氏と、神にすがり節制するヴエリニイ検事はキリスト教信者ですが、一方で、エルブー氏は恋愛のためなら手段を選ばずとも考えていたり、ヴェリニイ検事は現実には自らの激しい欲望に負けてしまったりします。この作品では宗教と欲望、恋愛と淫欲のバランスが問題となっているようです。

 いくつか面白いセリフがあったのでご紹介します。

一体どういう訳のものでしょう。自分の躰の悪魔に従わなければならないというのは。此奴が私に罪を犯させて地獄へもつれて行こうという魔物なんです。(ヴェリニイ検事の言葉p21)

女中というものがわれわれに給仕することを怠らないとすればこの方の供給もしてくれる筈である(ベルカイユ氏の言葉p39)

上品だと自ら許している人までも、恋愛という仮面をかぶって淫楽に耽る。しかしこういう虚偽が世の中では一向虚偽として通っていない(ド・ブレオ氏の黙想p69)。

人間というものはあなたもご存じの快楽に耽る場合にはちっとも美しいものでも上品なものでもありませんからね。愛欲の姿勢というものはあまり賞めた形ではありません(ヴェリニイ検事の言葉p247)。