:松尾邦之助の二冊

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松尾邦之助『フランス放浪記―思い出と随想』(鱒書房 1947年)
松尾邦之助『巴里物語』(論争社 1960年)


 松尾邦之助については、以前、玉川信明の『エコール・ド・パリの日本人野郎』を読んで面白かったので、本人の書いたものを少しずつ買いためていました。今回4冊続けて読んでいる途中ですが、まずは既読の2冊。

 『フランス放浪記』は、第二次戦争中フランスから逃れたスペインで、パリでの活動を振り返って書き始め、日本に帰ってきてから出版したもの。『巴里物語』は後年落ち着いてから人生全体を見渡して書いたもので、分量は『フランス放浪記』の倍ぐらいあります。重複した部分も多いですが、『フランス放浪記』には修善寺物語上演やギリシア滞在、香水王コチイの思い出、『巴里物語』には、自分の生い立ちや初恋、結婚話、トルコ滞在が、単独での記述。

 こうした戦前の人の波乱万丈の回顧録を読んでいると、人間の運命というのは人との出会いが重要で、とくに外国生活という不安定な場所では、ちょっとした出会いで人生が大きく左右されるようです。著者の場合、パリで生活を始めた時ノイローゼになりかけたところを救ってくれた彫刻家佐藤朝山、日本文学の紹介者となるきっかけを作ってくれたオーベルラン、雑誌を作りたいと夢を語ったら黙って大金を送ってくれた中西顕政、彼らと出会わなければ相当違った一生を送ることになったでしょう。

 人物でエキセントリックぶりの際立っていたのは、大金を詰め込んだタバコケースを黙ってプレゼントするという中西顕政の奇怪な金の渡し方、大酒を喰らっては羽織袴で詩吟を謡いモンマルトルの路上で悠々と大便をしたという佐藤朝山、十年近くパリでごろつき生活を続けて帰る間際までフランス語の単語を15、6ぐらいしか覚えなかったという石黒敬七

 松尾氏はまた日本からパリにやって来る文化人の窓口のような存在となり、「パリの文化人税関」と呼ばれていたと書いていますが、いろんな作家が登場します。なかでは辻潤にいちばん傾倒していて、武林無想庵に対しては厳しい眼差しを感じます。面白かったのは、横光利一が、ペンクラブの大会のためにフランスに来たのに大会に出ず、フランス語で電話がかかってきても、あっさり通話を切って返辞もしなかったというところ。

 松尾氏の業績は、パリの風俗や夜の生活のレポートもさることながら、「ルヴュ・フランコ・ニッポンヌ」(1926年)、「フランス・ジャポン」(1934年)という日仏交流雑誌の刊行や13冊もの仏訳書・日本紹介の書を出版したというところにあると思います。その過程で、ロマン・ロランやジッドと親しく交わり、またヴァレリーやレニエとも面談したというのが羨ましい。仏語能力を駆使してフランスで多数の出版活動をし、多くの文人と交流した初めての日本人ではないでしょうか。いや、その後もこんな人はそんなに多くはいないと思います。

 とくに興味を持って読んだのは、フランスに与えた日本の俳句の影響を述べたところで、ヴァレリーが松尾に対して、「マラルメの『ヘルメチスム』は日本のハイカイの精神であり日本人はこうした詩の原則で我々フランス人より先輩だ」と述懐したり、ド・ノアイユ夫人が「軽い雪の切片が飛び去った後に残される憂鬱と夢の一条の道、そこに人生のすべての深さがきざまれている」という意味の日本の古い詩に讃嘆したり、レニエが日本の短歌に対して「限りなく繊細で、微妙なニュアンスを持った、而も洗練された驚嘆に値する芸術だ」と述べているのが印象的でした(『フランス放浪記』p200〜204)。

 日本と西洋の比較や近代の物質文明に対する真剣な所論も目につきました。フランスやドイツの仏教礼賛者たちは、アメリカ化した西欧の物質万能主義という大洪水の中にあって、東洋の精神文化に避難所を求めたが、その東洋的なものは、おしなべてかつての古い花であり、今日の日本人や東洋人は逆にそれをさげすんでいると述べています(『巴里物語』p128)。

 また貧困と金満について独自の哲学を展開していて、「自由で幸福な放浪者と、不自由でいつも不満なブルジョア」という現象を捉え、経済学者やマルクスに「幸福」という尺度が欠けている点を指摘したり(『巴里物語』p45)、自分は「享楽する」ことで多忙を極め収入もみな使い果たしたが、「労せずして金を持った人間ども」の多くは金を使わずにため込んで「真に生を享楽すること」を知らないので、世の中は案外公平にできていると言ったり(『巴里物語』p343)しています。

 政治的な発言では、第二次世界大戦が勃発し、ドイツ軍によってボルドーまで追いつめられたとき、高官や金持ちだけが船で外国に脱走できたが、一般民衆はフランスに残らざるを得なかった状況の中で、多くの新聞人や政治家たちがボルドーではガタガタ震えドイツ兵の顔を見る勇気さえなかったのに、後になって『レジスタンス』の英雄らしく威張って現れたという有様を見て、『外国に逃げていたのでは、四千万の貧しい同胞を救うことは出来ません』と叫んだペタン元帥の肩を持つ発言をしています(『巴里物語』p377)。