:小門勝二『パリの日本人』

外函
小門勝二『パリの日本人』上巻・下巻(私家版 1969年)


 明治から昭和にかけて、パリに滞在した日本人のエピソードを小説仕立てで面白おかしく紹介しています。上下巻合わせて全部で19篇の作品が収められています。紹介されている人物は、村松梢風藤田嗣治辻潤、武林夢想庵、大杉栄林芙美子石黒敬七、岡田時次郎、戸田海笛、青山熊治、佐藤朝山、岡本老人、井沢弘、松尾邦之助、風船お玉(以上上巻)、市村羽座衛門、渡辺紳一郎川上貞奴・音二郎、福沢桃介、早川雪洲、渡正元、マキ・ミクラ、キョウザカ、諏訪秀三郎、池田次三郎、バロン・シゲノ、沢田秀、鮫島尚信、煌星柳太、若山鉉吉、小曽根泰助(以上下巻)。他にも名前だけ出てくる人は多くて書ききれません。

 19篇のうち面白かったのは、画家岡田時次郎が映画女優に騙される顛末を語った「つばくろ横町の歌」(これのみ上巻)、橋で出会った老人が1900年パリ万博での川上夫妻の活躍を述懐する「勲章貰った貞奴」、第二次大戦時下のパリでサムライぶりを発揮する早川雪洲の「凱旋門の侍」、宝剣をめぐる推理小説的味わいのある「宝剣葵丸始末」、陸軍第1回留学生でそのままパリに棲みつき宿屋の主人となった諏訪老人の悲しい最後を描いた「運河と拳銃」。

 「あとがき」で、著者自ら「わたくしはどうもパリに遊んだ先輩たちの遊蕩ぶりについて筆を傾けすぎたきらいがある」(下巻p313)と反省しているように、とくに上巻はやたらと売春宿やキャバレーでの乱痴気騒ぎの様子や下ネタが次から次へと出てきて、女性の読者をまったく想定していない雰囲気。男社会の酒飲み話のような書き方で、これでも筆者は毎日新聞学芸部記者といいますから、時代を感じさせます。

 小門勝二の本は、これまで『荷風パリ地図』を読んだだけだと思います。その時は、「荷風の言葉遣いが面白い。荷風のその道の弟子が愛情を持って荷風のパリの足跡をたどっている」と評価しています。実際に荷風が小門をどう評価していたのか知りたいところです。


 面白いエピソードがありました。
藤田嗣治が列車の中でフランス人から話しかけられた。「藤田という日本の画家と非常に懇意にしている。あれだけの名声をあげている人はちょっと類がない」という内容だった。そこで藤田は、「その男はいくらか知ってるが、いつも威張りくさってケチで付き合いが悪い奴だ」と返事した(上巻p67)。

 これに関連してユゴーの同じような逸話が紹介されていました。
ユゴーが夜遅く自宅に帰った時、門の近くまで来て尿意を催したので、立小便をしたところ、「ここは誰のお屋敷か知っておるのか、吾輩が尊敬しているユゴー様のところだ。そこへ不潔なホースを向けるとは不届千万なヤツ」と労働者風の男に叱り飛ばされたという(上巻p68)。ユゴーは生涯の中でもっとも得意に感じられたのはこの時と言っています。

 他に、戦争に関連したエピソード。
第二次大戦の終り頃、パリからドイツ軍が撤退する時に、パリに住んでいた日本人は、ドイツ軍と一緒に同盟国のドイツに行くか、パリに残留するかを迫られた。が、どうせ逃げ出してもあと二、三週間でドイツも降参するだろうと、残留組が優勢になった(下巻p84)とのこと。同盟国ということでは、ヴィシー政権下、日本人はドイツ人と同じ待遇でフランス人の十倍もの配給が貰えた(下巻p85)ということがあったようです。

普仏戦争の時、プロシア軍がパリに入城してきたなかに日本の四人の軍人が混っていて、彼らは日本からの軍事観察員としてプロシア軍に従軍していた(下巻p119)。また第一次大戦時には、フランス空軍に志願、空軍少尉(のち中尉)となって大活躍した日本人がいた(下巻p216)とのこと。彼の名はバロン・シゲノ、愛妻の死のショックで空で死のうと志願したらしいのですが、死ぬ気で戦ったので多くの敵機を撃墜したと言います。

 この後しばらく、松尾邦之助、石黒敬七あたりを連続して読んでみようと思います。