:またまた軟派系パリ話ほか三冊

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川徳之助『愉し わがパリ―モンマルトル夜話』(光文社 1957年)
川徳之助『パリの穴 東京の穴』(第二書房 1963年)
原著者不明/奥野他見男譯『夜の巴里』(潮文閣 1924年


 今回は、ほとんどポルノまがいの本二冊と、ノンフィクション一冊。『夜の巴里』も、本の背表紙には奥野他見男著とあるし、タイトルだけ見て軟派系と思っていたら、イギリスの新聞「daily express」パリ特派員が書いた本を訳したもので、パリの裏面を描いたシリアスなものでした。

 美川徳之助は、1918年ごろ大学受験に失敗した後、親の勧めでパリに5年間遊学し、帰国後時事新報を経て読売新聞社の記者や企画部長を勤めた人とのことです。文章が戯れ文でなかなか面白い。一例を引くとこんな調子。「宝石ばあさん・・・片手でこっちの手をにぎりにくる。だまってそのままにさせておくと、手を引いて立ち上がる・・・通行人が見れば年寄りをいたわって、若い男が手を引いてやって歩いているようだが、その実、こっちが手を引かれてゆくのである・・・墓地のほうへ向かった時は、あの世へ連れて行かれるのではあるまいかと、思わずぞっとした」(『パリの穴 東京の穴』p76)。

 『愉し わがパリ』は、若き日のパリでの恋愛経験や娼婦との交遊を、60歳近くになってフランスを再訪した際に回想した第一部と、フランスの食べ物などを紹介した観光案内的な第二部とに分かれています。この本は20年近く前に一度読んでいて、その時は、西條八十高木東六東郷青児らの艶福伝の系列の一つとして読みました。小説で言えば清水正二郎、、川上宗薫、宇野鴻一郎あたりの色豪伝の雰囲気。ヘンリー・ミラーアナイス・ニンまでいかないのは日本人たる所以でしょうか。

 「中学生時代に読んだ永井荷風先生の『ふらんす物語』が、私の一生を決定づけた」(p4)と書いていますが、当時の青年に与えた影響はかなりあったようで、当時フランスへ渡航した文学系の人は必ずこの本に触れています。『愉し わがパリ』には『ふらんす物語』の世界の余韻が残っているようで、現実の話でなく、遠い世界のお伽噺を聞いているような雰囲気も漂っていました。

 『パリの穴 東京の穴』は、『愉しきパリ』に書き洩らしたような話、日本での色恋沙汰、女遊びの話、さらに穴という言葉の延長での競馬の話の三部に分かれています。一言でいえば、酒飲み話を集めた猥談本。「私はその性(さが)淫にできているせいか」というような言い訳をしながら、あからさまな表現で小話風のエピソードが次々に登場します。『愉しきパリ』にはもう少し情調というものがあったような気がしますが。 

 銭湯の三助とタイアップしていて女湯をのぞかせる待合があって、そこに友人らをよく招いて喜ばれたという話が出てきますが、これは今なら新聞紙面を飾るような犯罪ではないでしょうか。他にもこれに類するような女性蔑視的な記事も多く、おおらかな時代としか言いようがありません。

 ちなみに、『愉し わがパリ』の表紙は藤田嗣治。『パリの穴 東京の穴』外箱の絵は小出楢重。表紙その他のカットは鳥海青児。藤田嗣治はパリ時代親しくしていて、小出楢重は市岡中の先輩、鳥海青児は妹の旦那。


 『夜の巴里』は原題は『巴里の暗黒面』というように、あまり表に出てこないパリの姿を活写したもので、朝まで遊びまわる人々、観光客をだます人々、ゆすりの手口、安ホテルの実態、行方不明になる外国人、麻薬の蔓延、賭博場の隆盛、スパイの暗躍などが章だてで語られています。読み終わって、1910年代のパリでは、連れ込みホテル、娼館、阿片窟、賭博場がいたる所にあり、既婚婦人はみんな浮気をしていると思えてきました。

 ところどころにエピソードとして小説風の物語が挟まれていますが、なかでもそれが独立したものとして長めに書かれている章があり、15章「愛に燃ゆるフランスの娘」は恋愛譚、17章「疑問の靴下止め」は推理小説の味わいがありました。

 いくつか面白い話があったので紹介しますと、
①朝まで遊ぶ人はアメリカ、ギリシア、イギリスなどの外国人が多く、フランス人でもほとんどがパリ以外の出身者であること(p13)。
②イギリスとフランスの女性の喧嘩の仕方の違い。イギリス婦人は相手を引っ掻き、フランス婦人は手当たり次第に、瓶でもグラスでも何でも持って跳び懸かる(p23)。
③上流家庭のフランスの少女は、結婚するまで付添人なしでは外出しない。学校の往き帰りからお稽古に至るまで、始終女中に付き添われている。結婚すると初めて自由が与えられるので好き勝手なことをし始める(p51)。それで既婚婦人は百人が百人まで恋人を持っており、恋人は既婚者であることもある(p56)。
④今日の文士や音楽家や政治家で、思うように仕事ができないとき、昂奮を得ようとして、コカインを服用しない者は恐らくいない(p99)。
⑤麻薬には各種あるとして、阿片、コカインをはじめ、エーテルアンモニアモルヒネ、反魂香を列挙している(p101)。暗黒界の酒場には必ずコカインが備えてあり(p102)、アメリカやカナダなどの飛行隊の連中は、ほとんどコカインの溺愛者である(p106)。