:岩田豊雄『脚のある巴里風景』


                                   
岩田豊雄『脚のある巴里風景』(白水社 1932年)


 なかなかしっかりした造本で、紙質もよく、大きい割に本が軽い。白水社のこの頃の出版物には同様の印象があります。また各ページにタイトルどおり脚の飾りが添えられているのが面白い。
                                   
 岩田豊雄獅子文六の本名というのをすっかり忘れていて、面白い文章を書く人だなと思って、読み終ってから思い出しました。いよいよボケてきました。演劇関係の執筆の時だけ本名を名乗っていたんでした。

 今の人にない味わいのある文章。講談など話芸の要素がたぶんに入っている軽快な語り口で口調が良い。戯作調とでもいうんでしょうか、文章が下町風で、パリの風俗を描いていても、江戸のような気がしてきます。例えばこんな具合。
見る間に、テーブルは塞がって、紫煙棚引く間に、エトランジヱヱの英語が、声高らかにチイチイパァパァ。〝赤風車(ムーラン・ルージュ)″の令嬢が、グッド・イヴニング・サァ―と怪しげな発音で話しかけると、ボン・ソアール・マドマゼヱヱル・・・と相手も抜目はない(p8)。
頭が円く(という意味は、勿論、禿頭という、意味だ)顔が円く、肩が円く、掌が円く―どこもかしこも円くできあがった人で、しかも「円い物」も沢山持っているから、人呼んで、これを丸丸(ブウブウル)さん。本名は誰も知らない。そのかわりブウブウルさんと云えば、知らないものはバチと思われるくらい―なにが彼をそう有名にさせたかというに、それにはそれの曰くがある(p33)。

 喩えも面白く、「まるで避暑して震災を逃れたかたち(p41)」とか、「衣裳考案家として認められる日がくれば、彼女は人に衣を着せると同時に、自身も着物を脱がずに済むようになるだろう(p124)」といった感じ。「モンマルトルの明方は、死んだ魚の腹のように白い(p11)」というような新感覚派的な文章も随所にあります。


 内容は、パリのミュージック・ホールの踊り子が主人公の小説「ぺぺ物語」と、残りは随筆。随筆にも小説風の味わいのあるのと、モンマルトル、モンパルナスの街の様子や、ミュージック・ホールやキャバレの動向など、情報を伝えることに重きを置いたものと、二種類があります。

 小説風味わいの随筆は、パリに住む日本人の失敗談を面白おかしく語った「諏訪君の失敗」「裸島」や、ミュージック・ホールの踊り子たちのエピソードを綴っていて「ペペ物語」に近いテイストの「脚の哀史」があり、いずれも人物が生き生きと描かれ味のある掌編に仕上がっています。

 情報を伝える随筆では、「モンマルトルの散歩」「モンパルナス界隈」「巴里のミュージック・ホール」「女優五景」「レヸユウ小題」などがありました。なかで次のような指摘が貴重な証言になっています。
モンマルトルから雪崩を打ったようにモンパルナスに芸術家が移動した要因として、モンマルトルに物見客が大勢詰めかけて俗化した、また家賃が高くなってきたというモンマルトル側の要因とは別に、なぜモンパルナスへかということについては、ちょうどその頃南北地下線が開通したこと、学問町として古い伝統を持つラテン区に隣接していたと指摘していること(p88)、また1920年代以後ミュージック・ホールが黄金時代を迎えた最大の理由として、第一次世界大戦で財布は軽く気は重くなった人びとには仏蘭西座のラシーヌやワグナーは重く感じられたと指摘していること(p137)。


 獅子文六が薩摩治郎八をモデルにして『但馬太郎治伝』というのを書いているらしい。おそらく同じようなテイストの物語になっていると思われるので、一度読んでみたいものです。