:JEAN RAY『LA CITÉ DE L’INDICIBLE PEUR―Roman policier ou roman d’épouvante?』(ジャン・レイ『とんでもない恐怖の町―推理小説それとも恐怖小説?』)


JEAN RAY『LA CITÉ DE L’INDICIBLE PEUR―Roman policier ou roman d’épouvante?』(MARABOUT 1971年)


 ジャン・レイは翻訳で大昔に『幽霊の書』、『マルペルチュイ』、『新カンタベリー物語』、『ウィスキー奇譚集』を読みましたが、フランス書は初めて。これまで読んだなかでは、『新カンタベリー物語』の「マイユー親爺」や少しク・リトル・リトル神話を思わせる『マルペルチュイ』が印象に残っています。少し通俗臭があるように思いますが、なかなか手慣れた話の運び方、ユーモアに富んだ語り口で面白く読みました。料理や植物の名前が羅列される部分で辞書を引くのが面倒くさくなった以外、文章は比較的平明。

 長編ですが、とくに前半は短い挿話が連続して、ばらばらの短編を一つの物語の中にはめ込んだものかと、最初は思っていました。その短い挿話の中で、いちばん印象的だったのは、鏡の中に現実にはない紐が現れるようになり、初めは奥の方に見えたのが、見るたびに次第に近づいてきて、最後は首に巻きつき、それが死刑台の紐だったという恐怖譚(p50)。ところが、読み進むにつれて、挿話だと思っていたある一篇が真犯人に結びつく大きな伏線になるなど、すべての話がどこかで長編の本筋とつながっていて、無駄な話はないことが分かりました。

 「推理小説それとも恐怖小説?」という謎解きのような副題で、はじめは幽霊の出る不思議な挿話が続き、本筋に入っても怪異な話が続くので、恐怖小説かと思ってしまいますが、それらが物語の後半につぎつぎと合理的に説明されていくということで、この物語が推理小説であることがはっきりしました。と同時に、物語の魅力も薄れてしまいました。私の好みから言うと、逆に、初めは合理的な確固とした世界に少し意味不明なものが混じり、それが侵食してきて、最後に混沌のうちに朦朧と終わるというのが理想的。

 冒頭、14世紀からの前史が、「奴らが来る」、「大いなる恐怖」などの言葉とともに、散文詩風に語られていて、これが恐怖小説としての雰囲気を盛り上げています。ゴジラ第一作目と同様、怪物がなかなか姿を見せず、予兆のみのまま、物語の半分以上が過ぎますが、ようやく怪物が姿を見せたかと思うと、あっさりと主人公の杖で打ち据えられ、人間が仮装していたのが判明するという場面ではがっかり。


 あらすじは以下のとおり。
イギリスのアンジェルシャムという町の貴族の猟場の番人の息子として生まれた主人公トリッグスは、ロンドン警視庁の書類作成班に所属し、過去の書類から殺人犯を見つけ出したり、上司バスケットが悪漢に殺されそうになったところを助けたりの手柄を立てた。定年退職して故郷に戻り、貴族が彼に遺贈した館に住むことになったところから物語は始まる。その町はジプシーからも恐怖の町としておそれられ、市庁舎には幽霊が出ると言われていた。

町の広場に面した店で次々と怪異な事件が起こる。古道具屋の主人が斧を持った人形に襲われて心臓麻痺で死んだり、手芸店の三姉妹が突如失踪したり、市長秘書の姉が怪物に襲われトリッグスが打ち据えると仮装した肉屋の主人だったり、薬屋の主人が服毒自殺したり、市長秘書の姉とパン屋の主人が大雨のなか溺死するという事故もあった。

そして極めつけは、トリッグスの親友の筆記係の市職員ドゥ―ヴが市庁舎の幽霊に頭を割られて殺され、トリッグスが市長と二人で悪魔祓いをしている最中にトリッグスが何者かに首を絞められて気絶し、その間に市長も頭を割られて殺されていた。そこでロンドン警視庁の上司バスケットが町に乗り込み、回復したトリッグスからこれまでの経緯を聞き、この町に起こった謎を次々に解き明かしていく。最後はアッという人物が真犯人だったのだ。(ネタバレになるのと、説明が複雑なので真相は伏せておく)。


 この作品に滑稽味があるのは、語り手の探偵役のトリッグスがどこかワトソンを思わせるとぼけた味わいがあるからで、前段では市職員のドゥ―ヴがホームズの役割を演じていましたが、ドゥ―ヴの亡き後、真の名探偵はバスケットであることが分かりました。結局、この町の「恐怖」というのは、ロンドン警視庁を退職した主人公がこの町にやってきたということで、みんな脛に傷を持っていた町の人々が恐怖に怯えたということだったわけです。

 「あとがき」でJ・Van・Herpという人がジャン・レイの生涯を語っています。これが波乱万丈で面白い。船乗りになって南シナ海や南太平洋、カリブ海で密貿易に従事したり(禁じられていた真珠採りをして日本に売っていたとも書いています)、荒っぽい喧嘩ぶりから「タイガージャック」とあだ名をつけられたり、猛獣使いになってライオンや虎を操ったりしていたらしい。人を殺したこともあるようですがそれは正当防衛だったと言います。この物語の最期の場面にそれが反映しているのかもしれません。