Marcel Brion『Les Vaines Montagnes』(マルセル・ブリヨン『辿り着けぬ峰々』)

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Marcel Brion『Les Vaines Montagnes』(Albin Michel 1985年)


 久しぶりにまたブリヨンを読んでみました。これで17冊目。Vaines Montagnesの訳が難しい。単純に訳すと「虚しい山々」となりますが、これでは意味がよく分からないし、山というのが平凡すぎます。どうやら到達できない山で、神の住むところというイメージなので、「辿り着けぬ峰々」としてみました。この辿り着けぬというのが本作の中心テーマであり、ロマン主義的な憧れを表現していて、それが海の彼方だったり、絵の中の世界だったり、幸福の島だったりします。

 死の直後出版されたようで、おそらく未完の遺作。読んだ感じではまとまった作品のように見えましたが、奥さんのリリアヌ・ブリヨンさんが序文で、「第19章は未完のままだ。他にも『Récit de Cyrille sur les fresques de Roublev(ルブリョフのフレスコ画についてのシリルの話)』と、ヴェニスのリド島にある謎のユダヤ墓地をめぐる話『Brighella(ブリゲッラ)』を追加する構想があった」と明かしています。

 物語の設定は、中学校時代の友人6人と、順番に幹事を交代しながら、毎年1回ヨーロッパの名所に滞在して喋りあうということになっています。辿り着けぬ峰々を前にしたチロル、ザルツブルクのミラベル庭園、アイルランドのスケリグ島、グラナダアルハンブラ宮殿のリンダラハの中庭、ヴェネツィアのトルチェッロ島など。その6人とは、海の彼方に憧れる直情的なリオネル、リュートクラヴサンを奏でるフロリアン、ロシア系のシリル、石好きのセバスチャン、馬や剣が好きで幽霊を信じるトスカナ人レオネット、鉱物好きで詩人のバルノワルド。その6人に加え、フロリアンの従姉妹でありレオネットの幼馴染でもあるルドヴィカ、冒険好きのアイルランド人コルマックらが加わります。

 リリアヌさんが指摘しているように、この6人はブリヨンの様々な側面の分身ですが、不思議なのが一人称「私」の存在で、「登場人物なのだろうか。読み返せばたぶん登場人物に混じっているか、誰かの姿で出ているのだろう」(p22)と文中に出てくるように、トランプのジョーカーのような存在で、6人とは別の一人になったり、6人のうちの誰か一人になったりしながら顔を出し、また突然イタリック体となって独白のように語る部分もあります。

 私として出てくる人物が神出鬼没で誰なのか分かりにくいうえに、誰がどこで喋っているのか、過去の話なのか、会話なのか、地の文なのか、会話を表わす「―」に添えて話者の名前が記されなかったり、現在形と半過去が混じっていたりして、よく分からないところがありました。フランス語の読解力不足もさることながら、もともとがあいまいに書かれていると思いたい。おそらく誰が語るかというより語られている内容が重要ということなんでしょう。

 さて、その物語ですが、長編の体裁を取りながら、いろんな探求に憑かれた奇矯な人物のエピソードが連なる一種の短篇集とも言えます。『カンタベリ物語』や『デカメロン』のように、仲間6人とその関係者が入り乱れて語り合うという枠物語的構成となっていて、24ほどの小話が次々と語られ、その合間に、さらに小さな挿話や寸言が散りばめられているという作りです。ブリヨンは、『千夜一夜物語』の語りをめざしたのではないかと推測しています。というのは、文中のあちこちで千夜一夜物語の語りのすばらしさにに言及がある(p175,203,239)からです。

 全23章の各章がほぼ一つの小話に対応しています。今回は、逐一あらすじを紹介していると、とても大変なことになるので、どんな小話かだけ示すことにします(カッコ内は話者、あるいはそれと思しき人)。
辿り着けぬ峰々の話(セバスチャン?):
 峻峰に迷いこんだヘラジカの挿話あり。
一本の木を愛した男の話(シリル):
 男は最後に木とともに雷に打たれる。
鳥の魔法使いの話(フロリアン):
 骨壺論のトーマス・ブラウンが出てくる。
その挿話として死んでゆくカモメの話(バルノワルド):
 動かなくなったカモメの周りに仲間のカモメが集まる。
ウルビノで見た隠者の夢の話(シリル?):
 光を自分に引き寄せておきながら顔を覆う隠者の夢についての解釈。
夢のなかでタピストリの庭に入る話(リオネル):
 白い犬に導かれ川中の島の寺院に入ると、そこにはランプを持った女性像が。
子どものころの鏡と音楽室の思い出(フロリアン):
 音楽室に魔法の国を見る。
鉱物のコレクションを語る(湖畔の宿の主人):
 物質の神秘を開示する水晶や瑪瑙、中国の夢の石。
宋の水墨画のなかを歩く話(フロリアン):
 水墨画の中で辿り着けぬ峰々を眺める。
古道具屋で操り人形を買わなかった話(セバスチャン):
 人形に見つめられ手足が勝手にごそごそと動いて。
二体の操り人形が喧嘩をする話(セバスチャンが友人アルミニオ・ポロから聞いた話):
 十字軍とアラブ軍の人形は仲が悪い。ドン・キホーテが人形芝居に割り込む挿話、等身大の人形の悲劇の挿話あり。
ふたたびグラスオルガンとリュートの話(フロリアン):
 ダウランドの音楽が出てくる。
鏡、ナルシスについて(フロリアン、シリル):
 人影を食べたり、美人を飲みこもうとする鏡の怪異、ナルシスの解釈。
馬を愛したフランツ男爵の話(ルドヴィカの庭師、ルドヴィカ、私):
 厩舎の火事で愛馬を失った男爵の最後の消え方が印象的。
影絵切り師エルベールの話(ルドヴィカ):
 最後に自ら影絵上の人物と化して消える場面が秀逸。
墓狂アルマンの話(ルドヴィカ、私):
 ブルターニュの墓を模して自らの墓を作る。暗い墓所で顔の彫刻を指でなぞると石が微笑む。
ミニチュア製造家モンティエルまたはリンデンベルク(私):
 建物のミニチュアに魂を吹き込む男。ティエポロの挿話あり。
ヴェネツィアの別荘のプルチネッラの話(シリル):
 壁面一杯に描かれた仮面に魅せられ別荘を買おうとするが。
上記の挿話として二つの仮面の話(バルノワルド):
 仮面で別人となる恐怖体験が語られる。子ども時代の仮面祭と双子の仮面商と出会った体験。
400年を経た幽霊の殺人譚(レオネット):
 400年前殺された男の幽霊が復讐する。絵を再現しようとして雷に打たれる挿話あり。
アイルランドのスケリグ島の話(コルマック):
 絶壁の孤島に住む隠者について語る。本題に入る前に未完。
鳥にまつわるレオナルド・ダ・ビンチの話(バルノワルド):
 赤ん坊のとき鳶に唇をかすめられて以来、鳶をサインのように絵に記したという。
メーリケのペレグリーナ詩篇について(バルノワルド):
 メーリケが讃えた憧れの象徴オルプリッドと、その使者ペレグリーナの物語。
中国の蓬莱伝説の後日譚(セバスチャン):
 どもたち12人を乗せた蓬莱山探索の船が失敗して帰ってきた。憧れを知った子どもたちの悲惨?なその後。

 これらの小話のテーマはいずれもブリヨンのほかの作品にも頻出しているものです。ブリヨンの小説は、いつも一つの作品の中に強弱はありながら多様なテーマ(シンボル)が現われ、そのテーマは各作品に共通しています。これは同じテーマが繰り返されているというより、一つの大きな神話体系を形作っているように考えられます。ブリヨン論をもし書くとすれば、それらのテーマを軸にして、各作品の中でどう扱われているか探るのが一つの方法でしょう。森、庭園、泉、彫像、地中世界と迷路、砂漠、鉱物、海底、劇場、段ボールで作った建物と町、サーカス、城館、温泉地、ホテル滞在(旅人)、夢、鏡、古物商、操り人形、自動人形、グラスオルガン、幽霊、厄災、ワイルドハント(フランス語ではla chasse sauvage)、馬、犬、昔の人物(肖像画)などなど。そして本作は遺作としてこれまでの作品のテーマの集大成を計ったのではないでしょうか。


 些末な印象を記しますと、
 小さなものへの共通した愛情が感じられる部分がありました。ミニチュアの建物を作る小話はもちろん、影絵切り師の話の最後のところで、残された小さな影絵の中に、僅かの荷物を積んだ小さな二輪馬車に乗って旅人が馬に鞭をあてている図が描かれていたが、その首には小さな鋏がぶら下がっていたという場面や(p155)、蓬莱山から帰ってきた子どもたちを慰めるために、皇帝が小さな宮殿を作ってやり、池も庭も家具も小さくし、馬も犬ぐらいの子馬、犬も鼠ぐらいの大きさにしたというところ(p267)。

 辿り着けぬ峰々にはたえず、雲(nuage)がかかり、雲が消えると今度は靄(Brouillard)がかかり(masquer)、しかも窓も曇って(s’embuer)なかなか見えません。水墨画にも、滝の靄(vapeur)や、雲と靄(brume)がかかり、山頂は霞んで(vague)しか見えません。こうした言葉が連続して、茫洋とした曖昧な雰囲気を巧みに醸し出しています。

 夢のなかでタピスリーのなかに入って行く小話では、夢の割に筋書きが整然としすぎているところは、ブリヨンの古典的な性格が露わになっています。夢のなかでは、もっと非論理的なことが連続するシュールレアリスム小説のようでなければいけないのでは、と思ってしまいます。

 日本に関しては、ミニチュア製造家のところで、水、雲、風の層があるという奈良の塔が出てきましたし(p173)、仮面の話のところで、能面についてのエピソードがあり、世阿弥の名前が出てきました(p195、197)。