:竹中郁『巴里のてがみ』


                                   
竹中郁『巴里のてがみ』(編集工房ノア 1986年)

                                   
 引き続き日本の文人のフランス報告で、今回は竹中郁。1928年から30年までパリに滞在していたようです。この本は、その時パリの芸術界の動向を日本に知らせた通信「巴里だより」と、帰国後パリでの生活を思い出して書いた随筆を集めた第Ⅰ部と、コクトオを中心にフランスの詩人について書いた第Ⅱ部、コクトオの訳詩の第Ⅲ部に分れています。

 1928年から30年といえば、パリは両大戦間の芸術の狂乱期でモンパルナスを中心に画家や作家たちが集まり、シュールレアリスム運動やが活発で、アメリカ人をはじめ外国人が殺到していた頃。そんなすごい時に行っていたのが羨ましい。

 冒頭の滞在中に書かれたパリ報告二篇は、かろうじて映画に対する興味と話題がオリジナルですが、それ以外は、あまり他人のことは言えませんが、浅薄な感想が書き連ねられていて、無残な印象。本人もそれを自覚していて神経衰弱になりそうだったみたいで次のように書いています。「絵も見るだけで素人、音楽も聴くだけで素人、演劇オペラ、キネマ、勿論みな素人、文学をやってますと云うものの、これは怪しい語学で一向に駄目。これでは一向取柄もない、フランスへ来ている甲斐もないと思召すでしょう、事実それにちがいない(p33)」

 また「美術館もいい、珈琲店もいい、本もよい、然しだ、それらのものも僕の生活基調なくしては、何の甲斐あるものぞと思われる。僕はいま時間の中空にぶらさがっている人形みたいだ(p18)」と告白していますが、日本で詩人としてデビューし、前途洋々で意気盛んだったところから、突然無名になってがらんとした時間のなかに放り出されてしまったのはとても気の毒で、前回読んだ『脚のある巴里風景』での、パリでの生活を謳歌している風に見えた獅子文六との違いを感じさせられました。

 それよりも、帰国後思い出しながらパリでの生活を描いたものの方が圧倒的で、しっくりなじんでいます。その代表が「季節をしらぬ随筆」で、朝物売りの声で目覚め牛乳や新聞を買いに行くところから、モンスウリ公園で読書したり、昼食は一緒にヨーロッパに渡った小磯良平といつも同じアルザス料理店で食べ、午後は語学学校へ行ったりセーヌ河畔をそぞろ歩いたりする日常生活を、懐かしみながら描いています。パリからマドリードまでの無計画な旅をした時に、言葉も通じない一人のスペイン人から受けた親切な行為への感謝を綴った「スペインのある男」には著者の温かい心を感じることができました。日本人留学生が現地妻とその子を残して帰国しその後音信不通になった件を書いた「巴里の別れ」は、随筆の枠を超えて紙面を利用した実録告発で、ノンフィクションの力を感じさせられました。

 ジャン・コクトーについて書かれた「ジアン・コクトオに就いての覚え書」「えすぱにや」の二篇も素晴らしく、後者ではコクトーの一篇の詩を取り上げ、一行ずつ表現を玩味しながら説明し、その視覚を生かした詩の特徴を見事に解析しています。前者に引用されていたコクトーの詩「自叙」(詩集『オペラ』)は、なかなか気に入ったので一部引用しておきます(p125)。

神秘界の出来事や天の計算の過誤を私は利用した。/・・・/私は見えないものの引写しをする。(あなたにとっては見えないもの)/私は非人間的な衣裳をつけて仮装している罪悪に向って云った。/⦅手をあげて、叫ぶことは不要だ⦆と。/私は形をなさぬ魅惑に輪郭を与えた。/・・・/私は見せた。私の青インクを彼等に注ぎかけるや忽ち青になってしまった妖怪たちのさまを。/・・・/欺すことを知っている偶然や歩きだすことを試みかけている彫像を見つけること。


 「ミラノのアムブロジアナとか、ペッツオーリ両美術館のような小規模の方がゆっくりと仔細に鑑賞できる。鑑賞者の生理とうまく合うからだろう(p107)」という文章がありましたが、まったく同感です。人混みのなかでは落ち着いて絵を見る気持にはなりません。コンサートも同様でぎっしり満杯よりはすいている方が聴きやすい。