倉阪鬼一郎『怖い俳句』(幻冬舎新書 2012年)
倉阪鬼一郎『悪魔の句集』(邑書林 1998年)
私に向けて書かれたのではないかというぐらい、私の趣味にあった俳句本です。著者についてはその昔「金羊毛」や創刊頃の「幻想文学」に載った短篇の幻想的味わいに感心した記憶がありますが、その後の小説作品は読んでおりません。『悪魔の句集』は出版の翌年に一度読み今回二回目です。
『怖い俳句』は文字どおり「怖い」という切り口で俳句を語っていますが、こういう風に俳句を美学的な視点から評釈した本は少ないのではないでしょうか。海外で出版される詩集では、怪奇詩や、夜想をテーマにしたアンソロジーなど見たことがありますが、日本ではあまり見かけません。どなたか日本の幻想詩の評釈ないしアンソロジーを出してくれないかと思ったりしています。
著者は、死後の世界や怪物、魑魅魍魎を描いた俳句が意外と多いと言い、怖い俳句の数多くの例をあげています。そして俳句と恐怖との間に親和的な関係があるとしていますが、それは次のような点です。
①説明が付与されない不安、そこから生まれる怖さを生みだすのは、本来的に短さを持つ俳句の独壇場であること。
②日常を侵犯するもの、異化するものが恐怖をもたらすが、説明抜きで日常性から切り離されたものをぽんと提示することができるのも俳句の特質。
③俳句の技法は、怪奇小説の技法に通じるところがある。物語の結末の余韻は俳句の切れ、朦朧法は予感を漂わせる実景風の句で表現でき、切れ味鋭いホラー短篇は配合の妙に通じる(③だけ『悪魔の句集』あとがき)。
恐怖の性質についても、「恐怖は笑いと紙一重である」「恐怖は瞬間のものである」という正鵠を得た指摘がありました。そして最後に、俳句を面白くするのはセンス・オブ・ワンダーが基本だと言い切っています(『悪魔の句集』あとがき)。
俳句は句そのものよりコメントのほうが面白いと最近思うようになっていますが、倉阪鬼一郎氏はなかなかの読み巧者で、俳句に対するコメントが秀逸です。例をいくつかあげてみます。
月涼し百足の落る枕もと(槐本之道)・・・この呼吸は、図らずも、ある種のホラー映画の作り方に似ています。穏かな風景で安心させておいて、やにわにぎょっとさせるのは恐怖を喚起する常道の一つでしょう(p16)。
流れつくこんぶに何が書いてあるか(阿部青鞋)という奇怪な句もあります。何か書いてあったら気絶するほど恐ろしいかもしれません(p62)。
墓を去るとき墓に映りしもの何ぞ(坂戸淳夫)。朧げな影を宿した墓石のひんやりとした感覚が、読み手のうなじにもそこはかとなく伝わってきます(p121)。
蟲しぐれ死の空間は卑弥呼めく(河野多希女)・・・蟲しぐれだけが響く空間の向こうから古代の女王の影が近づいてきます。音→空間→時間という三段跳びが五七五の定型に沿って行われる異色作です(p146)。
眼のごとき沼あり深き冬の山(鷲谷七菜子)・・・深山に潜むこの眼は、不意に瞬きをしそうです(p147)。
死をひとつ映し終へたる大鏡(小泉八重子)。死を映すことによって、鏡はひそかに養分を得ているかのようです(p185)。
全身が尾の憑きものに昆布飾れ(大岡頌司)・・・このたたずまいの異様さは出色です。昆布などを飾れば、より気味が悪くなってしまいそうです(p201)。
春の夜の死肉をつつく一家団欒(鳴戸奈菜)。考えてみれば平凡な情景です。食卓に載る肉はことごとく「死肉」なのですから(p207)。
祖母がベッドに這ひ上がらんともがき深夜(関悦史)はリアルな怖さの介護俳句(p232)。
『怖い俳句』は芭蕉から始まり、戦後生まれ俳人の句までを時代順に並べて、それぞれの時代の特徴をかいつまみながら論評しています。総じて、前衛俳句や戦後俳句には余韻も余情もないストレートで露骨な句が多いような気がします。逆に、芭蕉や蕪村、虚子などの大家や、まるで伝統的で自然風土に根ざした句ばかり作っていると思っていた作者にも、洗練された怪奇味のある句があることが分かりました。名前を聞いただけで敬遠せず、いろんな作家の句を丹念に読まないといけないと自戒しました。
怖い俳句とひとくくりにするなかにも、怪奇的でグロテスクなもの、他界との行き来を感じさせて幻想的なもの、想像力の果てを行くような奇想など、いろいろあり、そういった視点で章立てしても面白かったかなと思います。
倉阪鬼一郎氏は自らも句作を若い頃から実践しており、数多く句集を出されているようです。『悪魔の句集』はそのひとつで200句が収められています。どちらかというとやや露骨な句が多い気がしましたが、奇想があちこちに顔を出しているようにも思います。
面白かった俳句は絞るのが難しく思いましたが、以下に。
稲妻に道きく女はだしかな
おぼろ夜や片輪車のきしる音
山姫やすゝきの中の京人形 (以上泉鏡花)
流燈や一つにはかにさかのぼる(飯田蛇笏)
百物語果てて点せば不思議な空席
壺の中に鬼居て薔薇を開かしむ
寒鴉死者を甦らすこと勿れ
忘却の扉を開く銀の鍵つめたし(以上内藤吐天)
わが死後に無花果を食ふ男ゐて(下村槐太)
すいときて眉のなかりし雪女郎(森澄雄)
人死んで沼へあつまるシャボン玉 (栗林千津)
ちがふ世の光がすべり芒原
眼のごとき沼あり深き冬の山(以上鷲谷七菜子)
或る闇は蟲の形をして哭けり (河原枇杷男)
身の内の暗渠を桜流れたり(冨田拓也)
以上『怖い俳句』より
鬼もまた白き歯もてり夏の闇
献血車墓地より出でぬ神無月
深海の花に口ある異形かな
ばけものと言われ驚く半魚人
四枚のカードを伏せて笑いけり(以上倉阪鬼一郎)
以上『悪魔の句集』より