:HENRI DE RÉGNIER『Histoires incertaines』(アンリ・ド・レニエ『さだかならぬ話』)


                                   
HENRI DE RÉGNIER『Histoires incertaines』(MERCURE DE FRANCE 1919年)

                                   
 レニエの詩集『Les Médailles d’Argile(粘土牌)』を入手したのがきっかけで、訳詩などを眺めているうちに、『碧玉の杖』などの美しい文章を思い出したので、しばらくレニエを読もうと思います。その第一弾。

 生田耕作旧蔵書。先日読んだ『永井荷風とフランス文学』で、パリで出版されたばかりのこの本を堀口大學が日本に居る荷風に送ったことが書かれていたので、荷風もこの本を読んだと思われます。荷風は「確ならぬ話」と訳しています。ちなみに堀口大學は「さだかならぬ話」と訳していて、朧げな感じが出ているので私はそちらの方を取りました。

 これまで、レニエの本は学生時代の『生きている過去』『ある青年の休暇』『燃え上がる青春』に始まり、比較的近年の『水都幻談』『碧玉の杖』など、いろいろ読んできましたが、そのなかでは最高作ではないでしょうか。本年の仏語読書のなかでも最高に面白かったと思います。

 3つの中篇が収められていますが、共通して感じられる魅力は、作品の背景にたえず感じられる古い時代への憧れです。古都ヴェニスやフランスの地方の貴族の古びた館が舞台となっていて、ヴェニスの町に張り巡らされた水路や路地、貴族の館の庭園の魅力を描き、18世紀の建築や装飾様式、家具調度の素晴らしさを褒め称える一方、骨董や書籍への愛を語っています。

 これらの作品の特徴としては、饒舌な語り、克明な描写のなかで、つねに隠され遠巻きにしかほのめかされないものがあることで、現実の背後に別の世界の存在が感じられ、それが物語の核心につながっているということです。「L’ENTREVUE(対面)」では、主人公をとりまく人たちが奉じているオカルト的世界であり、「LE PAVILLON FERMÉ(閉じられた館)」では、結局見ることの叶わなかった貴婦人の図像であり、「MARCELINE OU LA PUNITION FANTASTIQUE(マルスリン、幻想のなかの懲罰)」では、妻が懇意の医師らと企てている陰謀です。

 もう一つの特徴は、手を変え品を変えながら何度も同じような表現が出てくるところで、冗長とも思えますが、ワーグナーマーラーの音楽のように、その気分に浸る長い時間こそが魅力ということも言えるでしょう。これは後期ロマン主義の特徴の一つではないでしょうか。作品の技巧がリアリズムや心理主義を経てどんどん高度化して複雑になり豪壮な建築物になっているというわけです。何度も同じような描写が少しずつ表現を変えて出てくるのは、単語もよく覚えられるし語学の勉強にもたいへん役立ちます。

 と書いた後でネットを見ていたら、国書刊行会から出ている「書物の王国」シリーズで、「L’ENTREVUE(対面)」と「MARCELINE OU LA PUNITION FANTASTIQUE(マルスリン、幻想のなかの懲罰)」が翻訳されているのに気づきました。「対面」は『書物の王国11分身』、「マルスリン」は『書物の王国7人形』いずれも志村信英訳です。参考にさせていただいたHPは「翻訳作品集成http://ameqlist.com/」というページで重宝しています。


 各篇を簡単に紹介します。                     
◎L’ENTREVUE(対面)
 鏡像が重要な役割を果たす幻想小説。古い時代のヴェニスを愛するフランス人の主人公が友人の斡旋でヴェニスの朽ち果てた館を借りるところから話は始まる。冒頭で伏線としてその友人が美術館からある男の彫像が盗まれた話をするが、その彫像と同じ人物を描いた肖像画を館の中で見つけ、それがこの館の18世紀の当主だったことが分かる。主人公が古色蒼然とした部屋で夢想に耽っていると、ある夜鏡のなかに自分の姿が映ってないことに気づく。何日かして今度は鏡のなかに昔の当主がいるのを見つけた。相手も主人公の姿を認めたのか不思議そうな顔をしてこちらを見つめていた。向う側の世界とは鏡一枚でしか隔てられていない・・・。そしてついに鏡が割れて主人公は大怪我をし、それと符合するように男の肖像が見つかった。それがひび割れていたというのが幻想味を盛り立てている。
 ところどころに『水都幻談』を思わせる文章がはさまっていて、詩と物語の中間のような、美酒を飲んでいるかの如き格調高い洗練された味わいがある。館をあっせんした友人が狂言回しのような役割をしていて、これはジャン・ロランのブーグロン氏を彷彿とさせ、また主人公の館に対する趣味が横溢していて、これは『さかしま』のデゼッサントと似ている気がする。最後のほうで、館が崩れ落ちていく感じはポーの『アッシャー家の崩壊』でしょうか。
 潮が高まりサンマルコ広場が湖になる場面があるが、高潮は昔からの現象だったみたいだ。


◎LE PAVILLON FERMÉ(閉じられた館)
 廃墟小説。この小品でも、「対面」のヴェニスの古い館と同様、荒廃した東屋が主役のようになっている。この作品でも、庭や建物、部屋の描写が魅力的。
 ロココ時代の資料を蒐集している主人公が、18世紀の貴族がある夫人に送った恋文を入手する。その恋文のことを夫が知り彼女を東屋に幽閉したので、彼女はラ・トゥールが描いた自らの肖像画を眺めながら死ぬまで蟄居したということが分かった。主人公は彼女に興味を持ち、その館の現在の持主を探し、その肖像画や他の資料を見せてほしいと手紙を書く。驚いたことに、かつての同級生が図書係をしていて、彼から承諾の返事が来た。ただし現在の当主は妻を亡くしてから中国学に凝っている老貴族で、東屋には絶対足を踏み入れるなと言っていると。肖像画を見るのを断念し書斎を調べるがその時代の資料は少なく、がっかりしてパリに戻る。3年後、老貴族が湯治に出て行ったので東屋に入れると友人から連絡があった。喜んで駆けつけたが、荒廃した東屋の部屋にあったのは、おぼろげな色の変化しか残っていない肖像画だった。


◎MARCELINE OU LA PUNITION FANTASTIQUE(マルスリン―幻想のなかの懲罰)
 コメディア・デラルテの操り人形たちが活躍するファンタジー。夢想家で骨董趣味の主人公、夫婦仲が悪く、関係をなんとか修復しようと行ったヴェニス旅行で、操り人形を買おうとしてまた喧嘩になる。旅行から帰ると妻の態度が一変し彼を病人扱いする。妻が懇意の医師と何か企んでいるらしい。スイスへ保養に行って帰ってくると、集めた骨董や家具が全部売られ妻の趣味に変えられていた。激怒した主人公が妻の揃えた家具調度を破壊すると、妻はしてやったりと笑い、「気違いだ」と、屈強な使用人に縛らせて物置に閉じこめた。すべては妻の陰謀だったんだと思いながら、物置のなかで一緒に捨てられた操り人形を見ていると、突然人形たちが動きだし・・・。
 現実を避け骨董や書籍に入り浸る主人公と、現実的な価値を重視する妻の夫婦対立が面白く描かれているユーモア小説とも受け取れる。操り人形が等身大になって主人公を救出し月の光の道を飛んでいくという場面はディズニーのファンタジーのようだし、結局、飲み過ぎての夢だったという落ちは作品の価値を下げてしまっている。
 留守の間に蔵書や集めた骨董を売り払われるという恐怖は他人ごとではない。