EDMOND JALOUX『LA FIN D’UN BEAU JOUR』(エドモン・ジャルー『好日の終わり』)


EDMOND JALOUX『LA FIN D’UN BEAU JOUR』(ARTHÈME FAYARD 1930年)


 エドモン・ジャルーを読むのは初めて。廣瀬哲士の『新フランス文学』で、アンリ・ド・レニエの弟子筋と紹介されていたので、読んでみました。「LE LIVRE DE DEMAIN」という叢書の一冊で、この叢書は、やや大判の判型、多数の挿画が特徴ですが、この本では、PAUL BAUDIERという人の木版画が32葉挿まれています。
    
 前回読んだデュマに比べ一転して文章が複雑になり、よく言えば、文飾豊かで繊細、悪く言えば、ややもったいぶって気取った文体となっています。アカデミー会員らしく、至る所に神話の神々や過去の文人の名前が出てきて、西洋古典の素養がちりばめられているところは、師匠のレニエを思わせます。

(ここからネタバレ注意)
 この小説の大筋をひとことで言えば、老いらくの恋の破局を見守る物語。その破局とは、68歳の作家の熱烈なファンである20歳の女性が、作品への愛を作家への恋と思いこむ一方、作家も女性の若さと精神性に恋心を抱くが、作家が自分の歳を考え身を引く形で弟子の作家を紹介した結果、女性が真の恋に目覚め弟子との交際が深まるにつれて、今度は嫉妬に苛まれるという筋立てです。

 その顛末を見守るのが、作家の親友の息子で、ベトナムで事業をしている「私」。ベトナムからフランスへ一時帰国し、久しぶりに会った作家の変貌ぶりに驚き、作家の住むヴェルサイユに部屋を借り、作家と頻繁に交流する半年?ほどの出来事が綴られています。最後は、ベトナムの共同事業者の急死を受けて、フランスを離れるところで終ります。

 物語のもうひとつの眼目は、本好きの多感な若い女性が、自分を作家の小説の登場人物の化身のように思いこむというところで、その女性が現実と架空の狭間に生きているような夢幻的な存在として描かれているところでしょう。知的な面もあり少女らしいところもある一方、官能的な魅力もあり、「私」もその魅力に惹かれているような筆致が感じられます。

 波乱を高める要素となっているのが作家の娘の存在です。貪欲な野心家で、父をアカデミー会員に指名してもらおうと運動したり、息子を出世させようとしたり、策謀を凝らすのに熱中していて、息子が父のファンの女性を見染めたので結婚させようと画策して、夏のあいだ、息子と一緒にヴェルサイユに避暑にやってきます。「私」は、彼女から、息子と女性の結婚がうまく行くよう父の作家へ働きかけてほしいと頼まれ、困惑します。

 結局、作家の娘は、女性の方に息子と結婚する気がないのを見て、無理やり夜にその女性が息子と二人きりになるようにお膳立てし、噂を立てて結婚せざるを得なくしようと画策しますが、作家と「私」がそれに気づいて、彼女を窮地から助け出します。

 この小説が書かれた1920年代は、フランスにおいてアジアに関心が高まっている時期だと思われ、小説中いたるところに、アジアが出てきます。「私」はサイゴンの広大な邸宅に住んでいますし、作家の娘の婿は海軍大将で若い頃安南に住んだことがあり、作家の娘の息子は軍隊で中国に派遣されて帰って来たばかり、「私」の共同事業者はフエで日射病で死に、作家の弟子はうだつが上がらずベトナムへの逃避を考えるという設定になっています。挿絵まで、鎌倉大仏らしき仏像が描かれていました。

 また舞台がヴェルサイユで、パリ通りとか、大トリアノン、小トリアノンとか、ネプチューンの泉にアポロンの泉、大運河、オレンジ園など、宮殿や庭園の情景がふんだんに出てくるのが、詩情を盛り上げているところです。師匠のレニエには、ヴェルサイユを謳った美しい詩集『La Cité des Eaux(水の都)』がありますが、ジャルーはそれを小説のなかで再現したと言えるのかもしれません。