フランスを舞台にしたエッセー二冊

  
赤瀬雅子『フランス随想―比較文化的エセー』(秀英書房 2007年)
西出真一郎『木苺の村―フランス文学迷子散歩』(作品社 2010年)


 フランスへ行くにも、まだロシアの上を飛べないので時間はかかるし、航空料金も高くなってるし、おまけに円安でホテル代も高いとあっては、なかなか行く気がしません。そんなわけで、本のなかでフランス旅を楽しもうと、フランスが舞台になっている二冊を読んでみました。

 赤瀬雅子は、比較文学を研究されているフランス文学の先生で、以前、『永井荷風とフランス文学』、『永井荷風とフランス文化』の二冊をこのブログでも取りあげたことがあります(2015年12月1日、2018年3月10日記事参照)。まだ日本からフランスに行く人が少なかった時代に留学し、その後も頻繁にフランスに渡って生活されている様子です。本書では、リヨン、コルシカ島、ムーラン、モンペリエ、スペインとの国境地帯などのフランスの各地方や、カルティエ・ラタン、サン・マルタン運河、ピクピュス墓地、サン・ルイ島、ヴォージュ広場など、パリの各地区の様子が紹介され、居ながらにして旅した気分になれました。

 詩の朗唱法、シャトーでの宿泊体験、「海辺の墓地」の考察、文学ブラスリー、ノエル・ヌエットの授業を受けたことなど、面白い話題も豊富ですが、難点は、ひとつの事柄にとどまって十分に説明しないまま、表面をなぞった程度で次の話題に移ってしまう傾向があり、すんなりと頭に入らないところです。永井荷風比較文学論はおもしろく読みましたが、随想はもう少しのんびりしたペースの方がいいのかも知れません。


 『木苺の村』は浜松の古本屋で偶然見つけたもの。西出真一郎という人は知りませんでしたが、三重県の高校の国語の先生だった方で、詩や俳句を書いていて、定年後、フランス各地を旅してまわっているようです。序章を読み終えたところで、ハタと本を膝の上に置いて嘆声を洩らしてしまいました。わざとらしいと言えば言えるのかもしれませんが、なかなかの技巧派です。新年早々いい本にめぐり合えました。序章では、さりげなくフランス旅で出会った人々との交流を描き、その中の一つのエピソードから、自分が幼かったころの思い出に飛び、慕っていた叔父の戦死という悲しい出来事に触れた後、再びフランスに戻って、なぜフランス旅に行くようになったかの動機を述べて、すばらしい導入部となっています。

 その動機とは、フランスの物語をこよなく愛し、その舞台となった土地を訪ねてみたいということです。第一章のシャルル・ルイ・フィリップの『母への手紙』にはじまり、第十章のランボーの生まれた町にいたるまで、各章がだいたい一冊の本とその舞台を旅したときの話になっています。幼いころの思い出、感銘を受けた読書体験、波乱にとんだ旅の描写の三つの軸が切り替わりながら展開し、余韻を残すすばらしい終り方になっています。勝手な感想ですが、清水茂の初期フランスものや、久世光彦の過去追憶を思わせるものがありました。

 なかで、感動的だったのは、第一章から第五章までの各篇。第六章以降も、少し熱量は下がりますが、味わいのある筆致の佳篇ばかりです。うまく伝えるのは難しいですが、第五章までを簡単に紹介しますと(ネタバレ注意)、

第一章は、シャルル・ルイ・フィリップの生まれ故郷セリイィの民宿家族との交流が描かれるとともに、戦中から戦後にかけて国民学校のとき読書の楽しさを教えてくれた先生や村のいくつかのお店の思い出が語られ、最後に先生が亡くなったことを知るところで終わる。

第二章は、『家なき子』の舞台シャバノン村への旅で出会った日本の若者との交流と、幼い日に名古屋城で迷子になった体験、『家なき子』を借りた女の子の思い出、さらには芭蕉の『奥の細道』に登場する少女の話がないまぜになった一篇。

第三章は、ロマン・ロランの生地クラムシーを訪ねる旅で、ロマン・ロラン記念館で出会った沖縄の親子から、悲運の人生が語られる話。館長の元気な息子と、車椅子に乗った沖縄の息子の対比が悲しい。

第四章は、小説風の語りで始まるが、それは、フレース・カルヴァデスという村に著者が泊ったときの民宿の娘と放浪の旅をしている日本人の若者の出会いの物語。若者には日本に恋人が居て、その後の顛末が語られる。

第五章は、読者から、自分が訳したものと、一冊の訳詩集が送られてきた。フランス文学を志し東京大学に入学したものの1日で退学した女性で、ラ・ロシェルへ旅したとき、カフェの主人から無名の詩人が書き残したノートを見せられ、それを訳したものという。いい詩だったので、後年、連絡するとその女性はすでに亡くなっていた。

 この人は他にも何冊か書かれているようですから、それらの作品も読んでみたいと思います。