:柳澤健譯『現代佛蘭西詩集』


アンリ・ド・レニエポール・フォールアルベール・サマン柳澤健譯『現代佛蘭西詩集』(新潮社 1924年

                                   
 昔から古本屋で時々見かけていましたが、よくあるように大勢の詩人の作品を集めたアンソロジーだと思っていました。先日の東京の古書市で、なかを展いてみてレニエとポール・フォール、サマンの三人それぞれの小詩集だと分かって、今いちばんお気に入りの面々だし訳者も柳澤健だったので、少々値は張りましたが購入しました。「自序」に、これは上巻で、下巻として、グールモン、ジャム、ノアイユ伯爵夫人の詩章と、フランス詩壇の趨勢を叙述した一文を載せると書いてありましたが、見たことがないので、おそらく出なかったのでしょう。

 レニエ詩集は、36篇の詩と巻頭にジー・ワルクのレニエ論、ポール・フォール詩集は、35篇の詩とビール・ルイ(ピエール・ルイス?)による評論、サマン詩集は、25篇の詩とフランシス・ジャムの「サマンを思う」を収めています。レニエの詩は、小説と同様、失われた過去への思いを歌った詩が多く、象徴主義を体現したような詩の作り方をしていて、天性の詩的感覚の所有者という気がしました。サマンは、夕暮れの光景や静けさを歌っていて、まさしく「黄昏の詩人」と呼ぶべき人です。ポール・フォールの作品は、少し理屈っぽく、躁病気味な所が感じられ、また戦意高揚の詩を書いていたりして、やや失望しました。

 ウォルター・デ・ラ・メアの詩作品を読んで以来、象徴詩を「謎の牽引力」の観点で読む癖がついています。ここに収められた詩人たちは象徴派の範疇に入ると思いますが、そういう意味の作品は少ないというふうに感じました。謎が魅力を放っていた詩は、レニエ詩集では、〈足跡の神秘(ふしぎ)〉〈幻影(まぼろし)の額〉〈物言はぬスフインクス〉〈假面〉という言葉が出てくる「悩める大地は夢の血を飲み・・・」、〈決して質(たづ)ねてはならない〉や〈喚起(よびおこ)してはいけない〉など否定形をたたみかける「秘密」、〈径〉を歌い続けることによってどこへ連れて行かれるかと思わせる「賞牌の周縁」、神話的な世界を歌った「花瓶」、否定形を積み重ねてある女性を描く「聖らかな身体のルーサンド」。

 ポール・フォール詩集では、楽しさと不吉さが入り混じった境地を歌った「この娘みまかりぬ、戀の真中に」と「空は陽気だ、時は楽しい五月だ」、霧の中に姿を隠した町を歌う「サンリス町朝色」、〈ヌルール〉という地名らしき謎の言葉の使い方が不思議な魅力を放つ「地平線」、サマン詩集では、廃墟を通して過去の栄華をしのぶ「死せる都」、朧ろなるもの、脆きひびき、脆き色、繊細なる形、微かに触れゆく押韻、夢が螺旋の形をして廻りゆく煙、黄昏など、かそけきものを歌った「慈愛」、ヴェールをまとった女性が踊りながらヴェールを透かして裸身を現わす「黄金の踵のパンニール」、夜の街から家並み、窓と焦点を絞って行って、婦人の影を認めたところで燈が消える「田園夜曲」。他にもあるかもしれませんが、気がついたところだけで。

 いいと思った作品は、レニエ詩集では、
◎「逝きし日に向ひて」「夜曲」「鏡影牧神」「花瓶」「緑色の水盤」「ニムフ」「亭屋」「ユージェヌ・カリエル」
〇「悩める大地は夢の血を飲み」「賞牌の周縁」「紡ぎ女」「ヴェルサイユ礼拝」「玄関」「聖らかな身体のルーサンド」「伏眼のエルヴィル」「アリーヌ」
ポール・フォール詩集では、
◎「モルフェ」「地平線」
〇「臨終の者に與ふるベルスーズ」「暮方の雲」「シャルル豪膽王ルーアン入城」「薔薇の悪魔と焔の悪魔」「平野の陽春」「牧羊神の悲哀」「サンリス町朝色」
サマン詩集では、
◎「悲歌」「夕暮」「死せる都」「慈愛」「唄」「ワットー」「田園夜曲」「伴奏」「池をめぐりて」「人魚」
〇「黄昏」「十月」「幸の島」「春の夕暮」「クレオパトラ」「涙」「ある女」「秋」

 気に入った詩句は、引用しだすと切りがないので、ごく短く少数にとどめますが、次のようなもの。
径は光ある方に走る(賞牌の周縁)/p36
爾の曲折ある径は何処を人の曲れるやも見分き難し。爾が導く街こそは見知らぬ旅人には美しく、またその戸口に立てるわが歩みこそ楽しからむ(賞牌の周縁)/p38
白鳥はそこにありて水中に自(おの)れが黒き影を眺めたり。(鏡影牧神)/p41
鍵のうへ影のなかに現はれし手に物怖ぢぬ。(鏡影牧神)/p42
あらゆるものは、退きゆくものに向うてすすむ(唄その二)/p61
かはるがはるに交り合ふ黄金をもて、/黄色の枯葉と/漂ふ鯉とが/はてもなく迷ひゆくのを。(緑色の水盤)/p86
以上、レニエ詩集。


小娘は自分の影の上を縄跳びしながらやって来る(初めての逢引)/p190
以上、ポール・フォール詩集


最終(いまは)の光は、汝が指環に悩めり。/わが妹よ、聴かざるや、何ものか死にもてゆくを!…(悲歌)/p286
黄金色せる古代の軍艦(ふね)は岸をば見捨てたり。/かくて戀人は船首に凭れりて物思ひつつ、/晶玉の夜のなかに笛(フリユト)の音の死にゆくを、遠く聴く。・・・(ワットー)/p299
一夜を君の蠱(まど)はしき夢のなかに生きむ(ワットー)/p299
影は優し・・・・なべては憩ひぬ(ワットー)/p300
わが魂よ、古き石の橋のうへに汝の身を凭りかけ、/河川のよき匂ひをば呼吸(いき)せよ。(田園夜曲)/p302
黄金の箙より新しき矢をとりて、/美しき眼を蔽ひたるこの惨虐の少年(春の夕暮れ)/p311
以上、サマン詩集。


 柳澤健の訳しぶりもなかなかよい。文語で訳したものと口語のものとがありますが、文語で訳したり詩を書いたりするのは戦後生まれの人にはなかなか難しく、果敢に挑戦した作品を見たこともありますが、成功しているとは言い難い。とすると、明治以後、上田敏あたりの登場からわずか数十年で文語体自由詩の伝統が消えてしまったわけで、そういう意味では貴重な詩集だと思います。

 レニエ、ポール・フォール、サマンの他の訳詩や原詩とも比較してみたいと思って、所持している本をいったん集めてみましたが、時間の余裕もなく、私の能力にも余るので、次の機会にしたいと思います。