:柳澤健譯『現代佛蘭西詩集』の続き―他の訳詩と比較

 前回の『現代佛蘭西詩集』のなかから、何篇か選んで、柳澤健の訳と他の人の訳を比べてみました。共通で訳している詩が少ないのと、原詩を探し当てるのに難渋しました。当然入るべき永井荷風鈴木信太郎柳澤健と重複している詩篇が見つからなかったので、今回は割愛。

 参照したのは、下記の訳本です。
上田敏海潮音』(ほるぷ名著復刻昭和52年、元は明治38年)、山内義雄譯『仏蘭西詩選』(新潮社、大正12年)、金子光晴譯『近代仏蘭西詩集』(紅玉堂書店、大正14年)、堀口大學譯詩集『月下の一群』(ほるぷ名著復刻昭和55年、元は大正14年)、大木篤夫訳著『近代仏蘭西詩集 普及版』(アルス、昭和3年)、山内義雄他譯『世界文學全集37近代詩人集』(新潮社、昭和5年)、堀口大學譯『ポオル フオル詩抄』(第一書房昭和9年)、中込純次仏蘭西譯詩集『海の墓』(文園社、昭和17年)、堀口大學譯詩集『月下の一群』(新潮文庫、昭和30年)、内藤濯/村上菊一郎他訳『世界名詩集大成 フランスⅡ』(平凡社、昭和34年)、斎藤磯雄『近代フランス詩集』(講談社文芸文庫、95年)、『西條八十全集5 訳詩』(国書刊行会、95年)、安藤元雄他訳『フランス名詩選』(岩波文庫、98年)。

 まず詩型から言うと、文語定型の形から大きくは踏み外していない訳し方と見られるのは、上田敏、大木篤夫、斎藤磯雄。基本は文語だが自由詩型を用いているのは、永井荷風堀口大學柳澤健鈴木信太郎、中込純次。彼らには口語で訳している詩もありました。口語自由詩で訳しているのは、内藤濯金子光晴堀口大學山内義雄、村上菊一郎、西條八十安藤元雄。うち内藤濯は文語自由詩もあり。

 視点を変えて、言葉遣いから言うと、古語雅語が目についたのは、上田敏、斎藤磯雄、鈴木信太郎金子光晴内藤濯は口語であっても言葉遣いが古風で、村上菊一郎、西條八十安藤元雄らは平明な口語を使っていました。戦前出版のものはルビに特徴があり、堀口大學、斎藤磯雄、柳澤健らは、それをうまく活かしていると言えましょう。

 意訳というか、かなりな部分訳をしていたのが上田敏で、原詩と対照してはじめて分かることもあるということに気づきました。また同じ堀口大學の訳でも、本が変わるごとに少しずつ訳が変わっています。

 それぞれ個性が出ていて、どれが一概にいいとは言えないところがあり、また私の鑑賞能力にも限りがあるので、大雑把な印象でしかありませんが、私の好みから言えば、おおむね次のような感じです。
①調子から言えば、柳澤健のような文語自由詩がいちばん魅力的。言葉が非日常的で少し解りにくい分、神秘的な雰囲気も漂っていて、それが詩的情緒に結びついている。
②口語詩の場合は、金子光晴内藤濯のように、調子よりも意味に重点を置いた詩の方が、言葉が心臓にぐさりと突き刺さるような印象がある。フォールの「輪舞」の訳詩を見ても、原詩の調子を日本語に移そうとするばかりに、軽さが浮き出てしまっている気がする。もともとの詩がそうとも言えるが。
③ということは、俳句と短歌は別だと思うが、日本の詩の場合、あまり音数律にこだわるよりも、無意識の調子に委ねた方が優れた詩となる場合が多いということではないか。言い換えれば、その無意識の調子の秘密を探ることが研究者の課題とも言える。

 つまらぬまとめよりは、実際の訳を見た方がいいので、断片になりますが、まずはHenri de Régnier「ODELETTEⅠ」の一節。( )で括っているのはルビ。
Ceux qui passent l’ont entendu/ Au fond du soir, en leurs pensées,/ Dans la silence et dans le vent,/ Clair ou perdu,/ Proche ou lointain...
通り過ぎる人々は、/ 夕暮れの奥深く、/ おのが心のなかに、/ そのひびきを耳にした、/ 沈黙(しゞま)のなかに、風のなかに、/ 明らかに、はた仄(ほの)かに/ 近く、はた遠く…(「唄」柳澤健譯)。
行く人きゝぬ、その唄を、/ 夕べの奥に、胸(むな)ぞこに/ 沈黙(しゞま)のさなか風のなか/ いとも冴やかに、また仄(ほの)に/ いとも遥けく、また近く…(「小曲」大木篤夫譯)
過ぎゆく人心に聞けり、/ 黄昏深く葦の笛、/ 沈黙(しじま)の中に、風の中に、/ 或ひは澄み或ひは消え、/ 近く遠く…。(「小曲」中込純次譯)
通りかかりの人たちがその音を聞いて行った、/ 夕ぐれの底、こころのおく、/ 沈黙のうち、風の中、/ 朗らかにまたはかすかに、/ 近くまたとほく…。(「唄」堀口大學訳―『月下の一群』初版、文庫版では「行った」が「過ぎた」になっている)

Albert Samain「ACCOMPAGNEMENT」の一節。
Comme de longs cheveux peignés au vent du soir,/ L’odeur des nuits d’été parfume le lac noir./ Le grand lac parfumé brille comme un miroir.
黄昏の風の梳くなる丈髪と/ 夏の夜の匂は暗き湖の薫りに/ みづうみ廣にかぐはしく/ 手鏡の如(ごと)きらめけど(「伴奏」柳澤健譯)
夕(ゆふべ)の風(かぜ)に櫛(くし)けづる丈長髪(たけなががみ)の匂(にほ)ふごと、/ 夏(なつ)の夜(よ)の薫(かをり)なつかし、かげ黒(くろ)き湖(みづうみ)の上(うへ)、/ 水(みず)薫(かを)る淡海(あはうみ)ひらけ鏡(かがみ)なす波(なみ)のかがやき。(「伴奏」上田敏譯)
夕風に梳(す)かれる丈長の髪のように、/ 夏の夜のかおりは蔭暗い湖を匂わせる。/ 香りひろがる湖の鏡のような輝きよ。(「伴奏」内藤濯譯)
夕風に吹かるる髪に似て/ 夏の夜のものの香は黒き湖を匂はしむ/ 香(かぐ)はしき湖は鏡の如く輝き出づ。(「相伴」堀口大學譯―『月下の一群』初版)
夕風なぶる髪に似て/ 夏の夜(よ)のものの香(か)は黒き湖(みづうみ)を匂はしむ。/ 香(かぐ)はしき湖は鏡かと輝き出でつ。(「相伴」堀口大學譯―『月下の一群』文庫版)

Albert Samain「ÉLÉGIE」の一節。
Voice que les jardins de la nuit vont fleurir./ Les lignes, les couleurs, les sons deviennent vagues./ Vois, le dernier rayon agonise à tes bagues./ Ma sœur, entends-tu pas quelque chose mourir!...
實に夜の庭園(には)はやがて花咲きいでむとす。/ 線や色や響は朧となりぬ。/ 見よ、最終(いまは)の光は、汝が指環に悩めり。/ わが妹よ、聴かざるや、何ものか死にもてゆくを!…(「悲歌」柳澤健譯)
「夜」の苑生(そのふ)は今まさに花咲かんとする気色(けはい)あり。/ 線と、色と、物の音(ね)と、なべて朧(おぼ)ろに霞みけり。/ 見よ、臨終(いやはて)の陽の光、君が指輪に悶(もだ)ゆるを。/ 聴かずや今し、吾妹子(わぎもこ)よ、何かは知らね、絶え入るを。…(「エレジイ」斎藤磯雄譯)

Albert Samain「LES SIRÈNES」の一節。
Diaphanes blancheurs dans la nuit émergeant,/ Les Sirènes venaient, lentes tordant leurs queues/ Souples, et sous la lune, au long des vagues bleues,/ Roulaient et déroulaient leurs volutes d’argent.
瑠璃の夜を白く透きもて/ 人魚は来る、なよびつも/ 尾鰭の悩み嗟嘆(なげかひ)つ/ 月かげ長き波の青/ 捲きては返す浪の渦(「人魚」柳澤健譯)
夜闇を浮びづる透明な白、/ 人魚らは、静かに、月の光の青波にしたがひ/ 柔軟(しなやか)な尾をねぢりつゝやつてきた。/ 銀の渦を巻いては、擴げ…(「人魚」金子光晴譯)

Paul Fort「LA RONDE AUTOUR DU MONDE」は多くの訳がありました。
Alors on pourrait faire une ronde autour du monde,
si tous les gens du monde voulaient s'donner la main.
さうした風に世界の周りに圓舞(ロンド)ができあがるに違ひない、若しか世界中の人々が手を組み合はさうといふ気だつたら。(「圓舞」柳澤健譯)
世の人たちが悉く/ 手を握り合ふその時は、/ 地球をめぐつて輪踊りを/ 踊る事さへ出来ませう。(「輪踊り」堀口大學譯―『月下の一群』初版)
世界ぢゆうの人たちがみんな、/ 手を握り合ふ気にさへなつたら、/ 地球をめぐって輪踊りを、/ 踊る事さへ出来ように。(「輪踊り」堀口大學譯―『月下の一群』文庫版)
世界ぢゆうの人たちがみんな、/ 手を握り合ふ気にさへなつたら、/ 地球をめぐって輪踊りを、/ 踊ることさへ出来よう。(「輪踊り」堀口大學譯―『ポール・フォール詩集』)
だから世界の人々がみんな手に手をつなぐなら 地球をぐるりとひとまわり 輪舞(ロンド)おどりができようもの。(「輪舞」村上菊一郎訳)
そこで世界の人達が、みんな手に手をとったなら、/ 世界のぐるりを一周(まはり)、輪舞(ロンド)をどりが出来ませう。(「輪舞」山内義雄譯)
だから世界の人たちが/ みんな手と手をつないだら/ 世界の端から端かけて/ ぐるりと踊つてまはれませう。(「輪踊」西條八十譯)→総ルビだが省略した
だから世界をとりまく輪舞(ロンド)も踊れよう、もしも世界中の人々が手をつなごうとするならば。(「世界をとりまく輪舞(ロンド)」安藤元雄訳)