吉岡実の詩集二冊

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吉岡実詩集』(思潮社 1968年)
『新選吉岡実詩集』(思潮社 1978年)

 引き続いてイロジスムの詩、これも学生時分に心酔していた吉岡実です。シュルレアリスム詩と言えばいいのでしょうか、その手の難しさがあります。初期の詩について本人も北園克衛が格好いいと思って真似をしたというようなことを告白していますし(『新選吉岡実詩集』p106)、『紡錘形』や『静かな家』の幾篇かは自動記述で書かれているのではと思えるものがあります。また「美しい旅」(『僧侶』所収)などは安西冬衛の影響がある気がしますし、『神秘的な時代の詩』の幾篇かには鈴木志郎康に似ているようなところも感じました。

 気に入った詩のタイトルを以下に。
◎過去(『静物』)、紡錘形Ⅰ(『紡錘形』)、突堤にて(未完詩篇)〈以上『吉岡実詩集』〉、回復(『僧侶』)〈『新選吉岡実詩集』〉

静物1,2,4、挽歌、犬の肖像(『静物』)、告白、苦力、聖家族、喪服、死児(『僧侶』)、馬・春の絵、桃(『静かな家』)、サーカス(「拾遺詩篇」)〈以上『吉岡実詩集』〉、或る世界、樹(『静物』)、喜劇、冬の絵、美しい旅(『僧侶』)、首長族の病気(『紡錘形』)、サフラン摘み、聖あんま語彙篇、舵手の書(『サフラン摘み』)〈以上『新選吉岡実詩集』〉


 学生の頃の評価を見ても、「静物」、「僧侶」などに〇がついています。しかし、学生の頃あれほど熱中していたのに、歳を取ると欠点が目につくようになりました。今回読み進めていて、『紡錘形』ごろから卑近な表現が混じるようになりまず失望し、さらに『静かな家』から『神秘的な時代の詩』になってくると、作品に対する信頼が崩れて続けて読む気も失せるほどで、『サフラン摘み』冒頭の「サフラン摘み」まできて、ようやくホッとしたぐらいです。学生の頃きちんと読めていたのか疑問に思ってしまいます。

 難解な詩のなかでも、いいと思う詩と読んでいてつまらない詩があるが、どうして違うのか、何が違うのか、受ける側の感覚で考えてみると、次のようなことではないでしょうか。
①つまらない詩は、焦点が定まらず拡散した印象を受けて、詩句に集中できないのに対し、面白いと思う詩は、張り詰めていて、何かに収束した凝縮したものが感じられる。物理用語を使えば、エントロピーとネゲントロピーということになるか。

②何が面白い詩を張り詰めたものにしているか、ひとつは作品全体を通して通奏低音のようにつなげるものがあるように思う。ストーリー性がなくバラバラのように見えても、何か関連する語が飛び飛びにあってつないでいるとか、謎を追うかたちになるので支離滅裂な展開であっても興味をつなげているとか、また無意識の領域で実は通底器のようにつながっているなどが考えられます。吉岡本人が、「わたしの作詩法?」で「能動的に連繋させながら、予知できぬ断絶をくりかえす複雑さが表面張力をつくる」(『吉岡実詩集』/p102)と書いているのもそのことを指していると思います。これは脳科学用語で言えば、シナプスか。

③つまり面白い作品とは一個の生命体となっているということではないだろうか。このつなげているものが何なのかについては、個々の作品に即してもう少し考えてみる必要がある。


 それは別として、吉岡実の詩の特徴を考えると、まず目につくのが家族を表す言葉が頻出していることです。父、母、兄、姉、夫、妻、妻子、両親と家族を直接示す言葉の他に、異父弟、族長、家系という少し広がった言葉、さらには人の属性を示す老人、老婆、少年、少女、花嫁、赤ん坊などがあり、胎児、次には死児にまで至ります。この「死児」を詩語として見つけたのが吉岡実の功績のひとつでしょう。これは吉岡実のもう一つの大きな詩語である「卵」と関係があるのかもしれません。ほかに属性としての職業を示す言葉、運転手、理髪師、床屋、女中、医者、船長、パン職人、マダム、下宿の女主人、老給仕、兵士、老裁縫師、判事、舵手などが出てきますが、どこか芝居の台本のような印象を受けます。

 もう一つの特徴として、詩の語り手がいて、一人称が圧倒的に多いことです。二冊の詩集を通して、「わたし」22、「ぼく」18、「わし」1、「わたしたち」5、「われわれ」6、「われら」1、「ぼくら」3、「ぼくたち」2、合わせて58篇(125篇中)ありました。上記の「家族」の頻出を考え合わせると、どうやら吉岡実は自身にまつわることに囚われていて、生い立ちや家族に対して思いが強いことが分かります。ところが一方で、とくに『液体』など初期の詩には、一人称を排した造型的な冷ややかな作品があり、本人も「『僧侶』や『静物』は、日本のウェットな風土や近代性に反発して書いたものです」(『吉岡実詩集』p138)と言っているように、土着的なものや家族などから離れていたいという願望も垣間見えることから考えると、家族や粘着的なものに対するアンビバレントな感情があるように思えます。

 詩の技法で、いくつか気づいたことを書いておきます。
①面白い技法では、とくに初期の詩において、作品の終わり方、最後の1、2行のフレーズが印象的で、作品がきりっと引き締まった感じがすること。例えば『吉岡実詩集』から、「ときに/大きくかたむく」(p10「静物1」)、「最初はかげを/次に卵を呼び入れる(p11「静物2」)、「そこから充分な時の重さと円みをもった血がおもむろにながれだす」(p21「過去」)、「ここでこの事実は他の人に告げられる」(p22「告白」)などの終わり方。

②『紡錘形』や『静かな家』から『神秘的な時代の詩』には、「?」や「!」を使った行が多く見られる。がこれは成功しているとは思えない。

③『サフラン摘み』の「聖あんま語彙篇」あたりから、書物や発言の引用を交える技法が目立ってくる。これは面白いと思う。だんだん理屈っぽくなってくるが、逆に理路整然として来て読みやすくなった。

④イロジスムの詩として見た場合、無駄な説明が多いように思う。「秋のくだもの/りんごや梨やぶどうの類」(「静物1」)などは説明に過ぎる。


 最後に、面白いと思ったフレーズと短歌を引用しておきます。まず詩のなかのフレーズ。
その男はくもの巣のいとにひっぱられて 地に伏してゆく陰惨な形態をとる(「単純」『吉岡実詩集』p26)

次々に白髪の死児が生まれ出る(「死児」『吉岡実詩集』p39)

その夜の窓をのぞく鳥はどれも 死んだ妻の髪のかたちをするので射ち落す(「喜劇」『新選吉岡実詩集』p12)

赤ん坊は力つきそこから先は老人が這う(「衣鉢」『新選吉岡実詩集』p21)


 次に、歌集『魚籃』より。
夜の蛾のめぐる燈りのひとところめくりし札はスペードの女王

白孔雀しづかにねむる砂の上バナナの皮の乾きたる午後

手紙かく少女の睫毛ふるふ夜壁に金魚の影しづかなり

黒猫のかげひきよぎる宵の町犯人は手錠をはめられてゆく(以上『吉岡実詩集』p84~86)