:Jean Lorrain『Princesses d’ivoire et d’ivresse』(ジャン・ロラン『象牙と陶酔の王女たち』)

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 生田耕作先生架蔵本で、山本六三によると思われる蔵書票も付いています。


 私にとっては少し大きい本なこともありましたが、読み終わるのに40日と少しかかってしまいました。会社へ行かなくなったので、少しはペースが速まるかと思っていましたが、期待したほどは変わりません。

 相変わらず意味不明のまま読み飛ばすところが多々ありますが、ショックだったのは、編集後記の『仮面物語』の引用文によく分からない部分があったので、小浜俊郎の訳本を引っ張り出して調べていたら、すっと読めていた筈のところにも大きな誤読があったことです。文法書を丁寧に勉強しなくてはと思いを新たにしました。


 内容は、ジャン・ロランのこれまで翻訳で読んだものとは少し違って、お伽噺と散文詩の間に位置づけられるような作品です。印象派の音楽のように、華やかで優美なところがあるかと思えば、お伽噺風でも子どもには聞かせられない退嬰的な感覚のところや残酷な面もあります。

 色鮮やかであること、花や動物の名前、宝石、沼や池、古代の建物、王制や宗教の役職にまつわる用語、色や光、音、匂い、風に関する形容詞が頻出します。花の名前が頻出するところはユイスマンス『さかしま』を思わせます。

 素肌につけた宝石、きらびやかで豪華な衣裳、王冠の輝き、波打つ髪、繁茂する植物など、装飾的な描写がたくさん出てくるのは、モローやミュシャの絵と共通点を感じさせます。

 豊穣な世界が饒舌な語り口で展開して行きますが、このような作品を日本で書く人が居るだろうかと考えてみました。単語を鏤めて感覚的な世界を造形する文章の作り方は泉鏡花に近いという気がします。

 全編に貫かれているのは、幼い日々への郷愁、過去への郷愁です。それが秋の色調、昔の服装、古い建物、月の光、水の音、蘆を切る音など、色合い、光、響きに満ちた美しい文章で綴られています。
 北欧の自然をテーマにした物語は、少し残酷さが影をひそめて美しくメルヘンチックです。


 このなかで佳作を集めて短編集を編むとすれば、La Princesse au Sabbat「サバトへ行く王女」、Narkiss「ナルシス」、La Princesse Ottilia「オティリア姫」、La Marquise de Spolète「スポレット侯爵夫人」、L’inutile vertu「役立たずの美徳」、Mélusine enchantée「魔法にかけられたメリュジーヌ」、Oriane vaincue「打ち負かされたオリアーヌ」、La Princesse sous verre「ガラスのなかの王女」、L’Anneau d’or「金の指輪」、La Mandragore「マンドラゴラ」をはずすわけには行かないでしょう。


 悪い面をあげれば、シャピロが『デカダンスの想像力』でデカダンス派凋落の原因のひとつとして指摘していたマンネリズムが感じられる点があります。前書きでロラン自身も「物語同士がお互いに似ているのは同じテーマを異なる国の楽器で奏でたからである」と言い訳を書いていますが、確かにくどいほど、同型の物語や描写が反復されています。

 またLe Prince dans la forêt「森の王子」やConte des Faucheurs「刈り取り譚」、L’amour brodeur「刺繍する愛」、Les Errants「彷徨える者」など、いくつかの短編は、寓意的に過ぎて感心しませんでした。


 面白かったのは、ジャポニズムの影響がこの本にも表れていて、日本が中国やアラビアとごっちゃになりながら登場するところです。La Jonque dorée「黄金の船」がそれで、Noukaの巨人と呼ばれる3人の日本人が、アラビア風のフード付き袖なし外套を着て獣のような大きな目をしている、と描写されています。/p238

 また、Sur un portrait「あるポートレート」で、猿のオーケストラの置物が出てきたのには驚きました。100年以上も前からあったんですね。


 齢のせいか読んでいる途中にやたらと眠くなるので、今回初めて立ち読みを励行しました。本格的な書見台がなく代用できる譜面台もないので、本棚に工夫をして、写真のように、簡易書見台をつけてみました。これなら眠くもならず、辞書を引くのに両手が使え大変重宝しました。