:ノディエ1冊と少し

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シャルル・ノディエ篠田知和基訳『シャルル・ノディエ選集5 夢の国にて』(牧神社 1976年)
シャルル・ノディエ鈴木健郎譯『コント・ファンタスティック』(酣燈社 1948年)


 しばらく続いたノディエもこれで終わり。『ノディエ選集』第2巻、第4巻は持ってないのと、所持してるGarnierのP.G.Castex編『Contes de Nodier』には篠田知和基訳のこのシリーズにも訳されていない数編があるが、とてもすぐ読めないので。


 『コント・ファンタスティック』は読んだと言っても、「トリルビー」「死人の谿」「蠺豆の寶と豌豆の花」は篠田訳と重複していて、「歌姫イネス・デ・ラス・シエラース」と「解説」だけを読んだだけです。

 「歌姫イネス・デ・ラス・シエラース」は、最終的には幽霊の正体が完全に判明してしまいますが、前半幽霊が登場するまでの部分で、主人公が冒険や伝説を巧みに織り交ぜながら盛り上げてゆくその語り口のうまさは名人芸。また後半幽霊の正体が分かってからの物語も、現実的な恋愛譚として素晴らしいと思います。

 鈴木健郎譯はその語りの面白さを十二分に訳しています。茶色くなった紙にかすれたような印字の効果もあいまって、物語のなかにぐんぐん引きこまれてしまう感じでした。一般的に、戦前の翻訳者は、明治期の文章や講談口調で培われたものだと思われますが、独特の話法を持っていて、とくに会話の文章に精彩を発揮しているようです。戦後の訳者は素直で簡明な訳が多いですが、その分味わいが薄くなっているような気がします。


 『ノディエ選集5 夢の国にて』では、
「恋の呪文―いかにしてわたしは悪魔に身を売ったか、幻想篇」と「睡眠中の現象若干について―夢の国」が秀逸の◎。前者は、前置きが長くて若干退屈しましたが、後半誤解や擦れ違いが連続し手に汗握るほどの劇的な展開を見せています。後者は、「眠りこそ思考のもっとも豊饒な状態」という前置きから出発し、夢遊病、夢話症、狂夢患者、果ては狼憑き、伝染性の吸血鬼症まで話が及んでいて、吸血鬼文献の古典とすべき作品。

 次に印象的だったのは、「ルーヴォワ侯爵の従僕(ポールと生き写し)真実にして幻想的な物語」と「ラ・メトリー氏の迷信」。前者は、篠田氏が「典型的な幻想小説の陰画的な世界」と言うように、死んだ息子と会えるという聖母の予言どおりに息子と生き写しの人物が登場するなど幻想小説の体裁を取りながら、最後はリアリズムの方に軍配が上がるという、見方によれば残酷な物語となっています。後者は、シャーロック・ホームズを読むがごとき推理の展開が面白い。

 ほか、アラビア風説話なので期待した「四枚のおふだ」は教訓的に過ぎるし想像力がいつものようには飛躍していないところが残念。同じパターンが何度も繰り返される「黄金の夢―近東民話より」も未完成の趣きあり。「人間と蟻―大昔の寓話」は稚拙な動物擁護が目にあまる。「そら豆の宝とスィートピー―お伽噺」はお伽噺に過ぎ、「カウチューの珍奇にして創造的なパラゲ=ルー旅行」は何を書いているのかよく分かりませんでした(ちょっと悪く言いすぎましたか)。


 最後に、これまで読んだなかで、ノディエの傑作選を選ぶとすれば、
「パン屑の妖精」「スマラ(夜の霊)」「トリルビー」「死人の谷」「歌姫イネス・デ・ラス・シエラース」「恋の呪文」「ベアトリックス尼伝説」「睡眠中の現象若干について」
といった感じになるでしょうか。