稲垣直樹『ヴィクトル・ユゴーと降霊術』


稲垣直樹『ヴィクトル・ユゴーと降霊術』(水声社 1993年)


 前回読んだ安齋千秋『フランス・ロマン主義とエゾテリスム』のなかの「ユゴーのエゾテリスト的稟質―ジャージー島での心霊術体験」という章が面白かったので、架蔵していた関連本を読んでみました。19世紀に大流行した降霊術がどのようなものであったか、ユゴーの降霊術体験の実態、ユゴーの死生観や思想、日本における降霊術のあり方や土井晩翠におけるユゴーの影響など、さまざまなことについて知見を得ることができました。

 まず降霊術がユゴー家にやってきた経緯については、次のような記述がありました。
①降霊術は古代世界から連綿と続いているものだが、19世紀の流行のきっかけは、1848年に、アメリカ、ニューヨーク州の片田舎に引っ越してきたフォックス一家の二人の姉妹が死者の霊を呼び出したということから始まった。爆発的な流行になったのは、二人がアメリカ全土を回って興行したのに加え、霊界からの通信をモールス信号を使ってやり取りする形になったのが大きな理由である。これにより、降霊術は、ある種の客観性を備えると同時に、技術的に容易になり、いつでも、どこでも、誰でも行えるようになった。

アメリカの流行がフランスに飛び火しパリでも大流行した。ちょうどユゴーナポレオン三世の暴政に異を唱えたことに端を発して、ジャージー島に亡命していたとき、パリ社交界の華のジラルダン夫人が訪ねてきて降霊術を持ち込んだ。それをきっかけにユゴーは、1853年9月から55年10月に至るまで、約2年間降霊術の実験に没頭することになる。

 ユゴーの行なった降霊術の具体的な仕組みを説明すると、次のようなことらしい。
ダイニングルームの四角いテーブルの上に小さい丸テーブルを置き、2、3人がテーブルにつき、離れたところに記録係や傍聴者が座る。テーブルがカタコトと音を立てるその数をアルファベットに置き換えるが、1回ならa、2回がb、3回がcという具合にして文字に置き直し記録。イエスかノーか尋ねるときは、1回がイエス、2回がノーである。

 ユゴーが降霊術で、実際に呼び出した霊は、過去の歴史的人物はもちろん、現在生きている人物、さらに動物、驚くべきことに抽象的な概念、例えば、劇、墓の闇、死、文明、輪廻などまで呼び出しています。人物の名前を列挙すれば、文学者としては、ダンテ、シェークスピアラシーヌモリエールシャトーブリアンら、音楽家では、モーツァルト、哲学者では、ソクラテスプラトンアリストテレスディドロ、ルソーら。政治家では、ロベスピエール、ナポレオン、ナポレオン三世、宗教家では、イエス=キリスト、マホメット、ルター、聖書の登場人物は、カイン、アベルモーセ、ユダ。

 不思議なことに、ただ単に霊が現われて何かを喋るだけでなく、テーブルが絵を描いたり、作曲したり、詩作したりします。これはテーブルの脚に鉛筆を括りつけたり、テーブルに鍵盤を弾かせたりするそうですが、ほんとにそんなことができるのか、信じられません。例えば、シェークスピアが新作を披露したり、モーツァルトが作曲し、モリエールが詩作をしたりする。そして、劇の霊が書きとらせた戯曲が、ユゴー自作の詩ととても似ていることに、ユゴー自身が驚き、ユゴーは盗作を疑われないように、しばらく降霊術の場に姿を見せなくなったと言います。

 そしてある日、劇の霊から、例えばヒキ蛙にあって不幸を、アザミにあって絶望をというように、動物たちや花々や石たちの命を問題にするような詩を作れと勧告されます。半年後、ユゴーがその命令を受けて完成させた詩が、ユゴーの哲学詩の最高傑作と言われる「闇の口の語ったこと」ということです。

 呼び出した霊が語ったことや、ユゴーの作品を通して、伝わってくるユゴーの死生観、思想といったものは次のとおりです。
①人間以外の被造物にも魂があるというアミニズム的な考えがあること。魂を宿しているのは薔薇だけではなく、鉄にも、青銅にもあり、刑罰用の首枷や拷問具も魂をもち苦しんでいる。ジャンヌ・ダルクに同情するなら、火あぶりにした火刑台にも同情するべきだ、と。そして人間、動物、植物、鉱物という存在の序列を考え、生前の行ないの良し悪しによって、魂が序列のなかで上昇したり、下降したりする輪廻転生を考えている。

②死後の世界について、ユゴーはかなり気になっていたと見えて、いろいろな霊に質問しているが、「闇の墓」の答えは、「死者たちの肩越しに、永遠なることどもを生者の目が解読することはない」、つまり生きている者には死後の世界は分からないとそっけない。また、「死」の答えは、死後の生は、自我が身内の死者たちの自我と溶けあって一体となると、神秘主義的な内容である。

ユゴーが、ナポレオンの霊に、50年後のヨーロッパがどうなっているか尋ねたところ、ヨーロッパ全体が一つの共和政となると答えており、「文明」の霊も、将来ヨーロッパ合衆国が確立していると予言しているが、ユゴー自身も、それに先立つ1849年のパリの国際平和会議の開会の辞で、ヨーロッパの統合を主張している。また文明の霊とのやり取りのなかで、婦人と子どもの権利を守ること、宗教と聖職者を分けて考えることなど、自分の考えが正しいかどうかを問い、「そのとおり」との答えを得ている。

 しかし、不思議なことは、霊の語る思想が、ユゴーが従来から抱いている思想と酷似していること、また語り口が、ユゴーの散文や詩に見られる対句表現や並列表現そのままなことである。著者は、降霊術の語るあの世は、いやになるほど、この世とよく似ていて、人間は所詮この世からの類推でしかあの世を思い描けなのかと嘆いています。


 最後に日本での降霊術のあり方と、降霊術が土井晩翠に与えた影響について記述がありました。
①日本では、降霊術の世界的流行を受けて、明治20年(1887)ごろから、コックリさんが大流行し、井上円了が世の迷妄を払拭するために科学的研究に打ち込んだ。少し時を置いて、東京帝国大学助教授の福来友吉が本格的な心霊実験に取り組み、日本的な「念写」の実験をしたり、英文学者の浅野和三郎心霊主義を日本神道と結びつけて自論を展開し、二人ともロンドンで行われた第3回スピリチュアリスト国際会議で成果を発表した。

土井晩翠は、英語だけでなく、ギリシア語、ラテン語、ドイツ語、フランス語にも堪能で、ユゴーの作品もフランス語で読んでいる。晩翠の「天地有情」の万物には心があるという言葉も、「闇の口の語ったこと」の重要なテーマとなるアニミズムとつながっており、『晩鐘』所載の詩には、ユゴーの影響が感じられる。また実際に、ユゴーと同じく、降霊術の実験をしたノートの記録が残っており、蔵書には高橋五郎『心霊万能論』など当時の心霊術に関する著作が多数含まれていたという。

 巻末の参考文献には、洋書を含めたくさんの書名が並んでいますが、ユゴーの降霊術についてかなり言及していた安齋千秋の本が挙げられていないのは、出版年もこの本より先なのに、不思議です。やはり近代文藝社の出版なので、目につかなかったのでしょうか。