横張誠『侵犯と手袋』

f:id:ikoma-san-jin:20200127080735j:plain:w150
横張誠『侵犯と手袋―「悪の華」裁判』(朝日出版社 1983年)


 ボードレールを続けて読もうと思いますが、手始めとして「悪の華」裁判に焦点を当てた本を取り上げました。「悪の華詩篇が雑誌に掲載され始めてから、『悪の華』が出版され、裁判が終わるまでを時系列に追いながら、ボードレール自身の生活、交友、文筆活動や、外部からの反応を克明に記述しています。その時代を眼前に見るようで、手に汗を握るような面白さがありました。

 文学評論というよりは、ノンフィクション的な読み物になっています。例えば、当時のフランスの印刷業や雑誌新聞書籍の出版社に対する政府の管理統制を調べ上げているところで、フランスは自由の国だという印象がありましたが、今の日本とは比べものにならないほど、厳しい言論統制が敷かれていたことが分かります。また口頭弁論など裁判記録を巻末にそのまま掲載しているところも面白く、ピカール検事の巧みな弁論には感心しました。ピナールは『ボヴァリー夫人』裁判での敗北の教訓を生かして、作品全体の評価には触れず、個々の詩篇について公衆道徳紊乱の罪が犯されたかどうかに絞り、さらに寛容な態度で穏やかな告発に留めるという戦略を取って有罪を導いたことが分かります。『悪の華』についてはいろんな評論がありますが、貴重な仕事だと思います。

 ボードレールや『悪の華』に対する当時の評価など、よく分かりました。
ボードレールは、まだ一冊の詩集も出していないのに、すでに過激なロマン主義の生き残りの詩人として名物で、ジャーナリズムも詩集が出版されたら叩こうと、手ぐすね引いて待っていた。

②1857年6月にようやく『悪の華』が出版されることになるが、43年の最初の詩篇の雑誌掲載から相当な年月が経っている。

③バンディという人が、『悪の華』が出版される前の56年3月から一年間の新聞雑誌のボードレール評を集計したところによると、20件の内ほとんどがポーの翻訳紹介者としてのもので、好意的な評価をしているが、詩についてはほとんど扱われておらず、扱われている場合も酷評だったという。

④『悪の華』初版本の献呈先リストが紹介されていたが、ゴーチェ、ユゴー、ドールヴィイら、海外ではロングフェローや、テニスン、ブラウニング、ディ・クインシーらが入っていた。

⑤『悪の華』出版後の著名な文学者の礼状の評がなかなか的確。引用しておきます。

フローベール:「一週間来一行一行、一語一語読みかえしているが、正直な話気に入ったしとりこになっている・・・それはまるで鋭い剣に施した金銀象嵌細工のようです」。

エミール・デシャン:「くらっとするような毒をすべて、その恐ろしい香りをすべて吸込んだところです。このような詩はあなただけが作れるものです・・・私は、あなたの作品によって明示されている詩と作詩法の奇跡について黙っていることはできません」。

バルベ・ドールヴィイ:「すぐれた言語駆使の技術から生まれた和らげ難い、激しい、凝縮した、よく響く詩はダンテのそれにも比すべきものである・・・詩集は秘かな建築構造、詩人の計算に基づくプランを持っているのであって、その全体から評価されるのでなければ・・・多くが見失われてしまう」。

ボードレールはそれまで誰も取り上げなかった「悪」のテーマを正面に据えたとはよく言われるが、これはサント=ブーブの次の言葉からきていることが分かった。「ラマルティーヌが天をとり・・・ユゴーが大地と大地以上のもの・・・ラプラードが森・・・ミュッセが、情念と目も眩む大饗宴を・・・他の者たちが、家庭や田園生活を・・・ゴーティエがスペインとその鮮やかな色彩を取ってしまっていました。何が残っていたでしょうか。ボードレールがとったところのもの・・・地獄」

⑦結局裁判が終わってから、ピナールの助言で、ボードレールは控訴を断念する代わりに、罰金を300フランから50フランに軽減してもらうという選択をし、そこにポーの翻訳「新異常な物語」への助成の名目で100フランが支給されたので、政府との取引では50フランの黒字となったこと。ピナールは判決で有罪を勝ち取るという名誉を得、ボードレールは裁判で詩集の宣伝ができ、損失も最小限にするという実を取った。

 印刷業、書籍出版販売業の免許制度は、意味内容の管理よりもはるか確実かつ容易なメディア管理の一環(p92)という言葉がありましたが、現在の日本のテレビの免許制を考えてみると、インターネットがフリーハンドでいろんな言葉をまき散らす世の中になった以上、テレビの免許制に何の意味があるのかと言いたくなってきます。