CHARLES BAUDELAIRE『Les fleurs du mal』(シャルル・ボードレール『悪の華』)

f:id:ikoma-san-jin:20200511072007j:plain:w150
CHARLES BAUDELAIRE『Les fleurs du mal』(Jean-Claude Lattès 1987年)
                                             
 この歳になって、ようやく『悪の華』を原文で読みました。翻訳のあるものはフランス語ではなるべく読まないようにしていますが、詩は別格。再版後の各種拾遺詩篇も入れて全166篇、文庫サイズの本ですが437ページもあり、結構な時間がかかってしまいました。これだけの量の詩をいっときに読んだのは初めて。今回は、先ず原文を読み、いつもしているように、すぐ思い出せるために要約をしましたが、初めは半分ぐらいにまとめるつもりが、だんだん約7割8割と増えてきて、後半は結局全訳に近くなってしまいました。

 どうしても意味が通らないところを中心に、安藤元雄訳(集英社文庫、これは再販+禁断詩篇を後ろに)、鈴木信太郎訳(岩波文庫、再版+禁断詩篇を初版時どおりに挿入)、齋藤磯雄訳(筑摩叢書、1868年増補分以外は全詩篇)、佐藤朔訳(斎藤書店、全詩篇)と比べて修正しましたが、これもいつものとおりで、文章の構造が把握できてなかったり、単語や慣用表現の意味を取り違えたりと、一つの詩に1,2カ所は間違えているところがありました。が逆に私の方が正鵠に詩心を伝えていると思えたところも若干ですがあったのは(たぶん勘違いだと思うが)嬉しい。

 精読するには翻訳するのがいちばんとよく言われますが、まさにそのとおり。一読して分かったようなつもりでいても、いざ日本語に置きかえようとすると、全然言葉にできないということが多々ありました。詩をまともに読むのは初めてなので、普通の文章とは違う分かりにくさがありました。主語と述語、形容句などの転倒がざらにあるのはまだしも、改行が頻繁にあり、その行が上の文章につくのか、下の文章につくのか、分かりにくいこと。行末の「.」があれば文章の区切りと分かりますが、「,」が数多くあるうえに、何もない行もあり、また「;」というのが頻繁にあったりして、このニュアンスがよく分からないまま。当然、詩の脚韻や律動については、まったく鑑賞する余裕もなく、これでは本当に読んだと言えるかどうか、心もとない。

 ひとつ分かったのは、詩をあまり一字一句忠実に訳そうとすると、日本語の詩としてはだらだらと冗長な詩になってしまうということです。もともとボードレールの表現には畳語的なところがあるようですし、詩の場合は意味からよりも韻を考慮して使っている言葉があると考えられるので、意味の流れを強くするためには、少し間引いて訳した方が引き締まった詩となるように思います。

 今回読んでみて、『悪の華』の詩の魅力をひとことで言えば、霊と肉との二律背反に引き裂かれつつ呻吟する魂の叫びが胸を打つというところでしょうか。おどろおどろしさや、絶望の叫び、悲嘆が詩行から湧き出ていて、その念の強さにたじろいでしまいます。中学生の頃初めて堀口大學訳『悪の華』に接して、巻頭の詩「Au lecteur(読者に)」の皮肉っぽい調子のある呼びかけに、意味もよく分からないままに惹かれたことを覚えていますが、これはやはり調子の強さに心を動かされたからでしょう。今回、原詩を読んでみて、その被虐的な絶望の深さを改めて知りました。ボードレールの詩は形式の上では、フランス本国の研究者たちが指摘しているように古典的かもしれませんが、中身は浪漫派的な苦悶に満ちています。

 『悪の華』の詩群を、印象からいくつかの要素を抽出して考えて見ました。一つの詩に重複している場合もありますが、大きく分けると、暗澹たる境遇への嘆き、グロテスク、彼方への憧れ、鉱物的なものへの讃美、共感覚といったところでしょうか。

 暗澹たる境遇への嘆きとしては、「Le guignon(不運)」、「De profundis clamavi(深淵よりの叫び)」、「La cloche fêlée(ひび割れた鐘)」、「Spleen(鬱屈-4番目)」、「Le goût du néant(虚無の味わい)」「Le gouffre(深淵)」ほかたくさんの詩篇が目に留まりました。「L’irréparable(取り返しがつかないもの)」の「旅籠の窓に輝く希望は永遠に閉ざされてしまった!月も星もない夜に満ちに迷った旅人が宿を見つけようとしているのに、悪魔が窓の明かりをすべて消してしまったのだ!」という一節には、ネルヴァル「オーレリア」の響きと似た差し迫った悲嘆が感じられました。

 グロテスクのなかには、
「Dance macabre(死の舞踏)」、「Les métamorphoses du vampire(吸血鬼の変身)」など文字どおりグロテスクなもの、
「Une charogne(屍肉)」、「Une martyre(殉教の女)」、「Un voyage à Cythère(シテール島への旅)」など残酷趣味、
「Le vampire(吸血鬼)」、「Le poison(毒)」、「L’héautontimorouménos(われとわが身を罰する人)」、「L’irrémédiable(取り返しのつかないもの)」、「La destruction(破壊)」ほか多くの詩篇に見られる被虐趣味
「À une madone(マドンナに)」、「À celle qui est trop gaie(陽気すぎる婦人に)」にある嗜虐趣味、
「Les petites vieilles(小さな老婆たち)」、「Les aveugles(盲人たち)」など老人や廃残の人たちを描いたもの、
があります。このなかで、とくに残酷趣味やユーゴーが「新たな戦慄を創造した」と讃えた老人や廃残の人たちのグロテスクさは、当時としてはおそらく中心テーマとしては取り上げられることがなかったもので、かなりの衝撃を与えたと推測されます。また被虐趣味は、前述の暗澹たる境遇への嘆きと相俟って、ボードレールの真骨頂ともいえる境地を醸し出していると思います。

 彼方への憧れが窺える詩篇としては、「La vie antérieure(前世)」、「Parfum exotique(異郷の香り)」、「L’invitation au voyage(旅への誘い)」、「Paysage(風景)」などがあります。これは、酒や麻薬、あるいは女色への耽溺を謳った詩と同様、現実からの逃避、あるいは幼児退嬰的な性向の表れとも言えます。「Moesta et errabunda(悲しく邪な)」では、「束の間の喜びに満ちた汚れなき天国。それはインドや中国よりも遠いのか?」という表現がありました。ジパングあるいは蓬莱山の伝説がボードレールの耳にも達していたのでしょうか。

 鉱物的なものが感じられるものとしては、「輪郭を曖昧にするのは唾棄する」と宣言し、石→彫像→鏡→眼とイメージが移って行く「La beauté(美神)」、「眼は鉱物でできているかのよう・・・すべて金と鋼、光とダイアモンドの世の中で、荘厳な冷たさは星のように輝いている」というフレーズのある「Avec ses vêtements ondoyants et nacrés(波打つ真珠色に輝く服を着て)」、「Rêve parisien(パリの夢)」などがあります。とくに、「パリの夢」は、鉱物的でSF的な夢幻境を描いた絶品。

 共感覚を扱った詩は、よく取り上げられるので、詳しくは述べませんが、「Correspondances(万物照応)」「Tout entière(全部)」、「Harmonie du soir(夕暮の諧調)」に顕著。ほかにも、以前読んだ評論でも指摘されていた、「蛆、汚物⇔鉱物、金銀、宝石」、「老売春婦⇔女神・美神」、「暗渠⇔星空」、「墓⇔寝室」、「地獄⇔天国」、「サタン⇔神」など対立的なイメージが頻出すること、「海」、「空」、「太陽」、「船」、「蛇」、「髪」、「血」、「監獄・獄舎」、「断頭台・火刑台」、「深淵」、「千のミミズ」など何度も出てくる単語があることなど、書いていると切りがないので、この辺りで止めておきます。
 
 最後に、詩篇の中で、もっとも強烈な印象を残した詩は、次の16作品。
Correspondances(万物照応)、La vie antérieure(前世)、Hymne à la beauté(美神への頌歌)、Une charogne(屍肉)、Le vampire(吸血鬼)、Les ténèbres(暗闇)、Le flacon(香水壜)、Le poison(毒)、Chant d’automne(秋の歌)、Une gravure fantastique(幻想版画)、Le mort joyeux(陽気な死者)、L’héautontimorouménos(われとわが身を罰する人)、Les sept vieillards(七人の爺)、Rêve parisien(パリの夢)、Un voyage à Cythère(シテール島への旅)、Les métamorphoses du vampire(吸血鬼の変身)

 翻訳本を各種所持していますので、いちど、いろんな訳者の訳しぶりを比較してみたいと思っています。