J.M.A.Paroutaud『LA DESCENTE INFINIE』(J・M・A・パルトゥー『無限の下降』)

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J.M.A.Paroutaud『LA DESCENTE INFINIE』(on verra bien 2016年)

                                             

 新刊で取寄せた本。パルトゥーを読むのは、『LA VILLE INCERTAINE(さだかでない町)』(2011年8月29日記事参照)と『Le Pays des Eaux(水の国)』(2016年12月25日参照)に引き続いて、これで三冊目。パルトゥーは寡作家なので、これで大半は読んだことになると思います。

 

 この本は、『Le Pays des Eaux』と少し感じが似ている断片的短編集で、交互に展開する二つの部分からなっています。ひとつはある田舎町のゴシップ的な人間模様の記録で、御者、パン屋とその夫人、肉屋、技師、保険屋とその夫人、議員、軍隊長、庭師、司祭、教会の下僕とその母、美人姉妹らが繰り広げる浮気や保険契約や殺人が語られ、もうひとつは登場人物の一人御者のブレーズの手帳に記された物語で、架空の世界が綴られています。

 

 田舎の年代記的な部分は、好色だったり、思慮が浅かったり、欲望剥き出しの男女が巻き起こす事件が中世のファブリオのごとくユーモアたっぷりに描かれています。が、登場人物が多すぎるのと、細かな話が脈略もなく次々に出てくるうえに、かなり削り込まれた表現になっていて、私の読解力では瞬時には意味が把握できず、全体像が不明瞭なところが残念です。

 

 私としては、架空の世界が凝縮して濃厚に描かれている手帳の断片的物語に惹かれました。それぞれが独立した怪奇短編として読めます。とくに気に入ったのは、毛むくじゃらの蜘蛛のような姿の死を手懐けることに成功した男が、それを自由に操って、いろんなブラックユーモア的な状況を編み出す「APPRIVOISER LA MORT(死を飼い馴らす)」、展示されている手首に触ると掴まえられて自分の手首を切り落とすはめになると警告する博物館案内人をよく見ると、両手がなかったという「LES MAINS COUPÉES(切られた手首)」、蟹人間、鰻人間、スポンジ人間、境界石人間、旗人間、マッチ人間、針山人間、無限人間など、マルセル・ベアリュ風の奇想に満ちた人間を次々と紹介する「L’HOMME(人間)」の三篇。以下次点として次のような物語がありました。

 

「COMME UN DOIGT(指のよう)」:ルーペの魔術で瓶の中に友人を小さくして閉じ込めた男。凹面鏡で日光を当てるなどいたぶって優越感を感じているが、先に相手が死んでも楽しみがなくなるし、こちらが先に死ねば後で何をされるか分からないと、自分が死ぬときに合わせてひねり殺すことを思念する。

「LE RAVIN(峡谷)」:荒涼とした岩場に貼りついた男と複数の女たち。女と交わるたびに女が死に、男は死体を沼に投げ込むがまた岩場に打ち出され、屍体は鳥に啄まれる。それを繰り返して最後の一人の女になったとき、男は沼に突き落とされる。

「CRÉER LE VENT(風をつくる)」:風を起こすには一本の樹を選び、幹に錐で穴を開け針金を差し込めばいい。葉が風でざわつき、うまく行けば森全体が揺れるほどの風となる。が的確に刺さなければ樹は骨の木と化す。

「J’HABITE UNE VILLE(私の住んでる町)」:断崖で囲まれ出入りは地下道のみという外界と断絶した町。火山があり、小川や放射状の道、宮殿、祝典会場、象の散歩する公園、屋上に処刑台のある裁判所などがある。

「LE ONZIÈME CÉSAR(11番目の専制君主)」:柩獄、歪み壁獄、板獄、球獄、自由獄、穴獄など、さまざまな刑罰の形を紹介。ジャン・リシュパンのブラック・ユーモア的な残酷趣味と通じるところがある。

「Le tableau, immense...(絵画、巨大な…)」:夜空を描いた巨大な絵。鑑賞者は見るなり吸い寄せられ、新しい星となって絵の中に閉じ込められる。

「Tout comme la lumière...(すべて陽の光のように…)」:横町に入った途端、影から心臓の鼓動や血の流れが聞こえてくる一瞬の幻聴。

「LES TRACES(痕)」:海に面した断崖に這いつくばって見下ろす男。入り江の砂に海に続く足跡があり、どんな水陸両棲動物が現れるかと待ち続けた。ついに意を決して断崖を滑り降りる。瀕死の重傷を負って足跡を間近に見たとき、それが自分のものと気づく。

 

 手帳の物語のいくつかに共通するのは、荒涼とした大地に取り残されたような男女で、傾斜があったり、滑りやすかったりして、落ちて行く場面があります。タイトルの「無限の下降」というのはそういう場面を示唆していると思われますが、また別に、断章をどんどん積み重ねながら真実(あるいは地獄)へ降りて行くというような意味もあるのかもしれません。

 

 この作品全体を覆っているブラックユーモアや死への趣向について、序文を書いているYann Fastierは、著者が幼い頃に第一次世界大戦で父親を亡くし、喪に服した女たちと父親の死の記憶の中で育ったことに、その要因を求めています。