:J.M.A.Paroutaud『Le Pays des Eaux』(J・M・A・パルトー『水の国』)


J.M.A.Paroutaud『Le Pays des Eaux』(Le Tout sur le Tout 1983年)
                                   
 セーヌ河岸の古本屋で購入した本。前日に著者名の綴りを見間違えて買った本を交換してもらえないかと頼んで、快諾してもらい、この本を替わりに買ったのを覚えています。しかも差額まで返していただきました。多謝。それよりも、前日になぜこの本を見ておきながら買わなかったのが不思議で、ボケていたとしか言いようがありません。前の年にParoutaudの本を読んで強い印象を持っていたはずなのに。

 それで、5年前に読んだその『la Ville incertaine(さだかでない町)』(2011年8月29日記事参照http://d.hatena.ne.jp/ikoma-san-jin/20110829/1314601444)と同様、今回も強烈な印象を受けました。一言でいうなら奇想に溢れた散文詩と言えましょう。

 この本は、著者の死後、「Rocca」という人物をめぐる作品を筆頭に、その作品と同じテイストを持った同系列の作品を集め合せたもの。生前に著者がそうした企画を希望していたらしい。全体を三つのグループに分けることができるように思います。ひとつは「Vie et aventures d’Alfred de Rocca(アルフレッド・ド・ロッカの生涯と冒険)」で箴言的断片による人物紹介、もうひとつは「Poésie vivante」誌に寄稿した「Virtuellement(ヴァーチャルに)」のなかの一篇「LES BALLES(弾丸)」で、これは凝縮された純粋散文詩、三つ目はそれ以外の文章で、ある国の様子を叙述する散文詩的短篇となっています。


 「Vie et aventures d’Alfred de Rocca(アルフレッド・ド・ロッカの生涯と冒険)」は、 三つの視点―語り手(私)による友人ロッカについての断片的な文章、語り手が聞いたロッカの言葉あるいはロッカの手帳の言葉、ロッカの夢の直接の記述―が織り合わせられながら、淡々と進みます。ひとつの文章はきわめて短く、大学で哲学を学んだ影響か、物語というより箴言集のような感じ。どこから読んでもいい。

 少し具体例を挙げておきます(超訳もしくは誤訳につき注意)。

「少女たちが知らずのうちに腿を露出したのを彼がじっと見つめ、少女が顔を赤らめて隠すことがあった後、彼はもっとギラギラして見る奴らがいると抗弁した」(p12)。

「アルフレッド・ド・ロッカの夢:自分専用の電車を運転している。・・・たばこ会社の向かいの庭園の奥にある陶器工場の前に着くと、女たちが乗ろうとするが、私が砂撒き器のペダルを踏むと女たちは砂に埋もれていく。線路沿いには手や頭のてっぺんだけ出した女たち。他の電車とすれ違うたびに運転手は肩をすくめるのだ」(p22)。

「大叔母から遺産を継いだ時、ユー島の先っちょの廃止になった灯台を買って、医者から禁じられているにもかかわらず、毎冬そこで過ごした。極寒のときでも上にあがって、火も明かりも使えないので、暗いなかで震えているのだった」(p26)。

「アルフレッド・ド・ロッカの手帳より:聖域にいつもいる人は崇拝の念が薄れてくる。お通夜で扉をバタンと閉めるのは教会の使用人だ」(p29)。

「ロッカ曰く。『たいがいの人は死を恐れるが、眠れないときはいらいらするんだよね』」(p36)。


 「LES BALLES」は次のようなものです。

「蜂弾は選んだ男だけを撃つ。薔薇色弾は心臓に達する。菫色弾は腋、鼠径部、膝窩に入りこむ。・・・根弾はすぐ抜き取らねば細胞で根を張ってしまう。・・・沈黙弾は間近に来てから音が聞こえるので、撃たれた者は凍りついてしまう。・・・Z弾はすべての記憶を消してしまう。・・・光弾は血を残さず目に入って盲にする。2発対になっている。・・・癌弾は体に入るなり増殖する。曲弾は螺旋を描いて相手の心臓に到達する。遅弾は皮膚から心臓に達するまでに数時間、数日かかることもある。・・・滑弾は殺傷能力抜群だが込めようとしても弾をつかむのがほとんど不可能だ。・・・」


 三つ目のグループは、「Vie et aventures d’Alfred de Rocca(suite)(続・アルフレッド・ド・ロッカの生涯と冒険)」を中心に、「Supplément au Voyage au Pays des Eaux ou le Pays de Rigueur(水の国あるいは厳格な国への旅・補遺)」、「Textes attribués à Alfred de Rocca(アルフレッド・ロッカの手記)」、「Virtuellement」のなかのもう一篇「UN REGARD LOURD(重い目線)」となります。

 「Vie et aventures d’Alfred de Rocca(suite)」は、ロッカが旅から帰ってのある国の報告が中心になっていて、架空の国の体制、人びと、生活を描写した物語風の体裁を取っています。この本のなかでもっとも精彩ある魅力的な作品だと思います。他の諸篇は、ロッカの名前も国の報告ということも明記されていず、文章のトーンが若干異なりますが、その一環として読むことが可能です。具体例は次のような感じです(いずれも「Vie et aventures d’Alfred de Rocca(suite)」より)。

「どの家族も自分の階層に応じて、祖先の死体を保存している。古い家系は三代まで、貴族は五代まで。保存法は難しくまた金がかかる。母から娘へ方法が伝授される。日々の世話やインドから輸入する高価な薬が必要だ。死体は裸で石灰の上に寝かされる」(p52)。

「少し金を払えば処刑の鐘を見せてくれる。・・・柱を背にエレベーター台に乗せら上がると、金属の壁の卵のような部屋で、頭の上には鐘がぶら下がっている。外から操作して、少しの音でさえ耐え難い反響になる仕組みだ。音の波が死刑囚の耳に集まるようになっているという」(p61)。

「外科医は世界的に評判で、他の国が禁じているような手術ができるどころか、想像の赴くままにしたほうが名誉が授けられる。人々はこんどはこんな怪物を造ったと噂する。外科医は怪物とは思っていないが。彼らは音楽とくに声楽が好きなので、その部門に注力してきた。優れた歌手は普通の人の4倍もの力強い喉を持っているが、喉が大きく膨らんで見苦しいので、口だけ出す形のほっかむりをして歌う」(p64)。

 こういう架空の国の報告譚は、想像力を自由に羽搏かせるジャンルという点で、味わいが日本の現代の散文詩のあるものと共通している気がします。例えば、入沢康夫、高柳誠、時里二郎、粒来哲蔵、多田智満子、粕谷栄市、マイナーな所では永井元章。ファンタジー系では井辻朱美原葵、さらには架空の国の物語という点で多くのファンタジー作品が入って来ることになるでしょう。その淵源は何かと考えたら、近いところではカフカの短篇群がまず考えられますが、その先にはマルコ・ポーロなどの異国見聞録や、ゲルウァシウス『皇帝の閑暇』などの中世の驚異譚があるのではないでしょうか。

 パルトーはマルセル・ベアリュと友人とネットに書いてありました。そう言われてみると、この本全体から受ける印象は、ベアリュの断片的文章のテイストと相通じるところがあります。


 巻末に、パルトーの日記の一部と著者による略伝、出版社によるあとがきが収録されています。日記では、6歳のときに父を第一次世界大戦で亡くしたことを、その日の家の雰囲気、父が葬られた軍人墓地の描写などで語っています。悲しかったのは、1978年3月5日付の「略伝」の最後で、文壇から忘れ去られ落ち込んでいたがこんど大学に職を世話してもらえたと喜びを綴っていて、その後すぐの「出版社あとがき」の冒頭に、パルトーが1978年12月11日に亡くなったと書かれていたことです。

 瑣末な話になりますが、日本に関連したことでは、「難破の際自分の妻を放っておいて母親を助けた日本人」(p25)という文が出てきたこと。また「ロッカ」という名前をネットで調べてみると、アルフレッド・ド・ラ・ロッカという19世紀から20世紀初頭にかけての風景画家がいました。コルシカ出自、マカオ生まれ、南仏中心に活躍した方みたいですが、この作品のロッカとはまったく関係がないようです。