RENÉ-JEAN CLOT『L’amour épouse sa nuit』(ルネ=ジャン・クロ『愛は夜と結婚する』)


RENÉ-JEAN CLOT『L’amour épouse sa nuit』(Grasset 1991年)


 ルネ=ジャン・クロの名前を知ったのは、たしか大学に入ってすぐに買った『Dictionnaire de la littérature française contemporaine(現代フランス作家辞典)』で、fantastique(幻想的)とかmystique(神秘的)とかinsolite(奇異な)という単語をもとに新しい作家を探していたときに、insoliteというキーワードで見つけたと思います。

 しばらくして偶然、古本屋(シールは北沢本店になっているが京都の大学堂だったか?)で、『LE POIL DE LA BÊTE(獣の毛)』を見つけ、読めないと思いながら無謀にも買い、定年後も、フランスの古本屋で買ったりして、ジャン・クロ作品は現在4冊所持していますが、その中でいちばん読みやすそうな薄いのを読んでみました(といっても285ページある)。この本はブラッサンス公園古本市で1ユーロで買ったもの。扉に、Pierrette Rossetという人への著者からの献辞とサインがあります。

 長編小説で、「Les visions(幻影)」、「Bruno(ブルーノ)」、「Le vent souffle(風が吹く)」の3部に分かれています。「Les visions」では、亡き妻の像を棺の飾りとして彫ろうとする彫刻家の父親と二人の息子、その妻らのあいだの葛藤、「Bruno」では、知恵遅れの弟をもつ女性と結婚した息子の一人が、3人同居するなかでの葛藤、「Le vent souffle」では、その夫婦に子どもが生まれ、それが誰の子かという夫や女性の母親の煩悶が描かれています。

 そうした家族間の葛藤物語を底流にもちながら、骨太に前面に出てくるのは、芸術家小説としての骨格であり、またアルジェから追放されるように帰還したフランス人を取り巻くアルジェリア・フランス問題です。およその話は次のような流れです(ネタバレ注意)。

フルーレはアルジェで生涯の大半を過ごしたフランス人で、引き揚げて今はマルセイユ近くのカシという町に住み、亡き妻の思い出となる彫刻作品に取り組んでいる。若き日にパリで立体作品を学んだが、その後アルジェで生活のために家具職人として働き、夜に自分の作品の製作に没頭していた。双子の息子が居て、兄ロジェは知恵遅れの弟をもつベルトという女性、弟ポールはセシルという女性と同時に結婚した。が結婚式に父親のフルーレは出席せず、息子たちとの間がますます開いていく。

そもそもフルーレは製作が第一の芸術家で、家族を顧みなかった。息子たちへのクリスマスプレゼントもなく、夜は母親をモデルにして、製作に励んでいた。ロジェは幼い頃、夜中に母親が裸で立たされているのを見たのがトラウマとなっていて、母は父に酷使されて死んだと思い込んでいる。ロジェの妻ベルトは美術を学んだ素養があり、義父の作品を見て圧倒されるが、その無気味さから義父を忌避するようになる。ポールの妻セシルはもとから芸術に興味がなく、義父を嫌っていた。

フルーレが亡き妻のために、奇妙な棺を製作していることが町の噂になり、息子らは家族の恥だと、何とかやめさせようと画策するが、フルーレは断固としてはねのける。それどころか作品を公開して、どんどん町中の人を見に来させた。人々は感嘆する。現代美術のコレクターがやってきて、ロダン以来の天才だ、パリの画壇へ紹介しようと太鼓判を押してくれるが、そのコレクターは帰り道トラックに轢かれて死んでしまった。

ロジェは、ベルトとの結婚生活がうまくいっていなかった。ベルトの知恵遅れの弟ブルーノと3人で同居していて、ベルトが弟ばかりをかまうからだ。セシルが噂になっている義父の彫刻を見たくなり、ブルーノを連れて行ったのがきっかけとなり、ブルーノが彫刻にめざめ、その後ブルーノはひとりでフルーレのところへ行き、彫刻作品の棺の前飾りを製作するようになる。

ベルトが妊娠し、出産前の手伝いにマルセイユから母親のアンデルス夫人がやってくる。夫人が疑念をもったのは、その子の父親がもしや知恵遅れの弟ブルーノではないかということだった。ロジェも同じ不安を抱いていた。赤子が誕生したが、果たしてブルーノに似ていた。ロジェは、ベルトから、父親の彫刻の棺を3日以内にどこかへ片付けてしまわなければ離婚すると脅かされる。一方、夫人は、明日はブルーノを連れてマルセイユへ帰ろうと決意する。

ロジェは妙案を思いつき、ベルトや弟夫婦に、夜みんなで病院へ赤子を見に行かないかと呼びかけ、父親も誘って同意を得る。夜、父親を車で迎えに行くと、フルーレは歩いて病院へ行くと言い張り一人で出て行った。が、途中で馬鹿らしくなって、家に戻り、いつもしてるように彫刻作品の棺の中で寝た。ロジェはそうとは知らずカフェで休憩した後、父親の家へ戻り、ガソリンを撒き火をつける。父親の居ない隙に彫刻を燃やしてしまおうとしたのだ。そのとき、振り返ると、ブルーノが背後に居て、ナイフを手にしていた。


 「l’amour épouse sa nuit(愛は夜と結婚する)」というタイトルは意味がよくつかめませんが、どうやらフルーレが、妻にポーズをとらせて毎夜製作していたことを意味するようです。文中にも、同じ言葉がp52と、少し変形した「Amour qui épouse sa nuit(夜と結婚した愛)」という言葉がp57に出てきました。

 最初は単なる家族間男女間の葛藤劇かと思っていましたが、不思議な小説です。この小説で特筆すべき部分は、彫刻作品が超自然的な魅力を放っていることです。舟のかたちをした棺の彫刻ですが、見る者がことごとく幻視をします。ポールは、棺の舟の柱の上の高いところに母親の白い顔を認め、「死人の象牙の歯が見えている!」(p63)と恐怖に慄き、ベルトは、岬に立って遠くを見ているような眩暈を感じ、雪が降ってきてあたりが真っ白になるとともに、急に夜になって寒さと苦悩に締めつけられるように感じます。

 ロジェは、海と風のざわめきを聞き、母親の顔が雪の白い小片に見えると同時に、舟の上が暗くなり夜に包まれ、月の光がまわりを浸している風景が見え、セシルは、船の甲板で船酔いしているようで、波も降りかかり、高いところの顔の一つが、寄宿舎の拒食症になった友人に似ているのを感じ、一緒に見ていたブルーノも舟の上に誰か知らない人を見たのか泣きだします。現代美術のコレクターは、すべてが渦巻きパノラマのような光景を展開する聖遺物だと絶賛し、ときに中国の龍がお互いを食い合う姿を認め、最後に、高い所にあるのは目も鼻も口もないがまさしく女の顔だ!と叫びます。

 ベルトが2回目に見たときは、ヴェニスのゴンドラに乗って水の反射や赤い壁を見ていて、館の2階の窓から亡き義母がこちらを見つめているように感じ、ブルーノも2回目には、サーカスの回転木馬を幻視します。セシルが二度目に誰も居ないところで見たときは何も感じず、義父が横に居ないことがその原因だと思いあたります。アンデルス夫人は、やはり夜の印象を受け、高いところの顔が月に見え、水の流れが聞こえてきて、その後舟の上にゆっくりと動物の姿が現われ、舟から動物の熱気が押し寄せてくるように感じます。

 彫刻作品を見て幻視した全員に共通するのは、みんな帰り際に、もう二度とここには来ない、誰にもこの訪問のことは喋らないようにしようと誓うことです。それほど奇妙な体験だということです。彫刻なのに、見る人、見る時によって変幻するのは、催眠術にかけられているのではという意見も途中で出てきたり、さらに亡き妻の霊が夫や彫刻にとり憑いているのではという神秘的な解釈も生まれてきます。

 ルネ=ジャン・クロは、もともとアルジェの美術学校を出てから版画家として活動しており、その後、小説のほうが注目されるようになったという経歴の持ち主で、そのせいか、美術作品や美術家の名前が頻出し、また美術家としての率直な告白や芸術論が頻繁に出てきました。フルーレがそうしたことを話すのは分かりますが、一般庶民のはずのアンデルス夫人が、フルーレの彫刻を見て、いきなりマーグ財団美術館で見たジャコメッティの作品のことを話しだしたりするのは、不自然。アンデルス夫人はまた舟の上の顔を見て、「滑稽な顔には日本の飾りの印象があった」(p249)というように、日本のことにも精しいようです。

 実際の美術家ならではの正直な告白としては、「作った作品が良いか悪いか分からないというのは恐ろしい」(p26)とか、「芸術家はいつ作品が完成と断言できるのか」(p136)とかいう言葉、また息子から美術書をプレゼントされたフルーレが、「失礼な奴だ、他人の絵など見たくない」と憤慨する場面(p33)などにうかがえます。

 芸術論としては、次のようなものがありました。
①「人は芸術の話をしたがるが、それは芸術の威光に従っているだけだ・・・芸術などどこにもないのに、人種差別反対を掲げて権威づけたりするのは詐欺だ・・・フルーレは、ラスコーの洞窟画ほどの芸術はないと思っている。買い手もなく、絵具もなく、画廊もなく、批評家もおらず、金もないのに、見事な絵を描いた。本人たちも芸術だとは思っていない・・・フルーレには芸術の話が耐え難かった・・・作品を誰にも見せず、売りもしなかった。フルーレは、芸術家は自分の存在を示すために展覧会を開くが、それは永久に作品を葬ることになる、と思っていた・・・ルーヴルは、葬儀作品の百貨店だ・・・画廊経営者は、市場の商人となって、一日中、ニューヨークやミラノの顧客に電話をかけている」(p31~32)。

②フルーレの彫刻を見た現代美術コレクターには次のように語らせています。バジュというのはカシの市長。「ダンスのリズムがある。洗練されかつ残酷な狂気。恐ろしい仄めかしだ。これこそわが友バジュ向けの作品だ。彼は理解できないものしか愛さない。分かった途端に興味を失う・・・芸術は挑発だ・・・バジュ氏は罠にかかったと感じた作品しか買わない。安全なものは避けるのだ。芸術家にとって安全とは醜聞だ」(p146)。

 もう一つのテーマとしては、アルジェから追放されたフランス人としての葛藤が、フルーレや息子ロジェの口から頻繁に語られます。私にはその辺の事情がいまひとつよく分かっておりませんが、その中には、アルジェの白い町並みに対する郷愁、アラブ人たちの優しさへの思い、その一方、フランス人を追い出そうとしたアラブ人たちへの恨み、フランスのために戦ってフランスへ逃げてきたのに、フランスで冷たくされていることへの怨み、アラブ人たちもフランスに憧れ、フランスへ次々とやってきていて、そのうちフランスはアラブ人で一杯になるだろうという怖れ、などがあるようです。フルーレはもうアルジェに戻る気はありませんが、ロジェは、何もかも捨ててもう一度アルジェに戻りたいという思いに、時に駆られます。