宇佐美斉編著『日仏交感の近代』


宇佐美斉編著『日仏交感の近代―文学・美術・音楽』(京都大学学術出版会 2006年)


 日仏文化交流に関するテーマの本の続き。本書は、4年間にわたる連続した研究会の成果として出版されたもので、20名の執筆者による456ページの大著となっています。私の知らない著者も多く、扱われているテーマでも知らないことがあり、勉強になりました。最近読んだ吉川順子や高階絵里加も、自著とまったく同じテーマで執筆していますが、その時にはなかった視点が追加されていて(気づかなかっただけかも)、面白く読めました。個々の論考に触れているとたいへんなことになるので、全体を通して、おおざっぱに理解できたこと、新しく知見を得たことなどを、私なりにまとめて記しておきます。


 まず、洒落て優美だが軽いというフランスに対するイメージがどのように生まれ広がったかに触れる記述がありました。
岩倉使節団がヨーロッパの視察に訪れた際の報告で、ドイツの歴史家がドイツの若者がフランス遊学すると軽佻浪費をこととし放肆淫佚に溺れるという評を紹介して、仏国の弊風に注意を促している。開化の初期からこうしたイメージがフランスに付きまとっているが、これはちょうどフランスがプロシャに敗北を喫したときであり、明治政府としては、文弱放恣な敗戦国の轍を踏むことは避けたいという思いがあった(柏木隆雄「『フランス』との邂逅」)。

②日本物中心の歌劇団として出発した宝塚歌劇は、昭和初期に、花のパリのイメージを核にして黄金時代を築いた。実際のパリのレビューは性的な興奮を煽るものだったが、清純で健全な憧れの対象としてレビューを作り変え、好色なレビューは下品なアメリカのものだという戦略をとった(袴田麻祐子「憧れはフランス、花のパリ」)。

 日本人が、疑似西洋人化していき、日本からの離脱意識を抱くようになる変化についても筆が及んでいました。
宝塚歌劇でパリもののレビューを演出した白井鐵造が、パリの視察から日本に帰ったとき、「少時の間私は着物に包まれた日本の生活が非常に汚らしく見えて仕方がなかった」(p417)と発言している。白井はまた日本舞踊はできない、邦楽は分からないと公言しており、日本文化への無教養さの隠れ蓑として、疑似西洋人化を確立したといえる。疑似であるとはいえ、このことは日本人の文化観の転換点として無視できない(袴田麻祐子「憧れはフランス、花のパリ」)。


 次に、フランス人が日本をどう見ているかという点では、次のような指摘がありました。
①フランスのジャポニスムの流行には、当時の工芸品生産の振興運動が深くかかわっており、装飾やデザインの重視が一つの大きな要素となっている。例えば、『蜻蛉集』の挿絵には、江戸期に170種以上も出版された衣裳デザイン下絵集と共通のものがあり、フランスの愛好家のあいだで、江戸の趣味的な版画である摺物がもてはやされたということがある(高階絵里加「フランスから来た『日本』」)。

②ロティは『お菊さん』で、外部をもたない自己完結した人工世界、奇妙なミニチュア、箱庭の世界として日本を描き、日本の芸術を、リアリズムでなく、コンヴェンション(約束事)、器用さ、巧妙さ、誇張、歪曲で成り立っているとみた。ロラン・バルトも『記号の帝国』で、身体、しぐさ、料理、庭園、街など日本のあらゆるものが、表層で戯れあう深さをもたない記号として読むことができると捉えた(大浦康介「『日本』を書く」)。ミカエル・フェリエが、ロティ、ミショー、バルト、ユルスナールレヴィ=ストロースらフランス人作家が日本に「時間の不在」を見ていると指摘しているが、マルローもこの系列に加えることができる(三野博司「マルロー『人間の条件』と日本」)。
→このことは、前回読んだ高階絵里加『異界の海』にあった「日本人の性質は陽気で実直だが達観したところがあり表面的で、故に絵画も線と色彩のみで深みがない」という黒田清輝の言葉に通じるのではないでしょうか。


 日本におけるフランス文化の受容のあり方についても、いろんな指摘がありました。まず音楽の分野においては、
①明治の音楽教育では、ドイツ人教師が中心であり、オペラが中心で娯楽の要素の強かったフランスやイタリアの音楽文化ではなく、精神性の高い芸術音楽としてドイツ音楽を教えこんだ。教えられる日本側としても、江戸時代の武士階級から新政府の指導層に受け継がれた儒教的倫理観と合致して、軽佻なラテン系音楽を蔑視する風潮が生まれた(岡田暁生「ドイツ音楽からの脱出?」)。

②官製の東京音楽学校ドビュッシーなどを紹介するはずもなく、日本におけるフランス音楽の受け皿は、陸軍軍楽隊が担ってきた。近代フランス音楽を受容し広めたのは、内藤濯永井荷風、大田黒元雄など、民間のディレッタントたちであった。また音楽学校に作曲科が置かれなかったのは、戸田邦雄が言うように、それまでの邦楽は家元制度で音楽家は演奏するだけでよかったからであり、また家元に当たる概念がヨーロッパということで、それを真似しておればよいという発想だったからである(岡田暁生「ドイツ音楽からの脱出?」)。

③近代フランス音楽が日本に受け入れられた要素の一つに、邦楽との親和性がある。藤村は「自分らの心に近い音楽である」と記し、柳沢健が「西洋音楽が、その外面的、饒舌的、説明的、朗読的である点に於いて日本の音楽の先天的な約束と全く相容れぬほどの相違があるのに、この『ペレアス』に現われている音楽の姿相と言うものは、甚だしく内面的、沈黙的、暗示的、印象的であって、その点むしろ我々の芸術感と一致することが多い」と分析し、また九鬼周造も、ドビュッシー前奏曲について、「日本のくつろいだ音楽で暗示に満ちた『歌沢』を思わせる」と言い、「脱規則的なリズムや簡潔性などの特徴が日本音楽と共通すること」を指摘している(佐野仁美「ドビュッシーと日本近代の文学者たち」)。

 そして文学の分野においては、
①西洋の近代文学が100年かけて展開したものを、明治の短期間に一挙に受容したことで、偽装されたロマン主義としての自然主義文学すなわち私小説という独特の文学形態が生み出された。私の生の事実を自然に描くことが最大の真実を保証するというわけである。そのため人間の醜悪さを直視するという目的で、小説を書くために自らの生を破滅に追いやるという倒錯が生まれた(小西嘉幸「『懺悔録』の翻訳と日本近代の自伝小説」)。

②西洋の詩を翻訳する際、独特の語彙を編み出した。一つは外来語表記において、発音をそのまま仮名またはカタカナで表記したり、漢字に置き換える場合は音声上と意味上の漢字表記にルビを添え、アルファベットそのものを使用してルビを添えるなどの工夫をした。木下杢太郎も、自分らの南蛮趣味は学問的でも考証的でもなく専ら語彙の集積であったと述懐している(吉田城「木下杢太郎とフランス文化」)。


 フランス人気の衰退について書かれている部分では、分かっていても愕然としてしまいました。
シャンソン人気の衰退について、今日では本場の歌手が来日して歌うということがほとんどなくなり、世界各地で現在歌われているというアクチュアリティが消えてしまったことを挙げ、さらに文学・思想・科学・映画・美術・建築・スポーツなど、どの分野を見渡してもフランス文化にかつての活力はなくなり、日本の若者を惹きつけるだけのインパクトが消えてしまったと指摘している(松島征「日本人にとってシャンソンとは何か?」)。


 その他、面白かったのは、フロベールには若いころから、オリエントへの夢想があったことで、
①生きながら埋葬された主人公が悪夢を見る『激怒と無力』という15歳の作品にその夢想がすでに現われており、晩年には、オリエントから極東へ関心が推移していったことが、『聖アントワーヌの誘惑』の初稿と第二稿には登場しなかった「仏教」「仏陀」が決定稿に登場していることで分かる(柏木加代子「世紀末フランスにおける日本趣味とフロベール」)。

フロベールにとって、オリエントは不規則の魅力にもとづいた美の新しい理想であって、19世紀西洋文化の基礎となった紋切り型、つまり固定概念に凝り固まったブルジョワたちのお決まりの悪習を打破するために必要なものであった(柏木加代子「世紀末フランスにおける日本趣味とフロベール」)。


 近藤秀樹「『反語的精神』の共振」を読んで、林達夫が、ジャンケレヴィッチの文章を引用と明記せずにたくさん引用していることに驚きました。あの独特の論理的で逆説的な言い回しが気に入っていただけに、残念。