
水原紫苑『空ぞ忘れぬ』(河出書房新社 2000年)
水原紫苑『うたものがたり』(岩波書店 2001年)
前にも書きましたが、毎日新聞歌壇の水原紫苑選の作品には、毎週目を通すようにしています。私の趣味に近い不思議な味わいの作品が多いからです。それで、ご本人の書く文章がどんなものかと、最近二冊購入して読んでみました。
ひとつ分かったのは、幼い頃から母親らに連れられて歌舞伎に親しみ、長じて能を観るようになり、謡曲と仕舞の稽古を始めたというぐらい、古典芸能に素養があることです。また高校のころ古文が好きで、『源氏物語』を原文で読みとおし、初めは国文科を志望したというぐらい、古典文学にも通じていて、それで短歌についても才能を発揮できたということがよく分かりました。
ただ、『うたものがたり』に収められた「うたものがたり」は、短歌を冒頭に掲げ、それを独白体の散文で補うかたちの小品集ですが、私の読みが浅いこともあってか、現代風の少女趣味が溢れているとしか思えず、耐えられませんでした。
短歌も古典芸能も私は知らないことが多く、二冊を通じていろいろと教えられました。ここでは、短歌について、直接ないし間接に示唆を受けた事柄だけ記しておきます。ひとつは短歌の特質についてで、いくつかありました。
①短歌のリズム、韻律の美しさが重要であること。これは著者が短歌を評して、「弾むようなリズム」とか、「韻律はやさしくたおやか」、「口ずさむと短歌らしい華やかさ」などという言葉を使っていることで、なんとなく理解できた。「最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片」(斎藤茂吉)には、口ずさんでみたくなるような韻律の美しさがあると思う。
②短歌と俳句の性格の違いについて、はっきりとは理解できないが、なんとなく次のようなことがあるようだ。俳句は表現の抑制を特徴とし、短歌は流麗な抒情性を身上としている。俳句の五七五を引き延ばして短歌にしようとして七七の呼応をつけてしまうと、言葉が流れてしまう。また、俳句は、七七の終結部をもたず、人を物語の入口に誘い込んだまま永遠の迷宮に置き去りにするところがあるが、短歌の場合は、七七で自分自身を一つの方向に強く打ち出すので、謎が謎として留まることは少ない。また、短歌は、悲劇的な情念の表出にふさわしいジャンルである。
幾人かの歌人の比較を通じて、短歌の特質を浮き彫りにするような解説もありました。
①迢空の歌には独特の沈んだリズムがあり、茂吉の弾むようなリズムとは対照的。
②和泉式部の歌は形而上的だが、式子内親王の歌にはそのような思弁性はない。
③式子内親王の歌は、地上の女の詠嘆に発していて、超現実の美や幻想には程遠く、より若い俊成女が構築したシュールレアリスティックな世界とは性質を異にするが、それでも歌のなかに没入していくと、死後にも似た世界にしばし漂うことになる。
④齋藤史や山中智恵子の韻律はやさしくたおやかで、口ずさむと短歌らしい華やかさがあるが、葛原妙子の韻律は独特の調べであって短歌らしい盛り上がりというものがない。目で見る楽しみが大きい。短歌形式でなければならないが、どこか短歌の本質に背いているところがあるのかも知れない。
短歌の世界で、歌人の系譜のようなものも教えられました。
①佐々木信綱の「心の花」に入会して歌を始めた前川佐美雄は、塚本邦雄・山中智恵子・前登志夫など、現代短歌の俊秀を育てた。
ほかに、次のようなはっとするような文章がありました。いずれも『空ぞ忘れぬ』より。
私たちが死者となり、なお思いを残している時、一体どんな歌によって霊を現わしたらよいのだろう/p153
人と犬とモノの区別もないような世界に行ってみれば、またそこには想像もつかない豊かな実りがあるのかも知れない/p174
二冊を通じて、面白いと思った短歌・俳句作品は次のとおりです。
茜雲うつくしかりし記憶ゆゑ鳥の夢にもわれは入りなむ(山中智恵子)/p15
稲妻に道きく女はだしかな(泉鏡花)/p42
くらきよりくらき道にぞいりぬべきはるかに照らせ山の端の月(和泉式部)/p130
さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり(馬場あき子)/p160
赤きかぼちや火精(エルフ)となりてころがれる西風吹ける夜の長椅子(葛原妙子)/p174
明るき昼のしじまにたれもゐずふとしも玻璃の壺流涕す(葛原妙子)/p174
以上、『空ぞ忘れぬ』より
嘘つきの宝石商が召されたる銀河のほとり市たちにけり(水原紫苑)/p76
最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片(斎藤茂吉)/p121
基督の 真はだかにして血の肌(ハダヘ) 見つゝわらへり。雪の中より(釈迢空)/p134
ぞろぞろと鳥けだものをひきつれて秋晴の街にあそび行きたし(前川佐美雄)/p174
のろひ歌かきかさねたる反故(ほご)とりて黒き胡蝶をおさへぬるかな(与謝野晶子)/p180
以上、『うたものがたり』より