森岡貞香に関する本二冊

  
中野昭子『森岡貞香「白蛾」「未知」「甃」の世界―わたくしの全身をこめたわたくしのうたを』(短歌研究社 2005年)
山中登久子『森岡貞香断章』(本阿弥書店 2010年)


 短歌について続けて読んできましたが、短歌シリーズの最後として、以前から気になっていた森岡貞香に関する本を二冊取りあげます。なぜ気になっていたかというと、どこかで、戦後女流歌人として、葛原妙子と並べて論じられているのを目にして、同じような性格の作品で同様の味わいがあるのではと思ったからです。

 結論から言うと、葛原妙子とはまったく異質の作品の書き手で、どちらかというと、短歌の伝統により根ざしているという気がしました。中野の本でも指摘されていましたが、葛原妙子に感じられるヨーロッパへの指向や、思弁的な傾向がなく、逆に、戦中戦後の苦難の体験から生まれた生活詠ともいえる作品で、直接苦難を歌ったものもあるなかで、その苦難を解消し心の平衡を取り戻そうとするかのような、白蛾や影を題材とした歌に、味わいがあるようです。

 この二冊の本の特徴は、中野昭子の本が、森岡の第一歌集『白蛾』、第二歌集『未知』、第三歌集『甃』だけを取り上げて、詳細に論じているのに比べて、山中登久子のほうは、森岡貞香の全歌集を網羅しているところですが、山中の本はさらに三国玲子という歌人についてもかなりの分量で論評しているほか、12名の戦後歌人の短歌鑑賞も収められています。中野の論点の中心は、過酷な現実との葛藤の中での森岡の自我意識の揺らぎ、崩壊とその回復という流れを見ており、そこにエロス的な情動を抱えこんでいると、思い込みの強い抽象的な議論で作品を論じています。山中の本でも、森岡の内面の不安や危惧が指摘されていましたが、中野と比べて分かりやすく、作歌の技法的な点も論じられていました。

 最初に、森岡貞香の数多い引用歌の中で印象に残った作品を列挙しておきます。
身の去就に迷ひつゝ明けし青蚊帳の裾のあたりに蛾死に居れる/p27

長病みてをればわが彩粉剥げて了ひ鮮度の落ちし臭ひ放てり/p41

夏の夜の夢ともつかずわが影のをんなねむりつついつか青き蛾/p44

追ひ出しし蛾は硝子戸の外にゐて哀願してをるはもはやわれなり/p46

水たまりにけばだちて白き蛾の浮けりさからひがたく貌浸けしそのまま/p46

きみ死にしは夢でよかりしと言ひきそれもまた夢なりしうつつとは何/p49

死にければひとは帰らぬと早寝せるわれにきこえて足音過ぎゆく/p49

潮騒常世のひびき聞くときに人は死ぬゆゑきみも死にしか/p49

溺るる夢に一瞬池の睡蓮を思ひ浮かべてその葉に縋りぬ/p58

黒鳥のむれにつくねんとわれがをりふとしざわめく聞けば葬なり/p82

ひとごみよりいで来し野犬われを嗅ぎ荒々しけれわがさまよへば/p82

月させば梅樹は黒きひびわれとなりてくひこむものか空閒に/p91

生ける蛾をこめて捨てたる紙つぶて花の形に朝ひらきをり/p161

爪たてしまま庭の松よりずり降りし猫ありそこまでは及ぶ夜の燈/p166→以上、第一歌集『白蛾』より

あるゆふべわれはわかりし降りて寝る野鳥の言葉も沼の臭ひも/p187→第二歌集『未知』より

夜の黒味うごきてあれば消えし時閒の中より軍靴もて人の近づく/p149

きつねの雨ま黒き傘をかざすとき雨は時閒のかなたに降りつ/p149→以上、第三歌集『甃』より
以上、中野昭子『森岡貞香「白蛾」「未知」「甃」の世界』

黒髪にまよひふれればふる雪はすぐ透きとほるぬくきうつしみ/p49→第四歌集『珊瑚数珠』より

浦島の話は老いの惚けなると思ひあたれりと母の言ひたる/p89→第七歌集『夏至』より

死ぬるにも何なさむにもなすことのなきと言ひさしてねむりし/p100→第八歌集『敷妙』より
以上、山中登久子『森岡貞香断章』

 二冊の本の中で、短歌初心者の私にはありがたい、短歌の本質に触れると思われるような論評や引用がいくつかありました。

実体と表現の間にあるものは、その人、であり、一つの実体をさまざまの表現にかもし出す不思議のもとは此処にある・・・視覚だけに語らせず、聴覚だけに語らせず、まして言葉だけに語らせず、空間がうたうようにありたいと思うのだが(斎藤茂吉『やまぐに』)/p36

言葉のある組みあわせによって、短歌という器に、質の高い抒情性を生み出すことが出来るのは、自己の根源としての言葉でなければならない、ということに気付きはじめていた・・・人間が深まるには言葉や観念の側に急いで乗り換えないのがよい(森岡貞香)/p62

歌を詠むということは、何がみえたのか、という結果を伝えることではない。物を見ているときのなまなましい現実感を、読者に感応させることにその本質がある(吉川宏志)/p165

すべての芸術作品の意味は、現象を通じてその中の「真実なるもの」を取り出す事にあるのであり、それが真のリアリズムの精神であると云えよう(葛原妙子)/p179

語順がその夜の作者の思いに相応しいのである。意味伝達にこだわるならば、このようにはなるまい(中野昭子)/p188

自分の感覚に訴えてくる、外界のものなり、虫なり果物なりが、いまそこにあるから歌うゆえに、利用したというものではなく、作者にとって、人生の中で、時間の中で、その物なり歌う対象が、意識の中にふかく潜在している、ということなのである(岩田正)/p215

以上、中野昭子『森岡貞香「白蛾」「未知」「甃」の世界』

平凡なものをうたっても非凡なものをうたっても対象の切り取り方、間合い、語順、言葉のつなぎ方などで異なる一首に成る。作歌の強さであり、面白さである(山中登久子)/p10

歌い方で主題は一首一首が持ちうると思うが、先ずはじめに主題ありき、というのとは異なる・・・言葉と言葉のつづき具合によって、ある種のとくべつな力をその言葉ひとつひとつが得るということが可能になる。それ以前のところでは、体験なるものの言葉化、事実なるものの言葉化、心に置くばくぜんとした言葉以前のもの、その雑然が自らの心の向くままに右往左往しているにすぎない。それらが果たして短歌になり得るかどうかは、勝手な言い方をしてみると、或る一瞬に断絶があって転生するようなところがある(森岡貞香)/p27

作者の心に滓のように溜まって雑然として存在していた負荷を「尻尾のごとき」と言葉化したものと思う(山中登久子)/p73

31音の定型詩という形は、日本の言葉のもつ力がどれ程のものかを見せることになるのだと、つねづね思っている(森岡貞香)/p77

六音、九音、五音、一字空けて五音、八音の三十三音と二音字余りである。かなりの破調と思うが、声を出して読んでみるとそれなりのリズムがあって不自然さがない。これは結句八音の「いちじるしき日に」の据わりの良さによるものかと思う。結句の大切さを考えさせられる(山中登久子)/p111

以上、山中登久子『森岡貞香断章』


 『森岡貞香断章』で、森岡貞香作品以外に、面白いと思った短歌は下記。
人に語ることならねども混葬の火中にひらきゆきしてのひら(竹山広)/p128

建物の内部の壁も鏡にて無数に割れしわれの歩める(三国玲子)/p174

ねんごろの見舞ひなりしがさりぎはに人のいのちを測る目をせり(大西民子)/p207

喘ぎあへぎあの世への坂登りゆく兄を見てゐる声もかけ得ず(宮原望子)/p214

生き残ることは死を待つことと言はざれどみな心得て養老病舎(斎藤史)/p230