清水茂『地下の聖堂』


清水茂『地下の聖堂―詩人片山敏彦』(小沢書店 1988年)


 先日読んだ神谷光信の片山敏彦論でよく引用されていたので、読んでみました。片山敏彦について論評した単著としては、神谷光彦を除けば、この本ぐらいしかないのではないでしょうか。清水茂は、17歳の時に51歳の片山敏彦に手紙を書き、翌年自宅を訪れ、それから片山が62歳で亡くなるまで11年間師弟としての交流を続け、片山の死後も、師と仰いでその著書を読み継いだと言いますから、片山論を書くのにいちばんふさわしい人物だと思います。

 ただ、神谷光信の本を読んだ後では、それだけ身近に居て、片山が戦時中、日本文学報国会幹事だったことを知らなかったのかと不思議に思います。もし知っていてその辺の事情を敢えて書かなかったとすれば、知的誠実さを若干疑ってしまいます。師の理想的な面だけに目が行って、両極に引き裂かれる片山の真の苦悩に思いを馳せることができていないなら、師の本当の姿は描けないことになるでしょう。

 そのことと関連するのかもしれませんが、この本では、「詩心の遡行性」と「夢・詩・象徴」を除いて、文章が旺盛で冗舌な割には、焦点が絞られてない印象があり、詩的な雰囲気は醸し出されていても、結局何を言おうとしているのか分かりづらいところがありました。ひょっとして本当は強く主張することが元々ないのかもしれません。清水茂の前期の作風はだいたいこれと似たような感じをもちます。それともこのような形でしか伝えられないものを伝えようとしてるのかもしれませんが。

 その「詩心の遡行性」と「夢・詩・象徴」の章を中心に、いくつか印象深いテーマを見つけました。一つは、詩人が詩を書くことを通して行なっている働きで、詩を読む側にあらかじめ潜んでいる原型的なイメージを刺戟して、新しい世界を立ち上げるという役割についてです。

①まず、読者の側に、あらかじめ原型的なイメージが潜んでいることが重要で、それは幼いころの体験、「どの樹木の名もまだ知らずにいた」「まだどの花も私の植物図鑑に登録されていなかった」ころの幸福な時代の原体験であること。そしてまた父や母の原型的なイメージがあること。

②そして詩人の言葉に触れたとき、例えば、「夏の輝く日であった。光の氾濫であった」と語りはじめるのを耳にしたその瞬間に、読者の内部の原初の夏の日が開かれ、読者の心の内部に光が氾濫するのである。

③また、経験はしてなくても、詩人の「クラマールのすももの樹の白い花」という言葉が、それ以後、読者の内部に咲きつづけることになることもある。

④これについて、バシュラールが、幼時への回想とは、記憶作用と想像作用の混合であり、追憶していると思ったときすでに夢想の領域に入っていることを指摘していることを取りあげ、魂の記憶に導かれ時間を遡行して、原型的なイメージを見いだし、個人の領域を超えた初源的なところに到っているとしています。

 さらに、その延長線上に、神秘主義的な世界について触れられています。
①私たちは、私というちいさな殻のなかで自分から離れられないでおり、精神とか魂という場合でも、そのちいさな殻の僅かな肉塊の中に潜んでいると思い込むが、ほんの一瞬であれ、海の潮がこの殻をうち砕くとき、私たちが海そのものと一つになる、あるいはかつてそんなことがあったのではないか。

②いったんそれを知ると、もう自分をちいさな殻のなかに閉じ込めたままにしておくことはできない。海の広大な干満のリズム、星空のリズム、宇宙のリズムが、そのまま自分の呼吸のリズムであり、存在のリズムであることを知ってしまったからである。

③そんな体験は、詩の根底にあるものであり、夢と詩とを結び合わせるものではないか。ベガンが言うように、夢によって自分が生きてきた歳月よりももっと以前の過去を知り、昼間の諸関係よりも遥かに多様で親密な世界を知ることができるようになる。夢自体は、詩でも認識でもないが、夢の源泉に養われないようないかなる詩も認識もないのだ。

 片山の本質に触れる指摘も散見されました。
①片山に対して、「昏い翳を語ることよりは光をうたうことのほうがその心の本質に適っているような人びとがいるものだ」(p14)という言葉を送り、「生きる事を本当に楽しむ気分の表現がわが国の文学には実に少なくなったのである。生きることの真の幸福を表現することによって、いのちそのものの貴さを感銘させることは、今後日本の文学が世界文学的になるために必要な要素となるであろう」(p238)という片山の言葉を引用しています。

②片山の好きなイメージとして、舟や帆があるとして、

過ぎ行く夢の帆に/一つの眼なざしがある。/帆をふくらます風を/その眼なざしは見ないが/風は眼なざしをくぐり抜けて/見る力を前へ投げる/p54(『片山敏彦詩集』「帆と星座」)

わが死とは/あの広い 光の海へ帆を上げてゆく/一つの影を見送りながら/その影とともに 波の奥へと消えること/p61(詩集『暁の泉』より「わが生とは」)

 そして前回にも引用した片山が亡くなる年に書いた

舟は神の海を/かたむいて進む。/舟が沈むなら/それは神の海に沈む/まだ沈まないなら/神のシンボルを/はこぶ/p65(『片山敏彦遺稿』)

を引いています。

③細かなエピソードになりますが、ロマン・ロランとの交友のなかで初回に会ったエピソードとして、ロランが過去の哲人、文人の実物手蹟をコレクションしていて見せてくれたこと、片山はロランと大いに語り合ったというふうな感激を書き綴っていますが、ロランの日記には、「会話によって充分に理解し合うことは困難であった」(p127)と会話力の不足を指摘されていました。まだフランスに到着して間もないころだったので、2年間の滞在中にはかなり上達したとは思いますが。