神谷光信の片山敏彦をめぐっての二冊

  
神谷光信『片山敏彦 夢想と戦慄』(マイブックル 2011年)
神谷光信『片山敏彦 詩心と照応』(マイブックル 2011年)


 志村ふくみの『語りかける花』のなかに、片山敏彦の形而上的な短歌が紹介されていたこともあり、神秘主義関連で片山敏彦についての本を読んでみました。13年ほど前に買った神谷光信のオンデマンド本のシリーズ。3冊買って、そのうちの一冊『へりくだりの詩学』についてはすぐに読んで、このブログでも取り上げました(2011年10月11日記事参照)。この二冊は大事に寝かせていました。

 両冊とも片山敏彦に関する評論になっていますが、『片山敏彦 夢想と戦慄』は、片山敏彦個人に焦点を当てたもの、『片山敏彦 詩心と照応』は、片山敏彦をめぐる人々を紹介論評することで、片山敏彦の人物と思想を浮き彫りにしようとした著作です。二冊に共通する特徴としては、一つは、片山敏彦の神秘主義的側面への注視、もう一つは、文学者の戦争とのかかわりを考察しているところで、『夢想と戦慄』の前半のほとんどと、『詩心と照応』の高橋義孝の章に色濃く現われています。


 『夢想と戦慄』は、大枠では伝記的時系列に沿って進めながら、大きなテーマについては、立ち止まっていろんな他の事例なども交えて論じています。伝記的な流れとしては、医師でありキリスト教徒でもあった父親の影響、中学時代の友人で後に画家となり部落解放運動に携わった岡崎精郎との親交と離別、父親の援助によるヨーロッパ留学でロマン・ロランとの交流が始まったこと、戦前は、第一高等学校でドイツ語の教授として教え、戦時中は日本文学報国会の活動も行ったが、戦後は主としてフランス文学の在野の文学者として活動したことなど。

 そのなかで、著者の新しい発見というべきものは、片山敏彦が、戦時中に日本文学報国会外国文学部会常任理事という地位にあり、一時、機関紙「文学報国」の編集にも関与していたということで、この点に関して、著者は、「戦争協力詩を盛んに書いた詩人たちとは対照的に、ロマン・ロランの姿勢に倣い、戦時中も己の志操を曲げなかった志操堅固な文学者として語られてきた。それはおそらく、『事実』であるとともに『神話』でもある」(p55)と厳しく指摘しています。

 しかし、一方的に非難するのではなく、片山は反戦的なヘッセやロランと文通も続けており、文学的な理想と、現実の役職の狭間で、引き裂かれていたと、その立場に同情してもいます。「片山先生はもうまったく芸術と夢だけで生きているような感じでした」という当時第一高等学校の学生だった今道友信の回想や、「文学報国」編集委員となって3ヶ月後には、第一高等学校の教授を辞職し北軽井沢に疎開していることからすると、そうした役職に嫌気がさしていたということではないでしょうか。

 『夢想と戦慄』のもう一つの大きなテーマは、片山敏彦の晩年の神秘主義への傾斜を、詩と絵画の両面から追及しているところ。50代半ばから永眠するまでの十年足らずの歳月に内面への深遠な旅が急速に深まっていったとしています。

 詩の方面では、「たましひの体より青とくれなゐの光照り出で羽のごとしも」、「われはわが中心にある神の影うつろふものも神にかがやく」(いずれも歌集『ときじく』より)といった短歌が、やがて三行書きとなり、五・七・五の縛めが解かれて自由詩形となり、『片山敏彦遺稿』に収められた「舟は神の海を/かたむいて進む。/舟が沈むなら/それは神の海に沈む/まだ沈まないなら/神のシンボルを/はこぶ」といった詩に引き継がれ、最後に詩的箴言とでも呼ぶべき一行詩に行き着いていると、指摘しています。

 絵画では、ただ花が描かれているとは思えないルドンを思わせる象徴主義絵画や、ドイツロマン派画家フリードリッヒの世界に近似した水彩画があると思えば、暗い画面に青や黄の「*」が白い線で激しく螺旋を描きながら動き回っていたり、白く輝く「+」の周囲を青い「◇」が包んでいたりする抽象画があり、これについては著者は霊我(ゼルプスト)を描いたマンダラと断定しています。

 戦後在野の文学者となった片山は、ジャーナリズムとも一定の距離を置きながら、自宅に片山を慕って集まってきた若者を集めて、一種のヘルメティック・サークルを作っていたといいます。その中には、高橋巌、清水茂、中村真一郎、北沢方邦らが居て、神秘主義的傾向を受け継いでいったのです。


 『詩心と照応』では、高橋義孝山室静高田博厚、宇佐見英治、高橋巌、清水茂の6人が取り上げられています。片山敏彦との年齢差は、高橋義孝が15歳下、山室は8歳下、高田は2歳下、宇佐見は20歳下、高橋巌は30歳下、清水は34歳下で、高田、山室はほぼ同世代、宇佐見以下は次世代で、宇佐見は大学の教え子、高橋巌、清水は片山邸に集まったメンバーです。

 戦中に同じドイツ文学者だった高橋義孝の章では、『夢想と戦慄』と同じく、戦時の文学者のあり方について書かれていて、高橋義孝の戦略の巧みさに触れています。それは自著に権力が文句のつけようもない『ナチスの文学』というタイトルをつけることにより、処女評論集の出版を可能にし、客観的な記述に徹することで学問的誠実さを守りながら、結果的に、「戦争遂行重要人物」と認定されることで、徴兵免除のお墨付きを得たというものです。高橋義孝は、ナチスを信じませんでしたが、同じように、ヒューマニズムも、マルクス主義も信じず、いかなる理想主義に対しても懐疑的なニヒリストであり、そこが片山敏彦と決定的に異なる点だとしています。

 高田博厚の章では、片山が2年間のフランス留学を切り上げるのと入れ代わるようにして、高田がフランスにやってきて、二人でロマン・ロランを訪ねる話があり、高田はそのままフランスに30年も滞在することになりますが、この二人が、当時フランスならず全ヨーロッパを席巻していたシュルレアリズム運動に対して、まったく関心がなかったことに注目しています。同時期にフランスに渡った岡本太郎がシュルレアリズムと接触し、バタイユと親交があったことに触れ、そのあたりに片山敏彦が戦後急激に忘れ去られたことと関係があるのではとしています。

 宇佐見英治の章で面白かったのは、宇佐見が片山敏彦を尊敬しつつも齋藤磯雄に兄事していたことを取りあげ、片山敏彦と齋藤磯雄の二人は両極の存在だが、齋藤の精神を遡行したところに存在する日夏耿之介と片山敏彦とは神秘主義への傾斜という点で共通すると指摘し、さらにその精神的水脈にある人物として、有田忠郎、清水茂、富田裕、吉田可南子らを上げていたこと。彼らに共通するのは、サンボリズムの思想を、たんに文芸技巧上の方法や情緒の問題でなく、世界認識の方法として捉えていて、その背後に西欧神秘思想の底流があることを熟知していることだと指摘しています。