G・R・ホッケ『マグナ・グラエキア』


G・R・ホッケ種村季弘訳『マグナ・グラエキア―ギリシア的南部イタリア遍歴』(平凡社 1996年)


 ギッシングの『南イタリア周遊記』を読んでいるとき、そう言えば、大ギリシア(マグナ・グラエキア)について書いた本があったと思い出して、読んでみました。G・R・ホッケについては、『文学におけるマニエリスム』(2018年6月18日記事参照)、『迷宮としての世界』(同年6月28日記事)の二著を読んで、博識、学識に裏打ちされたヨーロッパの知的世界の凄さを感じさせられましたが、この本は、若かりし頃に小説風に書いたもので、ずいぶん印象が異なります。

 種村のあとがきによれば、ホッケは、ベルリン大学を出た後、ボン大学のクルツィウスの下で博士号を取得したが、その後ケルン新聞の記者となり、イタリアへ旅行したことがきっかけとなって、この本の前身となる旅行小説『消え失せた顔』を31歳の時に出版したということです。ここからは私の推測ですが、新聞記事にするために、自分をマンフレートという青年に仮託して、一種の南イタリア見聞記を小説風に書いたのだろうと思います。

 それにしても、さすがにクルツィウス門下生だけあって、学問的な問題意識が明確にあり、ギリシア植民地時代の南イタリアの今日に至るまでの文化史的な考察が、あちらこちらに博識をちりばめながら語られているのが特徴で、逆に言うと、ギッシングの『南イタリア周遊記』の現地の人々の生活を描いた小説的な文章に比べて、小説としてはぎこちなく読みにくいところがあります。

 ホッケの分身らしいマンフレートという青年が、知人を頼って南イタリアを旅した時の印象や知人らとの会話を記したものですが、面白いのは、知人に紹介される現地の知識人がことごとくホッケの分身のような博識異端の人物で、いかにもホッケらしい内容の対話が繰り広げられていることです。とくに真ん中あたりで大きく紙面を割いているC伯爵の語りがもっとも書きたかったことではないでしょうか。

 はっきりと理解できない議論もたくさんありましたが、分かる範囲で、いくつかの論点を書いておきます。
①何がヨーロッパの本質かという視点:ローマは、古代ギリシアの植民市であった南部イタリアから宗教、文学、軍事技術、裁判、スポーツ遊戯などのギリシア文化を受け継いだ。これらの諸都市は中世において十字軍の出発地となるとともに、商業的な取引の一拠点となり、東方の思考、生活様式、芸術が、南部イタリアを経てヨーロッパに押し寄せることとなった。

古代ギリシア以前の世界:古代ギリシアの以前にも、この地には無意識の植物的生命圏とも言うべき太古のデモーニッシュな神話があり、例えば南部イタリアで教団活動を行ったピュタゴラスは、ホメロス以前の神々の象徴的形象をよみがえらせ、神々をその起源に持っていた本来の深みに引き戻そうとしたという。ディオニュソス崇拝は、オリュンポス以前の宗教があったことを示している。また南部イタリアではマドンナ崇拝が根強く残っているが、これは異教とキリスト教の混交である。

③南部イタリアに残っているギリシアの痕跡:カラーブリアの四つの村といくつかの集落、それにオートラントの八つの地方共同体では、今日でも古代ギリシア語が通じると言い、地名がギリシア語のまま残っているところが数多い。ターラント近くにはデメテル神殿の十四本の柱が立ち、クロトーネのコロンナ岬にはヘラ神殿のドリス式列柱、パエストゥムにはポセイドン神殿が残っている。今も、紀元前15世紀のイタリア最古の都市といわれるシクリ人の植民市の発掘が行われている。

南イタリアにある大ギリシア時代の枢要な都市の紹介:当時人口30万人を擁する世界都市で、ポンペイをしのぐ遺跡発掘が行われているシュバリス。かつて良港があり交易により栄え、ピュタゴラスが教団本部を置いたクロトーネ、テラコッタの傑作が数多く発掘され国立博物館や美術館が充実しているターラントギリシア語起源で「美しい都市」を意味し、ギリシア噴水が残っているガリポリ

⑤ギッシングの『南イタリア周遊記』にも出てきた汚い町の描写:近代になってイタリアで組織的なマラリア殲滅戦が行われるまで、イオニア海岸は沼沢地的風土のためにひどい状態で、道路にはまだ黄土色のどぶ水が流れていた。

⑥近代以前の世界と近代世界の良し悪し:衛生状態の悪い地区に水道が引かれると、住民の平均寿命が延び、壁の漆喰がボロボロ剥がれる住宅が今日の技術によりピカピカの団地になる。もっぱら外面的な変化に関しては、技術が人間を絶滅させるという主張は偽善的である。一方、ナポリに次ぐ南部イタリア最大の都市の一つバーリの新しい街区は、今やニューヨークやシカゴを思わせる鉄鋼とセメントの町と化し、アメリカニズムに覆われている。こうした状態を見ると、近代の技術の力に対抗する内的な力が必要である。単なる自然回帰という安直な考えでは克服はできない。技術に対して限界を指摘できるのは技術の現場においてでなければならない。

 ホッケが、南イタリアに関心を持つようになったきっかけは、子どものころに、祖父が読み聞かせた絵本で南部イタリア地中海沿岸の古代ギリシア諸都市の名を知ったことで、これはギッシングが南部イタリアに興味を抱いたきっかけとまったく同じ。この本を読んでいて不思議に思ったのは、そのギッシングの名前や『南イタリア周遊記』のことが、ホッケの本文でも、種村の解説においても一言も触れられてなかったことです。ホッケのこの本の40年ほど前に書かれているにもかかわらず。