河本英夫『哲学の練習問題』

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河本英夫『哲学の練習問題』(講談社学術文庫 2018年)

                                   

 日に日に頭もぼけてきたので、考える訓練でもしようかと手に取りました。昔から、大きな視野でものを言う大言壮語的な理論が好きでしたが、この本には大胆な着想、ドラスティックな思考が溢れていて、面白く読むことができました。知覚や思考のあり方の根底を探る本だと言えます。と分かったようなことを書いてますが、実は、科学的思考に慣れていないせいか、難しくて理解のおよばぬところもたくさんありました。頓珍漢なことを書くかもしれません。

 

 この本に一貫している考え方は、これまで哲学の中心を占めてきた真偽の判定に直結した知覚や思考を廃し、イメージを前面に押し出していることです。その場合のイメージも、現実の感覚の単なる残響ではなく、また現実とは別の世界を仮想するためのものでもなく、現実のなかで経験を新たに組織化するための道具として考えています。

 

 著者の言う「イメージ」が分かりやすくなる例をあげると、狭い通路を通り抜けようとするとき、顔や腹を擦らないように自然と身体の向きを斜め向けたりするのは、事前に自分の身体に関するイメージを持っているからであり、また自転車に乗ることや逆上がりすることが初めてできたとき、単なる知識でなく身体イメージが形成されるので、次に同じことをする際にスムースにできるというわけです。著者はこれを遂行的イメージと呼んでいます。

 

 ですので、問題を解いてみせたり、読者に何か知識を与えたりするのではなく、読者が自ら問うことにより経験として蓄積していくものを重要視し、イメージ療法的な、あるいは臨床哲学的な実践法を提示しています。いくつかの例をあげると次のようなものです。

①自分だけの語を持ち固有の活用法を見つけることを推奨している。例えば、トイレに行くことを「ハコする」と呼び、トイレから出ることを「ハコ出る」、トイレが満杯の場合は「ハコ詰まり」など。また、「光の裏側」や「重力の裏側」という言葉を発してみて、言葉の意味ではなく、指示するものがなにかを感じとるようにする。これは、言葉やイメージを手がかりに経験を動かしているのであり、それを知ろうとしているのではない。

②身体感覚と運動感を微細に感じとるようにする。例えば、握った右手を左手で覆ってみて、その際のゴツゴツした形状の感触や運動感、圧迫感、温かさなど感覚を詳細に書きとめる。さらに呼吸と組み合わせて、利き腕の手を開きながら息を吐く。吐けるだけ吐き終えると、今度は息を吸いながら手を閉じていく。そしてその状態をいつでも脳裏に再現できるようイメージとして蓄える。

③物語を題材にした思考の訓練を提案。浦島太郎の玉手箱、カフカの「掟」、シャミッソーの「影をなくした男」などを展開した例が示されている。「影をなくした男」では、影がなくなってしまう瞬間の場面設定をいろいろ変えてみる。プラットフォームにいて、逆方向に疾走する急行列車が通り抜けた後に、人々の足元から影がなくなってしまう。建物や電線には以前と同じように、くっきりとした黒い影があるのに。あるいは美人に見とれてるうちに、人と影が分離してしまい、影が美人について行ってしまうような場面を思い描いてみる。

④あるいは無限をイメージしてみる。大きさのない点と無限大が同じ一つのものの裏返された二つの見え姿だと考え、点と無限大は裏側ですべて地続きになっているとイメージしてみる。次元を超えた存在でイメージするのは困難だが。

⑤また生物の進化に関して仮想のトレーニングをしてみる。例えばヒトデのように前後がなく、回転運動を行なっているものが、イカのような前後の方向のあるものに変わるためには、どのような変化の段階が必要なのかを考えてみる。まずヒトデの口が飛び出て尻が背後に伸びる段階、ヒトデの5本足が進行方向に沿うような形になる段階、次に5本足の根元が二つに分かれて10本になる段階というように。

  他にもいろいろありましたが、難しくて分からないこともたくさんありました。

 

 身近な例えを持ち出せば、ゴルフでよく言われる「クラブは小鳥を包むように握れ」という、手に力が入り過ぎるのを諫める言葉も、こうしたエクササイズのひとつになるでしょうか。私も、入社直後の営業時代、気が弱いものでしたから、得意先の店先で、自分が注射針になったイメージで先方の身体に突きさして、どくどくと液体を注ぎ込むイメージを頭に描くと、自由にものが言えすらすらと商談が運んだことを思い出します。これもイメージ訓練の一つなんでしょう。

 

 ついでに書けば、私が若い頃から実践している眠れないときの処方箋をご紹介しましょう。

①まず、一晩眠らなくても大したことはないと考える。横たわるだけで寝ることの半分は達成するし、座禅では眠っているときよりも休まっているというではないかと。すると体がホッと楽になる。この楽になっているという感覚をゆったり味わう。

②次に、深い呼吸に入る。これも簡単で、吐いたときに息を30秒ほど止めると、次からは深呼吸できる。

③そして、体の力を抜く。いったん全身の力を抜いて、次に指先、細かく言うと、右手の人差し指の尖端から、指が金(石とか木でもいい)になっていくイメージを描く。それを左右すべての指先に広げる。腕まで上って来て腕全体が石になると、腕の重みが感じられてぽかぽかと温かくなってくる。このぽかぽかとした感覚をゆったりと味わう。次に足に移って、次は頭という風に全身に広げる。最後は、全身の重みを布団に委ねて沈み込む感じになる。

④全身の力が抜けたら、自分のからだが垂直になっているイメージを思い描く。例えば崖に貼りついて下を見降ろしているという感じ。次に逆さになったイメージ。次に横に。最後は魔法の絨毯に背中をくっつけてくるくる回りながら空を飛ぶイメージ。とこの頃にはだいたい眠りに入っている。

  卑近な例になり過ぎたようで、本題から大きくそれたかも分かりません。