犬飼公之『影の古代』


犬飼公之『影の古代』(桜楓社 1991年)


 次は、日本の古代文学のなかで影という言葉がどう使われているかを通して、古代人の感性を考察した本。分身のテーマはそのうちの少しの部分にしか出てきませんが、全体として面白そうなので読んでみました。なじみの薄い世界で新鮮。普段読まないような分野の本を読むと知見が啓かれます。

 著者は、まず陽、月、星などの光を例に挙げ、「かげ」という言葉が光そのものを意味していたことに注意を向けます。そして「かがよふ」「かぎらふ」「かげろふ」といった言葉の語根kagが「屈折する、ちらちら、きらきらと、揺れて光りかがやくもの」を示すことから、「かげ」がたんなる光や闇ではなく、明滅のはたらきを意味していたことを踏まえ、陽や星は明滅する光として、かげと呼ばれていたとします。

 他にも重要なものが脱落してるかも知れませんが、次のような議論があったように思います。
①影と生命と魂の関係:太陽が崇拝されるのは、単に光源としてではなく、昇る太陽の光の刻々の動き、そしてそれに伴う色彩の変化と、闇の解消があるからである。影に対しても、明・暗の交錯、明滅するはたらきに、霊威・呪力をひっくるめた生命力を見ていた。そのような古代的感覚は「かげ」だけでなく、「け(気?)」や「ち(霊?)」などの言葉にも見られる。また日本書紀の「霊」の字に「みかげ」「みたま」の両訓が施されていることからしても、影と魂とは深いかかわりがある。

②影の種々相とその背景:影にはいろいろあって、あさかげ(朝影)と呼ばれるような陰影像、水にうつる倒映像、心に感じ取られる面影、画像としての遺影、庇護してくれるものとしてのみかげ、また、空気のようにとらえどころのない何物かが音もなく近づく「忍び寄る影」といったものもある。面影は目覚めていて見える姿で、夢よりもはるかに現実のものとして捉えられており、朝影というのは恋に痩せ細った自分の姿を表現する言葉として使われているが、それは朝日によってできる影が細く長く見えるからである。

③息と魂と心:浦島物語で玉手箱というのは魂を封じておく手筥のことであり、玉手箱から白雲が飛び去って浦島が白髪の老翁になったという点では、白雲は生命力としてのタマ(魂)の姿であり、遊離して行ったという点から見れば、遊離魂であった。古代ギリシャでも霊魂を表わす「プシュケー」は、「気息、風」といった意味を持っており、古代インドの生命原理である「プラーナ」ももとは「気息、生気」を意味していた。また、くしゃみすると魂が抜け落ちてしまうので、忌むべきことと信じる風俗が多いのも、息と魂と生命が密着していることを示している。「云」は「雲」の原字で雲の象形であり、「魂」の声符で、「自」は「鼻」の原字で鼻の象形、「息」は鼻から息が進入する象形であり、鼻と息と魂と雲のかかわりが推測される。「心」は心臓の象形で、このことからすると、心は身体に具有されるもの、魂は遊離しうるものであろう。

④分身:古代文学においては、「私」が「私の影」を見、反対に、「私の影」が「私」を見ることもあった。分身体験を根源的に支えるのは離魂感覚であり、その原郷は生命感覚にあった。浦島物語でも、「私」が「私」の「芳蘭(かぐは)しき体」を見送るという幕切れに「分身の私」という主題が隠されている。他にも、自分の身体が薪の上で燃やされようとするのを見て、自ら小枝を持って良く焼けるように身体を裏返すという『霊異記』の景戒の夢の体験や、『日本書紀』で、大己貴(おほなむちの)神が、天下平定の後、私以外に天下を治めるものは居ないと豪語したとき現われ名乗り出た自分の魂の話、中国陳玄祐の「離魂記」で、愛する男を追って家出した女性が5年後に家に戻ると、自分が病に臥せっているのを見るが、二人は合体してめでたしとなる話など。

⑤魂や影に対する感覚の史的展開:古代においては、霊魂は体や屍に密着した存在として感覚されていた。『万葉集』の東歌では、魂の遊離は生々しい現実として歌われているが、平安朝になると、魂の遊離は推測として歌われるようになる。影についても、影・面影が現前するものという意識が揺らぎはじめ、面影を「見ゆ」という言葉が消えて行き、「面影におもほゆ」という表現が万葉後期に現われ、やがて「面影におぼゆ」とともに平安朝の文学に頻出するようになる。夢に出てくる人物についても、古代においては、相手の思いの深さゆえに現われるものとしていたが、「私」の思いの深さゆえに夢に現われると自覚されるようになる。さらに、目に見えぬ仏を設定し、念じることを手段とする仏教の影響がそうした傾向を助長したのではないか。

 「あくがれ」の「かれ」は「離れ」であり、古代の人々にとって、「霊魂が満足すべきものに向かって離れて行く、あるいは体の中で飽和状態になって、外に出てしまう」ことだったといいます。憧れという言葉にさらに深みが増したように思いました。