河合隼雄『影の現象学』


河合隼雄『影の現象学』(講談社学術文庫 2021年)


 この本も前々回読んだオットー・ランクと同じく、心理学者が書いた本。実際の患者の例も出てきますが、神話や伝説、物語など幅広い素材を用いながら、影について自由に論じています。章立てはありますが、とくに明快な区分はなく、強いて言えば、第一章は導入部で、神話や伝説に見られる影、第二章は、影の病理現象、第三章は影と闇、夜、地下世界との関係、第四章は、影のトリックスター的な性格、そして第五章はまとめとして、影との付き合い方について、といったところでしょうか。

 著者は、実際に光によって作られる影から出発して、人の内面にある抑圧された部分を影と呼ぶユングの考え方を紹介したり、自分自身の姿を見る二重身の現象を影と呼んだり、自分の中にあるもう一人の自分、いわゆる二重人格のことを指したり、悪という意味で影を使ったり、地獄などの地下世界のことを言ったりと、影の意味を多様に使い分けていて、その点で少々分かりにくいところもありますが、あまりこだわらずに気楽に読めばとても読みやすく面白い本です。

 いくつかばらばらっと印象に残った議論を紹介しておきます。
①未開民族では、影を霊魂とか生命的部分とみなしており、影を突いて当人を病気にする呪術師がいたり、鰐に水面に映った影を引き込まれると自分も引き込まれると信じていたりする。ルーマニアには、最近まで、建物を建てる時に影が壁を丈夫にすると言って、影を売る商人まで居たとのこと。また、子どもたちの「影踏み」の遊びは、古代の宗教的儀式から派生してきたものとも考えられる。

②影は、当人の中で抑圧され生きられることなく無意識界に押し込められている部分であり、それを認めることを避けようとして外部の人に投影するということが起きる。例えば、あの人はお金に汚いから虫が好かないという人が、実は自分のそういった傾向を他人に投影しているだけであったりする。冷戦時代に、西側の人たちは東側の国家を悪と決めつけていたが、それは西側の人たち自身の邪悪な影の顔に過ぎなかったのである。

③江戸時代に、自分の姿を見るのは影の病いと言われ、魂が抜け出てしまうので死に至るとされていたが、中国では、魂が抜け出てもハッピーエンドになる話もある。影に関する異常は他にもあり、自分の姿が鏡に映らなくなるというマイナスの自己像幻視もあれば、鏡に自分の姿が二人映ったり、自分が自分の外に出て自分の姿を眺めるという現象もあれば、自分の映像だったのに他人と見誤ったりすることもある。

④二重人格の症例では、二つの人格が均等ではなく、片方は他方の人格の存在を知っており記憶を共有しているのに、もう片方は他方の存在を知らなかったりする。治療を進めるうちに、二つの人格は互いに相知るようになるが、今度は、第三の人格が登場して、それまでの二つの人格はその存在を知らないということが起こったという。

⑤人間の心の不思議を感じさせる文章が3例:
1)この絶望的な時代のもっとも著しい特徴は、人々が悪事をするための良い理由を見つけることだというヴァン・デル・ポストの言葉。
2)おのれの心に地獄を見出し得ぬ人は、自ら善人であることを確信し、悪人たちを罰するための地獄をこの世につくることになる。
3)秘密は個人の意識の底のほうに存在して、個の存在を強固にするための支えとなっている。そして秘密の共有によって結ばれた集団は堅固になる。しかし、その集団は成員の個性の伸展を妨げることがある。

 第一章で、イメージの多価性について言及する部分がありました。ひとつの言葉では置き換えられず、矛盾や、無意識の領域も含んだ複合したものがイメージであり、このイメージの世界を探求するのには、ロールシャッハ・テストのような投影法を用いるのが有効ということでした。イメージをいろんな感覚領域で考えると、絵のイメージの場合にはまだ言語の要素が残っているような気がします。触覚、味覚、嗅覚のイメージは、言葉からはある程度独立したイメージで、音楽のイメージがいちばん純粋ではないでしょうか。

 もうひとつ気になった文章は、現実の人物は魔法の幻灯によって映された影に過ぎないというユングの夢で、続けて、それではその幻灯を操作するものは誰かと、問うています。ユングは自己、真の私であると自答していますが、何かもっと大きなものの存在を感じてしまいます。

 また、細かい情報ですが、新しい知見を得ることができました。シャミッソーの『ペーター・シュレミール』が大流行したので、影が出ないように工夫されたランプが、シュレミールランプと名づけて売り出されたということ、ラテン語には黒を意味する語がāterとnigerとの二種類あって、前者は光のない単なる黒、後者は輝かしい黒光りのしている黒を意味しており、白にもこれに相応する二種類の言葉があること。また、ブッシュ孝子という28歳で亡くなった女性の詩が引用されていましたが、これが象徴主義的でなかなか良かったこと(『白い木馬』サンリオ出版)。