ジョン・グリビン『タイム・ワープ』

f:id:ikoma-san-jin:20220325152343j:plain:w150
ジョン・グリビン佐藤文隆/田中三彦訳『タイム・ワープ―平行宇宙への旅』(講談社 1983年)


 なぜか書棚にあったので、タイムトラベルについて物理学の視点から書かれ本を読んでみました。ふだん科学書を読んでない私には、知らないことが多くありました。著者は、きちんとした物理学者で、科学ジャーナリストでもあるとのことですが、フリッチョフ・カプラやライアル・ワトソンの超自然学の影響を受けているのか、いささかトンデモ本のにおいがしました。書き方も、歴史的エピソードに偏りがちなことと、超常体験の例がたくさん出てくるのが怪しい。

 佐藤文隆による訳者あとがきには、「心の情景と外部世界での物理的現象とがいかなる関係にあるのかという問題は、物理学者にとっては、いわばタブー・・・正直言って苦手な問題」とか、「現状では説得力に欠ける」、「部分部分は既知の法則で十分」、「速断はできない」、「一つの刺激であるには違いない」といったふうな説明がありましたが、心からこの本を勧めているとは思えず、不本意に引き受けてしまったという後悔がにじみ出ているのが感じられました。「田中三彦氏が初め訳したものに佐藤が手を加えた」とも書いていますが、田中三彦氏本人か編集部から、権威付けのために頼まれたに違いありません。

 次のような構成になっています。
ストーンヘンジの場所は、夏至の日の出、冬至の日の入り、月の出入りの北端、南端を示せるように入念に選ばれていること、グレゴリー暦導入時に暦を11日カットしたことで命が11日奪われると民衆が騒ぐ混乱があったこと、地球上の各地の時間を決める際のどこに基準の子午線を置くかや日付変更線の設定の苦労など、時間に関係した歴史上のできごとを科学コラム風に紹介。

次に、すでにこれまで読んで来たような、タイムトラベルSFに登場する時間のパラドックスや平行宇宙、閉じたループなど種々相を概観し、最後に、「存在していたものも、これから存在するものも、すべてがあらかじめ存在しており、時が流れるという感覚は、われわれの意識が幻影を見ているに過ぎない」というフレッド・ホイル卿の時間の考え方を披露。

さて、文系脳の私はここからはよく分からなくなりましたが、現代物理学の領域の話題に移り、相対性理論が宇宙の解明に大きく寄与したことを述べながら、タイムトラベルが可能なケースを、ブラックホール重力場を突き抜ける未来へしか行けない第一種のタイムトラベル、回転するブラックホールに光速以上のスピードで脱出できるぎりぎりのところを通れば他の時空の宇宙に旅できるという第二種のタイムトラベル、量子物理学の考えを利用した平行宇宙への旅が可能な第三種のタイムトラベルの三つに分けて説明。

最後に、催眠術による夢遊状態や実際の夢の中での過去や未来を体験する例をいくつか挙げ、そこにタイム・ワープ的な現象が起こっているとし、ダンの夢見の理論やユングの集団的無意識、中国の易経などを借りながら、心のタイムトラベルの可能性についての期待を語っています。

 いくつか印象に残った指摘を記しておきます(言葉は少し変えてあります)。
①宇宙的な時間のリズムが地上の生命に影響を及ぼしている例として、海から採取した牡蠣を研究所の水槽で飼育した場合の不思議な現象が紹介されている。故郷の海が満潮となる時刻に口を開くという時差ボケのような状態から、次第に別のリズムを刻むようになるが、それは研究所のある位置がもし海だったら起こるはずの潮の干満のリズムだという。これは太陽と月の引力を感応している証拠(p54)。

②未来を語る場合に、自由意志の問題が壁となる。自由意志が存在する限り未来は不確定だからである。しかし、これも著者によれば、平行宇宙の存在があれば解決することで、自由意志はどの宇宙を横切るかの選択と言う(p168)。

③次の二つはユングの著書からの引用。古代の人間本来の自然観においては、空間も時間も極めて不確かなものだったが、それが測定というものの導入によって、徐々に固定された概念になり(p153)、また、因果律がわれわれの生活に強力な影響を与えているが、因果律が重要視されるようになったのは、たかだか200年のこと。近代以降、統計学的手法や自然科学の比類なき成功が、形而上学的な自然観を駆逐してしまった(p185)。