青山拓央『タイムトラベルの哲学』

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山拓央『タイムトラベルの哲学』(講談社 2002年)


 次は、タイムトラベルについての哲学的考察。新刊で出た当時に一度読んでいます。ちょうどその頃、野矢茂樹の『哲学の謎』や中島義道『「時間」を哲学する』など、時間に触れた入門書的な本を続けて読んでいて、その流れで読んだものと思われます。そのときの感想は、「時間についてのあらゆる観点を、自分の頭で独自に考え抜いている。少し奇抜なところもあるが、それがまた新鮮な魅力となっている」とありました。当時は、大森荘蔵の影響を受けた若手が自分たちの言葉で哲学を語り始めた時期でした。

 この本は、タイムトラベルの時間のあり方について、SF小説に見られる言説からも、物理学からも離れて、独自の哲学的考察を繰り広げていますが、何か結論めいたものがあるわけではありません。タイムトラベルに付随する諸問題について、著者の考えの道筋を披露した書という位置づけだと思います。私のおぼろげに理解できた範囲で、大雑把にまとめてみると、次のようなものです。

第Ⅰ部では、時間を、私の意識だけが捉えた「私の時間」と、物理的な時間軸上に現われる「前後の時間」の二つから考え、私の時間は前後の時間に支えられているとするが、前後の時間にも、物理的な時間軸とは別に、睡眠のあいだは時間が欠落しているなど主観的なものがあると指摘、次いで、客観的な時間軸の根拠は何かと問い、時間の流れという問題やかけがえのない今という存在について論を進めている。

第Ⅱ部がタイムトラベルの本題で、タイムトラベルのパラドックスを考える道具として、過去の歴史と未来の可能性のそれぞれについて時間軸の単線モデルと分岐モデルを組み合わせて、過去も未来も単線(A)、過去は単線で未来は分岐(B)、過去が分岐で未来は単線(×)、過去も未来も分岐(C)の4つのパターンを考え、パラドックスが生じるのは、Bのパターンに限るとし、またこの組み合わせがもっとも常識に近いと指摘。未来へ行って自分に出会うというSF小説の理論的破綻についても言及している。

第Ⅲ部は、アキレスと亀パラドックスでは、二者の運動だけが存在し、時間が尺度となっていないことを指摘したあと、この二者の運動が成立するのは同一性だとして、「視点」の同一性と「対象」の同一性を考え、対象に名前を与えることが同一性の保証になっていることを明らかにしている。さらに終章において、その議論の延長として、同一性と時制の両方を持つ言語に注意を喚起している。


 日ごろあまり自分で物を考えることがないせいで、何度読んでも、理解できないところもありましたが、理解できて強く響く言葉に出会ったり、わくわくするような謎を見つけることで、何とか読み進めることができました。例えば、

色も形もスイカそっくりのメロンが、あるとき発見され・・・一人の科学者のもとに辿り着いた。するとその科学者は、スイカメロンを過去にタイムトラベルさせてしまう。実の所、過去に発見されたスイカメロンとは、この科学者が未来から送ったものであった・・・ではこのメロンは、そもそも「どこから」やってきたのか/p28

われわれは時間の流れのなかで空間を移動することはできても、空間の流れのなかで時間を移動することはできない/p42

なぜわれわれは、「今」について他者と語れるのか?/p48

 これは、

公共的な記憶の一致はいかにして成立するのか?/p80

 と関連しているような気がします。

タイムマシンのスイッチを入れ・・・1970年の時点に移行する・・・自分が過去に戻ったのではなく、世界が1970年の状態に変化したのだ/p54

想起された感覚は、過去の感覚そのものではない。それは過去の想起によって引き起こされた現在の感覚に過ぎない/p74

あなたが一週間前にタイムトラベルするとしよう。このとき一度は現実となったはずの、この一週間はどうなってしまうのだろう? そしてあなたの出発地点にいた人々は? あなた一人のタイムトラベルによってすべてが無に帰すという考え方は、極めて極端なものと言わざるを得ない/p109

持続した時間から無限の瞬間を取り出すことは可能だが、無限の瞬間の寄せ集めが持続した時間になるわけではない/p167

記憶にある出来事と、過去の出来事そのものとを結びつけているのは何だろうか?/p233


 私も調子に乗って、次のような文と問いかけをひとつずつ作ってみました。

死は体験できない、自分の死であっても。

アフリカの一匹の蝶がある花に止まった場合と、その隣の花に止まった場合の二つの世界の分岐と、プーチンウクライナへの攻撃を命じた場合と、命じなかった場合の二つの世界の分岐を比較したとき、分岐の隔たり具合に、どんな違いがあるのだろうか? 未来を改変する強度というものがあるのだろうか。もし強度があるとすればそれを測る尺度はあるのだろうか。