JOSÉPHIN PÉLADAN『LES AMANTS DE PISE』(ジョゼファン・ペラダン『ピサの恋人たち』)


JOSÉPHIN PÉLADAN『LES AMANTS DE PISE』(UNION GÉNÉRALE D’ÉDITIONS 1984年)


 5年ほど前に、大阪古書会館の古本市で150円で買ったもの。前の持主が誤植を正すなど丁寧に読んだ形跡がありました。ペラダンの名前は、学生の頃から、澁澤龍彦の『悪魔のいる文学史』などで眼にして、彼の行なった薔薇十字団の活動とか、連作小説のタイトル『ラテン的頽廃』とかに惹かれて、いつかは読んでみたいと思っていました。その後、短篇は、『フランス幻想文学選③』(白水社)や『フランス世紀末叢書 パルジファルの復活祭』(国書刊行会)で読むことができましたが、いずれも期待外れ。今回は、長篇なのでどうかなと挑戦してみましたが、やはり期待外れに終わりました。薔薇十字とかこけおどしの割には、普通の大衆小説的雰囲気。読んだことはありませんが、多分ハーレクインロマンスの筆致に近いものがあるように思います。

 少し悪く言い過ぎました。恋人たちの男のほうは、ユイスマンス『さかしま』のデ・ゼッサント風の零落貴族を彷彿とさせ、主人公の女性がその貴族の末裔に共鳴し寄り添っており、『さかしま』のような極端な美学は開陳されていませんが、『さかしま』の恋人二人版といった感じがあります。また作品のあちこちに、美術館級の家具骨董に囲まれた崩壊寸前の館の描写があり、アンリ・ド・レニエの懐古趣味と通じるものがあるように思いました。年代順で言えば、つまり影響関係で言うなら、ユイスマンス(『さかしま』1884年)→ペラダン(『ピサの恋人たち』1908年)→レニエ(一例として『対面』1919年)となるでしょうか。

 巻頭に、ユベール・ジュリアンによる30頁にわたる詳細な序文がありました。簡単に紹介しますと。
①ペラダン作品は大量で、こけおどしの割には単調で退屈で、早々に忘れ去られたが、一部のファンから熱烈に支持されていること、

②王党派でカトリック狂で大量の駄文を書き散らした父と、早熟の天才でホメオパシーの先駆者だった兄の多大な影響を受け、父からは、文章を丸暗記することで語学を習得するジャコトット教育法で育てられたこと、また父親のサロンで多くの文人とまじわったこと、

③薔薇十字団の一員となり、当時の風潮だった神学と科学の統一という視点を持ち続けたこと、

④イタリア旅行を契機に、ラテン的文明、古代イタリアやダ・ヴィンチに目覚めたこと、

⑤バルベー・ドールヴィイのサロンに入り、「ラテン的頽廃」シリーズ第1巻の『至高の悪徳』でデビューしたこと、

ジャン・ロランレオン・ブロワ、バルベーらとともに変わった衣裳癖が世間の失笑を買っていたこと、

ダ・ヴィンチとワグナーに心酔して、二人に関する評論を書き、ダ・ヴィンチのものをまとめた書物に対して、アカデミー・フランセーズの賞を貰ったこと。


 本作のあらすじも簡単に紹介しておきます(ネタバレ注意)。
銀行の会計課長の夫に先立たれたパリジェンヌのシモーヌは、2年間喪に服した後、イタリアへ気晴らしに旅に出る。もともとロマンティックで夢見がちな娘だったが、叔母に進められて、堅実で浮気しそうもない夫と結婚した。夫は仕事を終えるとまっすぐ家に帰って来るような人で、単調な日々だったが愛されていると実感して幸せだった。

途中のモンテ・カルロで、知り合いの女性のところに立ち寄るが、恋を求めてると勘違いされ、妻ある男や新聞記者などいろんな男性を紹介され、危険を感じたので早々にイタリアに向け出発する。シモーヌは結婚を前提とした愛しか受け付けられないのだ。ジェノヴァでも、カフェで、見知らぬ男から話しかけられ言い寄られるが、その男は不倫のデートの直前だった。ジェノヴァの町の雰囲気も俗で気に入らず、直ちにピサに向けて発つ。

ピサの町は一目で気に入った。とくに広場の4つの建物、大聖堂、鐘楼、洗礼所、聖廟に魅せられた。聖廟のフレスコ画にいたく感動したシモーヌは、翌日も訪れ、暇そうな司祭が居たのでガイドを頼む。その司祭と話し合ううち、彼女の知性が目覚めてきて、司祭も彼女の知性に驚く。

話は変わって、ピサの総督の末裔であるゲラルデスカ家のウゴリーノ伯爵は、まだ若く、召使と古びた屋敷に住んでいた。美術館級の家具骨董に囲まれていたが、屋敷は壁が剥がれ落ち、天井は崩れかけ、屋根は雨漏りのする有様。貧乏で補修する金もない。骨董商が虎視眈々と財産をねらい、また豪農の娘が伯爵夫人の地位を得ようとやってくるが、伯爵は二人を出入り禁止にする。

シモーヌのガイドをした司祭は伯爵の友人でもあり、占星術にも長けていた。伯爵に、そのうち女性が現われ恋に落ちると予言する。4日前に聖廟で出会ったフランス女性の話をして、その女性はもうピサには居ないはずだと言ったが、実はシモーヌは滞在を延長していて、出発の日、駅に向かおうと乗った馬車が横転し、彼女は道に投げ出され失神してしまう。それが伯爵の屋敷の前だった。

御者や召使がシモーヌを屋敷に運び込み、伯爵のベッドに寝かせた。伯爵はすぐに介護婦を呼ぶ。医者の診断では、足首の捻挫で、数日は絶対安静ということだった。伯爵はシモーヌを見て心を動かされるが、いったん姿を隠し、召使と食事代をどうするかなど相談した。意識を取り戻したシモーヌは、豪華な部屋に驚き、召使にお礼として100フランを包んで渡す。

伯爵はまともな服が狩の服しかなかったので、狩に出かけていたということにしてシモーヌの前に姿を現わす。彼女は伯爵の謙虚な態度に好感を持つ。司祭が伯爵の館を訪れて、シモーヌが居ることに驚き、予言が的中したと喜ぶ。別の日、伯爵は司祭と今後のことを相談する。骨董屋と豪農の娘に知られると、何か行動を起こしてくる可能性があるので注意が必要だと。一方、司祭は、伯爵が狂気に陥るか自殺するかの兆を感じ取っていた。

危惧していたとおり、真夜中に黒いヴェールを纏った侵入者があり、シモーヌのベッドに近づいてきたので、伯爵が気づいて首を絞めた。召使が確認すると例の豪農の娘で、息を吹き返したので家まで送って行く。骨董屋もシモーヌに直接財宝の買い取りを働きかけるが拒絶される。そうしているうちに歩けるようになったシモーヌは館内を彷徨って、ルネサンスの衣裳を見つけた。伯爵にも古い衣裳を身につけてもらい、夜大広間で会うことを約束する。

シモーヌは素肌に金の衣装を纏い、伯爵と大広間の蝋燭の下で会った。二人は今にも抱きしめ合いそうになりながらも、お互い節制している。伯爵がシモーヌの腕に額をつけて泣き崩れるのを見て、彼女は興醒めし部屋に戻る。朝方、シモーヌが結婚した場合の家計のやりくりを計算していると、伯爵からの手紙が扉の下に差し込まれた。財産をシモーヌに遺贈するという内容だった。

シモーヌは司祭の家に行き、将来二人の生活が可能か家計の数字を見せて相談した。が司祭はあまり未来を語りたがらなかった。シモーヌは女主人として、館の補修に乗り出す。彼女は貧乏でもいいと言うのに、伯爵は金のことばかり考えていた。祖先がアラゴンから戦利品として持ち帰った財宝がどこかに隠されているという言い伝えが頭から離れず、礼拝堂の壁の絵の一部が昔の服に縫い込まれていたことからそこに隠されていると嗅ぎ当てた。

そしてついに礼拝堂の壁に鶴嘴を打ち込む。聖廟の絵と同じ作者の由緒ある絵だ。いくら掘り進めても財宝は出てこない。貴重な絵を破壊したことに絶望していると、上から石のかけらが落ちてきた。次に大きな塊が降ってきたので眼をつぶり、開けて見ると宝石がまわりに散乱していた。その瞬間伯爵の正気は失われてしまう。シモーヌは伯爵を精神病院に入れ、自らはパリへ戻る。そして毎年1回、伯爵の館に帰ってきて、思い出に耽るという。


 なにせ元が380ページほどもあるので、少し長くなってしまいました。この小説の眼目は、伯爵の館の内部の様子、さまざまな遺物骨董類、聖廟のフレスコ画の描写などにあると思いますが、とても私の力量では紹介しきれません。また、古いタイプの小説によくあるように、物語の展開よりも、合間合間の持論の披瀝が目的のようで、冗長なところがあります。シモーヌの恋愛と結婚の関係をめぐる思案、冒頭の列車の中で同室になったドイツ人家族をきっかけにしたお国柄の比較、シモーヌと司祭とのあいだに交わされる一種の神学問答、伯爵と司祭のあいだの女性論、シモーヌと伯爵のあいだで延々と議論される恋愛論、貧乏と名誉に関するシモーヌの思案など。

 お国柄の比較は、フランスとドイツやイギリスとの比較が中心。他国を馬鹿にしているだけでなく自国も茶化しているようなところは好ましい態度。例えば、「勉強熱心なチュートン人が居るかと思えば、ガラスの眼をしているのか無感動なイギリス人が足早に過ぎ去り、フランス人は声高に喋っているのだ」(p18)、「ベルリンのカップルは重々しく、イギリスは背が高く堅苦しく、フランスは若くてよく笑った」(p44)といったような文章。

 また貧乏や不幸を怖れる面白い言葉がありました。「人はペストより不幸が伝染するのを恐れるのです」(p153)とか、「溺れる人が助けに来た人にしがみついて結局水の中に引き込むことがあるから、みんな不幸な人に手を差し伸べようとはしない」(p241)とか。