コンスタンス・クラッセンほか『アローマ―匂いの文化史』

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コンスタンス・クラッセン、デイヴィッド・ハウズ、アンソニー・シノット時田正博訳『アローマ―匂いの文化史』(筑摩書房 1997年)


 香りについてこれまで読んできたなかでは、好事家的な興味だけでなく、幅広い視野を持ち、人間生活との関係を歴史的社会的に深く探究していました。これまでになかった特徴は、ギリシア、ローマの古代世界の香りについて、当時の詩文を引用しながら解説しているところ、最近の企業の取り組みにも目配りしているところ、香りのポストモダン的なあり方に注目しているところなど、さすがに三人の学者が協力して書いた成果が表れています。訳もこなれていてすばらしい。もしいま香りについて何か1冊をと言われたら、躊躇なくこの本を推薦することでしょう。

 読後に考えさせられたのは、次のような点です。  
①香りは、現在ほとんどが人工香料に置き換えられているらしい。花の香りの香水を嗅いでも、花はそこになく、ジュースを飲んでも一滴の果汁も(あるいは言い訳程度に数%入れたりしているが)含まれていない。昔は、香りはそれを放つものの本質的な価値を示し、香りを嗅ぐことは、そこにあるものに接し本源へと遡れる道だったと著者は言う。「愛するもののなかに自分の鼻を埋めるようにして匂いをかいでこそ、そのひとと結び合える」(p7)という言葉もあったが、匂いは人間の実存にかかわるもののはずだ。

②古代は香りの王国で、古代人は香りに神聖なものを感じ、つねに香りとともに生きていたという。近代社会になって嗅覚が貶められ、視覚が中心の世界が築かれたということだが、これは人間の感性がより観念的理念的になったということだろうか。現代社会は一種のヴァーチャルリアリティと化しつつあり、視覚と聴覚が中心になって、現実感はどんどん希薄になって行っているが、最後の砦として残るのは匂いの世界で、それは動物としての人間が懐かしさを感じる故郷ではないだろうか。

③言葉では特徴を表現し難い香水の広告をするにあたって、説明を避け、一枚の写真の官能的なイメージのみを提示し、幻想を呼び起こすことで解決したことが紹介されていた。これは、消費者のなかにある種の体験を生じさせるという仕掛けで、平板に説明するよりもかえって強い印象を残す手法だと思う。「広告文は香りが暗示するものを創り出し、香水に象徴的な意味を与え」たと書かれていたが、これは象徴主義の手法ではないか。

 その他、上記に関連して、面白い指摘、情報がいくつかありました。
①古代では、花輪や花冠は神々にふさわしい捧げものであり、人間が戴くときには神性のエッセンスを授けてくれるものだった。香りを神々に捧げるということは、快い香りを捧げるというだけではなく、神々との合一という暗黙の願いをこめたものであった。古代人は心や魂、生命力そのものを「エッセンス」としてとらえ、息と生命および魂が結びつけられていた。よい匂いの息をするということは、快い生命を吐き出し、自己の魂の純粋さを証明することであった。栄冠の月桂樹の葉は武勲の香りを放つものであった。

②ローマの饗宴では花々が敷き詰められ、香りを含ませた水を客の上に振り撒いたりした。招かれた客も香る花飾りを身につけて行った。ワインにも花のエッセンスや蜂蜜、没薬を入れ、料理も香料と食べ物の区別がなかったという。客は寝いすにゆったりと横になり、ご馳走をいただくのがつねだったが、多くの饗宴が長びきすぎ、べろべろの酔っぱらい同士が殴り合うなど騒然たる混乱のうちに終ったりしたという。また芳香は公共の娯楽の大切な要素で、劇場には香りをつけた水の噴水があり、よい見世物を催すことは、かなりの数と量の香料を使うということでもあった。

③ところが4世紀になりキリスト教が興隆するとともに香料はあまり使われなくなり、香りの技術や品々の多くが姿を消した。しかし香りは古代の生活と思考に深く根をおろしていたので、完全にぬぐい去ることはできず、6世紀になると焚香は祈りの象徴となり、キリスト教儀礼の一部として復活した。時代が進んで、プロテスタント宗教改革者や清教徒たちは、ふたたび香水の使用を認めず、スパイスは下劣な欲望に火をつけると弾劾し、真面目なキリスト教徒は美食に耽らず、簡素で質実な食事をすべきだと主張した。

④近代になると、匂いは感情に強く働きかける力をもつため、抽象的で非個人的な近代社会にとって脅威であると感じられるようになった。例えば、現代の都市生活で強い力を持つのは、汗くさい労働者でも、香水をぷんぷんさせた貴族でもなく、匂いのしないすっきりしたビジネスマンなのだ。また悪臭について、ヘリックやスウィフトの詩では悪臭を揶揄するようなものがあるが、19世紀になると、どのようなエチケットによるのか、悪臭が語られなくなる。

⑤匂いは古代から、等級付けされ、社会の階層形成に関与してきた。貧民は口の中に小銭を入れる習慣だったので息がカネ臭かったし、貧しい生活環境からくる悪臭もあったが、そのせいだけでなく社会階層が低かったから臭いのだった。18世紀になり、上・中流階級が身体を洗い、住まいや居住区を清潔にするようになると、労働者階級の体臭や居住区の悪臭がますます目立つようになった。他者の匂いは現実の匂いであるより、嗅覚の領域に移し変えられた他者への嫌悪感であることが多い。階級差別の「ほんとうの秘密」は「下層階級は臭うというおそるべき表現」(ジョージ・オーウェル)に集約されるのだ。

⑥19世紀初めまでのヨーロッパの都市はロンドンのフリート河の汚臭やパリのゴミの悪臭の例が示すように不潔でひどく臭かった。悪臭と邪悪を結びつける伝統的な考えもあったはずなのに、なぜ劣悪な環境に甘んじていたのかと言えば、悪臭は不快だが暮らしの中では避けられないものと考えたことと、自分の体臭に気づかないように、いつも嗅いでいる匂いはあまり意識されなくなってしまうことによる。しかしさすがに、18世紀の終わりから19世紀の初めにかけて、徐々に衛生改革が行われ、悪臭は公衆には受け入れ難いものであり、根絶でき、またそうすべきものであるという考えに変わったのである。

⑦匂いの汚染・悪臭公害は、騒音公害に比べて規定や数量的な計測が難しい。臭いと感じるのも個人差があり、例えば、家畜の糞便の臭いは農村地帯では成長を意味し自然に感じられるが、都市では腐敗としか受け取られず嫌われる。

 他にもまだまだありましたが切りがないのでこの辺で。キスのよい香りの連想を歌ったエピグラムの詩人マルティアリスに興味が湧きました。