:ANDRÉ HARDELLET『LE SEUIL DU JARDIN』(アンドレ・アルドレ『庭園の入口』)


                                   
ANDRÉ HARDELLET『LE SEUIL DU JARDIN』(GALLIMARD 1996年)

                                   
 マルセル・シュネデールの『フランス幻想文学史』で知った作家。今回初めて読みました。話の展開の明快さや文章の素直さからはいかにも現代の小説という印象です。ハードボイルド的な要素、ポルノ、初期SF、マッドドクターもの、芸術家小説的要素が織り交ざった不思議な味わいがありました。ロランやレニエの濃厚な文章からするとあっさりしすぎなような気もしますし、荒唐無稽なところもありますが、好きな作家のひとりとなりました。

 『フランス幻想文学史』には、ブルトンがこの作品を絶賛したという記述があり、読んでみてその理由が分かりました。過去の美しい思い出を自由に操り、無意識に潜む欲望を実現できる夢見装置がテーマとなっていたからです。これはまさしくシュルレアリスムがやろうとしていたことではないでしょうか。この小説自体は、シュルレアリスム的手法を使った小説とは真逆のとても平明な物語ですが。


 話はおおよそ次のとおり。主人公のMassonは貧しい独身の画家。母代わりのような老寡婦の家に他の下宿人と一緒に住んでいる。フィギュア群像で戦争風景を製作しているアル中の親父や、女教師風の東欧娘、大家と親友の老婦人、トランプ狂いの工場長など。そこへ定年した哲学教師Swaineがやってくる。この男は窓や戸の鍵を厳重に作り直し終日部屋にこもってモーター音を響かせるという謎めいた男で、高名な精神分析学者が訪れているのを見かけることもあった。老教師はMassonがたえずつきまとわれる夢を題材に描いた「庭園の入口」という作品を一目見るなり、「ご自分で何をなさったかお分かりですか。あなたはついに到達しましたね」と謎めいた一言を呟く。

 Massonはアル中の親父からあのモーターで何をしてるか気にならんのかと言われ、昔窮地を救った暗黒街の親分に頼んで合鍵を手に入れ、留守の日にSwaineの部屋に忍び込んだところ、「円盤や円筒、板に、同心円、螺旋など幾何学模様が描かれ、四方に鏡が張られた」幻燈のような不思議な機械を発見する。

 しばらくして、Massonは二人のならず者からSwaineを旅行に連れだしたら褒美をやると持ちかけられる。その間にSwaineの部屋に押し入ろうという計画だ。Massonが断ると、命はないと脅迫されたので、暗黒街の親分に助けを求めようと会いに行く。その親分に連れられた秘密クラブで下宿にいる東欧娘が高級娼婦として現れたのに驚く。彼女はお金は受け取らないと言う。親分へ肝心の話はできずじまいに帰る。

 再度ならず者から呼び出され、客を装った暗黒街の親分ともう一人の助っ人とともにカフェで待つ。ならず者たちと決裂した後、彼らを追跡すると、ぐったりしたSwaineを廃屋に連れ込もうとしているところだった。乱闘の末なんとかSwaineを救出することに成功、Swaineはお礼に秘密を話そうとMassonを部屋に招待する。そこでMassonは、あの幻燈のような機械がサン・ドニの夢見術の研究や麻薬体験などをもとに作られ、意識下の欲望を夢として見させる装置であることを知り、その実験台となった。それは幼い頃の懐かしい情景に没入し、木立の中で水浴びをする娘たちの姿を垣間見る極上の体験だった。

 ならず者にまた襲われるかもしれないとSwaineは従姉妹の家に転居した。Massonは夢見装置で見た風景をもとに傑作「イダリーで水浴する娘たち」を描く。その絵がようやく完成した時、従姉妹からSwaineが病死したと告げられ、夢見装置が競売にかけられることを知った。競売会場へ駆けつけるが手ごわい相手が現れ競り負けてしまう。諦めきれずに落札者のもとへ訪ねていくと、国家保全のための秘密警察のような仕事をしていて、ならず者を仕向けたのも彼だった。夢見装置は麻薬と同様国家にとって危険だから破壊したと、屑鉄になった機械を見せられる。

 その後、Massonはアメリカの画廊と契約しアメリカに渡った。すると不思議なように絵が売れ、評価はうなぎのぼりとなる。売れた金で夢見装置を再現しようとするがうまく行かないまま、Massonの髪にも白いものがまじるようになった。あの老寡婦の下宿も、親友の老婦人が亡くなり、アル中の親父も肝硬変で廃人同様になり、東欧娘は下宿を出てイタリア人の実業家と住むなど昔日の面影はない。東欧娘がアメリカの雑誌でMassonのサインの入った絵を見つけるところで、この物語は終わる。それは、誰かが壁に手をかけ隙間から庭園の入口を覗いている場面を描いた不思議な絵だった。


 郷愁にみちた謎めいた空間を描こうとしたMasson。その空間は人類共通の夢のなかの黄金時代の風景でもあります。物語の途中で、彼の描いた庭園の入口の情景や、幼い頃の思い出が何度も挿しはさまれ、黄金時代の探求は果てしなく続いていきますが、結局、メーテルリンクの『青い鳥』のように、かつて住んでいた下宿も彼の探していた場所のひとつではなかったのかと、最後の場面で、はたと思い当たりました。

 たしかに幼ない頃の思い出の世界はノスタルジーにあふれた優しく心地よい場所であり、汚く辛い現実から隔てられた別世界で、人類共通の黄金時代の夢とも重なるものだと思います。それは遠くにある手の届かないもの、隠れているものへの憧れでもあり、東欧娘と出会う秘密クラブという竜宮城のような存在とも共通するものでしょう。秘密警察の人間から言わせれば、それは現実からの退行現象、自己放棄であり、社会の活力を阻むものですが、この作品のなかでMassonに「私が選んだ道だ」と言わせているように、著者は、国家や社会の存続よりも個人の自由な選好を優先させているようです。