:JEAN-PAUL RAEMDONCK『HAN』(ジャン・ポール・レムドンク『ハン』)

JEAN-PAUL RAEMDONCK『HAN』(MARABOUT 1972年)
                                   
 発音がよく分からないので、「レムドンク」とか「ハン」とか勝手につけています。この本も学生時代注文して買ったまま大事に置いておいた本(だと思う)。「ジャン・レイ賞」という幻想文学賞を1972年に受賞し、審査員の満場一致の高い評価で、直ちに出版されたもののようです。

 ひと言でいえばHanという奇怪な人物にとり憑かれた男が語る放浪譚。Ⅲ部に分かれていますが、各部でがらりと状況が変わります。

 Ⅰ部は船乗り時代の話、ほとんどが海の上での物語。そこで超人的な働きをするHanと知り合う。Hanは海に落ちて死んだかと思われたが、蘇えって私をいじめていた上司を殺す。

 Ⅱ部は船乗りをやめてからの町での話。隣人の老人に連れられて劇場に仕事を探しに行く。そこで同僚の死を次々に予言し追放された人物のことが噂されるが、それがHanだと分かる。私もHanの同類と見られたので隠れ家に逃げるが、壁に塗り込められたHanを発見。彼らに殺されたらしい。そこもまた襲撃され、貨物列車に飛び乗ってオランダの海辺の町に逃げ、そこで金を盗んでまた地中海へ逃げる。

 Ⅲ部は、美術館で出会った女性と一緒になり、離島の田舎町で妻の実家の手伝いをしながら幸せな結婚生活に入る。しかしまたそこにも蘇ったHanが現われ、村中が呪いをかけられ・・・といった内容です。


 残酷なかたちで何度も死んでは執拗に蘇ってくるHanの、幽霊や幻影といった弱々しいイメージを撥ねつけるような強烈なオーラが物語を牽引しています。そしてなぜかHanは主人公の人生にまとわりつき、主人公の思っていることを実現させたり、主人公の見初めた女性と激しい別れのシーンを主人公の眼前で見せびらかしたりします。最後は離島の一軒家にまで現れますが、主人公との対決の果てに自ら井戸の中に身を投げ、村の呪いが解かれます。

 何よりも面白いのは、細部の想像力が横溢していて、とてもいきいきしてリアルであることです。とくにⅡ部のオペラ劇場での12人の男たちとのやり取りや、隠れ家で襲撃を受けるシーン、オランダの海辺で堤防を延々と歩いて分身とすれ違って57歩目でお互いに振り返るシーンなど。Ⅰ部の船の装具とⅡ部の劇場の装具が重なって見えてくるあたりも不思議な魅力です。

 「ちょん切られた首が階段を一段ずつ飛沫を飛び散らせながら落ちてきて、目を飛び出させ舌をだらりとさせ食道の切れ端をつけたまま足元に転がってくる(p129)」とか「二つの手と二本の足が塗り込められた壁面から飛び出てもがいていたのだ(p121)」というようなバロック的(歌舞伎的というべきか)な残酷さもあります。

 難点は、Ⅲ部の展開の仕方と終り方。Hanが途中で出て来なくなってどうなったのかと思わせられるし、酒場のコップ洗いのアルバイトの話が延々と続いたかと思うと、次に展覧会場の話に移り、またすぐに離島でのトラックで山を登る話に変わるなど場面の転換が激しく、断片的な印象を受けます。手持ちのありったけの材料を並べたという感じがしてしまいました。物語の終らせ方も、観念的で分かりにくいところがあります。

 前回読んだロティに比べて文学的香気といったものは薄く、また文章も少し難しく思えました。船の上の専門用語が出てきて場景が想像しづらいことや、ところどころ抽象的なコメントが入ることが理由だと思われます。

 Ⅱ部の途中、Hanに関する手記を入れた引き出しが何者かによって開けられているらしく、鍵を掛けたかどうかで主人公が迷うという場面で感じたことですが、記憶のあいまいさが幻想と混じって行くのは、幻想が記憶と密接に関係していることを示していると思います。