:山田稔の本二冊

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山田稔『マビヨン通りの店』(編集工房ノア 2010年)
山田稔『北園町九十三番地―天野忠さんのこと』(編集工房ノア 2000年)

 山田稔の本は、学生の頃は、若気の至りで激越な調子のものを崇拝していたせいで物足りなく感じ、ほとんど読まずにいました。10年ぐらい前に『コーマルタン界隈』を読んで、等身大で語られるその語り口に魅せられてから、ぼちぼち読むようになりました。

 なかでもフランス滞在を扱った作品には、土地へのオマージュが色濃く表れ、堀江敏幸に先行する雰囲気があり、居ながらにしてフランスの街角に居るようで、気に入っています。また関西の文人や学者たちとの交友が綴られている作品には、取り上げられている人が身近な名前の人たちばかりなので、舞台裏を覗くような楽しみがあります。

 いずれもエッセイと小説のあいだを行くような境地で、私小説の伝統を受け継いだ作品だと思います。昔の私小説では主人公があまりにも奇矯な生き方をしているという違いはありますが。並みのエッセイから抜きん出ているところは、底流に人間に対する好奇心と愛情が横溢しているところで、作品に小説的な彩りを加えています。また自らの動揺や不安など心のあり方を素直に表現するところに一種の抒情も感じられます。

 また老境を扱った作品が光っていて、人生のたそがれていく様子を、過去のその人の追憶とオーバーラップさせながら語る雰囲気が、とてもいい感じです。そのなかでも、『残光のなかで』という作品選で読んだ「リサ伯母さん」という作品は、他の山田作品と違って本格的な小説のかたちを取っていますが、耄碌小説とも呼ぶべき新しい無気味な境地を切り開いています。


 今回は『マビヨン通りの店』をはじめに読みました。この本には、海外もの(と言ってもほとんど日本の話)、若き日の思い出、老いをテーマにしたものの三分野の作品が収められています。なかでは、若い日に松川事件の現地調査へ行くことになったいきさつを語る淡々とした調子の最後に意表を突くどんでん返しがある「松川へ」、迷惑な一ファンとのいきさつを語りながらこれも最後に意外な展開となっていく「前田純敬、声のお便り」「後始末」の連作、そして老いの淋しさ、無惨さを厳しく見つめた「一徹の人」「転々多田道太郎」が印象的でした。

 『北園町九十三番地―天野忠さんのこと』は、天野忠という20歳ほど年上の詩人との若き日の出会いに始まり、天野さんの亡くなるまでの交流を綴ったものです。編集者とともにお宅を訪れたときの天野さんの話ぶりを再現したり、天野さんの詩を紹介したりしながら、ここでも最後に重く描かれているのは老いて行く詩人の姿です。

 編集者と三人でお酒を飲みながら、文学や昔の映画について縦横無尽に語り合う至福のひとときが、天野さんの加齢とともに徐々に崩壊していき、会うたびにその老化、故障の度合いが深まって行く凋落のトーンが何とも淋しく恐ろしく思えました。