:庄野潤三のエッセイと小説

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庄野潤三『文学交友録』(新潮社 1995年)
庄野潤三夕べの雲』(講談社文芸文庫 1988年)


 『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』から引き続き、庄野潤三を読んでみました。『夕べの雲』は、岡崎武志山本善行のどちらかが絶賛していたのと、『文学交友録』を選んだのは、文学回想録はしばしば他の作家も含め日常の生態が描かれていて興味深いものだからです。

 作家の日常を知ることがその作家の作品とどういう関係があるかといえば、作品を読むときの姿勢に反映すると言えばいいでしょうか。極端な例ですが、私の経験では、知人の書いた小説と、まったく知らない人の書いた小説とでは、読み方が違ってきます。作品との距離が縮まるというか、読む時の集中力が増すというか、理解が深まるような気がします。

 この2冊に戻ると、当たり前の話ですが、同じ作家でもエッセイの文章と小説の文章はまるで違っていて、今回は小説の方が断然よいと思いました。『文学交友録』は『陽気なクラウン』よりはるかに文章が整っていますが、それでも『夕べの雲』の文章の味に比べると、粗雑な印象があります。


 『文学交友録』は、著者の文学への目覚めから、やがて文壇に登場し、いろんな作家との交友が広がるまでを描いていますが、文壇に出るまでの部分が面白く、後の交友録は若干記録的な感じがします。というのは登場人物が多くなり過ぎているのと、また付き合い方が、別に本人も相手も文学者でなくてもよいような一般的な付き合い方になっているからでしょう。最後の方では、ブルジョワ家庭同士の交流といった趣きで、嫌味すら漂っています。

 大阪外語での二人の先生への敬愛の念、はじめての文学の師、伊東静雄との交流、そして大学時代の島尾敏雄との出会い、佐藤春夫からの心のこもった指導、真鍋呉夫の名前もあり、若き日の三島由紀夫吉行淳之介も登場します。

 島尾敏雄庄野潤三の初めての紀行文「満州紀行」を読んだ時の感想が、あまりにも的確にその後の庄野潤三の作品の特徴を見抜いているのに驚きました(p83)。また「詩は外にあるものを描こうとするものであってはいけない。言葉そのものが不思議なニュアンスを持ったもの、思想であり情緒でなければならない」という伊東静雄のアドヴァイス(p169)や、庄野潤三が書けずに呻吟していた時の佐藤春夫のアドヴァイス、「書きたいことを先ず一、として書いてみるんだね。次に二、としてもう一つ書く。とにかく書いてみるんだね。・・・順序を入れ替えてもよし。そうやって、胸のなかに溜まっているものを断片のままでいいから、全部書いてしまうんだね」(p145)というのが印象的。


 『夕べの雲』は、先に書いたように、文章が短く分かりやすくかつ味わいがありました。改行を多用していること、間の取り方が絶妙であること、これは詩的だと言えるでしょう。詩的というとたいていは、情景、題材について言われますが、この場合は形式的に詩的だということです。

 その行間の間のせいで、文章にどことなくユーモアが漂っています。また段落ごとに、落語の落ちに似ているような終わり方をするのは、新聞連載で毎回区切りをつける必要があったからに違いありませんが、それがとても効果的です。全体は、そういう小話が連らなって一篇をなしているという感じ。なかでも、「萩」「終りと始まり」「コヨーテの歌」の三篇が出色です。

 一例を挙げると「金木犀」の終わり方。3人の子どもがいて、姉が夜道を帰ってくるのを兄弟に迎えにやらしたら、姉だけがひとり帰って来たので、二人はどうしたという父親の質問の後の文章。
「うん、あとから来る。ジャンケンして、かわりばんこにおんぶしながら、坂、上って来る」
「呑気なボディ・ガードだ」
と大浦がいった。(p111)


 堀切直人佐藤春夫の小説をビーダーマイヤーと結びつけて論じていたことがありましたが、庄野潤三こそはまさしくビーダーマイヤーの文学だと言えるでしょう。反浪漫派と言うべきでしょうか、波瀾万丈や激情から遠いところに身を置いて、ささやかな幸せを綴っています。私事を書いたまさしく私小説ですが、近松秋江葛西善蔵などの異常な出来事を描く私小説とは正反対のところにあります。

 戦争との関係を考えると、庄野潤三は戦前の昭和黄金期に幸福な中流階級で中・高生を過ごしたために、穏やかな性格が根本に流れているのだと思います。同じ関西育ちでも、少し後に生れただけで、中・高を戦中戦後の悲惨な境遇のうちに過ごすことになった開高健野坂昭如のような作家とはやはりどこか違います。

 『文学交友録』でも、戦争が間近に迫っているのに、学生生活からは穏やかさ、上品さが漂っていました。逆に、我々の学生時代は、戦後も20年ぐらい経っていたのに、もっともやもやしたルサンチマンに彩られていたように思います。やくざ映画とかマカロニ・ウェスタンの激しい世界に憧れ、ラムとかの随筆などは鼻から馬鹿にして読もうとはしませんでした。今から思うと戦争の血なまぐさい余韻が残っていたのかもしれません。


 いくつか、庄野潤三の創作の秘密が分かる文章がありました。

「何でもないようなことのなかによろこびの種を見つけて、それを書いてゆくのが私の仕事だ」という気持になった/p22

庄野君は、紅茶を飲みながらシュウクリームを食べるような、そんな小説を書きたいんだそうです。(林冨士馬が佐藤春夫に伝えた言葉)・・・それは「のびやかな、読む人を楽しくさせるような小説を書きたい」というくらいの意味ではなかったかと思われる(庄野潤三の回顧)。/p129

詩を書く態度が確立されたら、あとはいくらでも書ける。私はこのごろ、何か一つの事象なり風景が自分の心を捉えたとすると、なぜそれが自分の心を捉えたのだろう? なぜ自分はそれを面白く思うのだろうということを考えつめる。考えつめることによって到達する世界を書いてゆく。それによって、書かれたものに心理の屈折が見られ、作品を本当に誠実な、深いものにすることが出来るのだと思う。(伊東静雄の言葉)/p166

話の中身、筋というのは無論、大切ではあるが、話を進めるその段取り、つなぎかた、間というものがもっと重要になって来るのだろう。/p254

以上『文学交友録』より

そういう切なさが作品の底を音立てて流れているので読み終わったあとの読者の胸に(生きていることは、やっぱり懐かしいことだな!)という感動を与える。―そのような小説を、僕は書きたい。(庄野潤三「わが文学の課題」)/p308

夕べの雲』より