JEAN-LOUIS VAUDOYER『L’AMOUR MASQUÉ』(ジャン=ルイ・ヴォードワイエ『仮面の恋』)


JEAN-LOUIS VAUDOYER『L’AMOUR MASQUÉ』(NELSON 出版年不詳)


 出版年不詳ですが、初版は1908年に刊行されています。廣瀬哲士『新フランス文学』では、前回読んだジルベール・ド・ヴォアザンとともにレニエの弟子筋として紹介されていましたが、こちらの方が、内容スタイルともにレニエの真の継承者という感じがします。男女の恋愛の機微を描いているところ、古典の引用が多いこと、演劇の場面と現実とが絡まって進行するところ、室内の古い家具の18世紀趣味、田舎への愛着、さらにはヴェルサイユがひとつの重要な舞台となっているところ、などです。悪く言えば、レニエのエピゴーネン。詩的な緻密さ、香気に欠けるところがあり、表紙の絵に見られるように、若干大衆小説的(ハーレクインロマンス風)に感じられます。

 恋愛小説としては、少し変わっていますが、よくできていると思います。精神的な恋(夢想)と肉体的な恋(現実)が、男女双方の側にあって、それぞれの側で入れ違いが生じ、お互い交錯する不思議な二人の関係を描いているところに、妙味があります。今回は、あらすじを兼ねて、簡単な枠組みを紹介しておきます。

モデルと肉体関係を繰り返しながら、女性を心から愛したことのない画家が、女優の演技を見て以来、その女優に恋する。その女優に偽名で何度も手紙を書き、花束を贈り、舞台以外にも、夜のレストラン、田舎のイヴェントで姿を盗み見る。女優からも返事が来てやり取りが続く。画家は手紙で、ヴェルサイユへ一緒に行った夢想を綴ったりするが、最後はたまらなくなって、面会を申し込む。女優から承諾の返事が来たが、結局その時間に行かなかった。この、画家から女優に対する一方的な夢想的恋がひとつの枠組み。

画家はロンドンで成功して、女優のことはすっかり忘れて、3年後にパリに戻ってくる。すると友人から劇の衣裳担当を打診される。主役は例の女優だった。最初の読み合わせで、画家はふたたび恋に落ちる。女優も何か感じるところがあった。が、画家は偽名で手紙を書いたことは伏せたままだった。衣裳の打合せと試着で、唇を合わせるところまで行き、初日公演の夜に会う約束をして、ついに結ばれる。女優は画家の家で同居することになる。この時点では、相互の肉体的関係がもうひとつの枠組み。

ヴェルサイユを二人で訪れた時、女優が、前の恋人と来たことがあると、画家の偽名を告げる。画家は突然の告白に驚くが、その偽名は私だと名乗らず、その後どうなるかしばらく様子を見て楽しもうと考えた。女優は手紙の内容に自分の想像力で細部を増強して、前の恋人への思いを募らせる。画家が面白がって次々質問し、女優の想像はますます膨らんでいく。ついに画家は、想像上の前の恋人に対し嫉妬し憎むようになった。これは、女優が肉体的現実と精神的夢想の二つの恋をし、画家は、肉体的満足と精神的嫉妬とに引き裂かれるという枠組みである。

女優がアメリカツアーに出発することになり、画家は個展があるのでパリに残ることにする。画家の嫉妬はますます狂暴になり、出発の前の晩、画家は女優を肉体的に苛めつける。女優が出発した後、画家はしばらく虚脱状態になるが、その後個展の成功にも気をよくし、女優に手紙を書く。過去に取り交わした手紙に添えて、自分は偽名の主で、今後は、精神的にも愛して欲しいと。だが、万事よしと満悦する画家の手元に女優から来た返事は、なぜこのタイミングでそんなことを告げるのか、最初に言うか永遠に黙っているかのどちらかだった、あなたは自分勝手で私の夢想を踏みにじった、と非難する内容だった。女優は、夢想の恋とともに現実の恋も断念し、画家は、女優の心を得ようとして、心も肉体も失ってしまうという枠組みで終わる。


 この物語のもっとも劇的な場面は、第二部Ⅺ章の終結部で、女優が、前の恋人の名前を告げるところ、しばらく忘却の彼方に葬られていたかつての画家の偽名が突如浮上する場面です。画家も、ヴェルサイユの夢想のことはすっかり忘れていたのです。読者も同じ。この一点で、それまで曲がりなりにも順調に進んでいた画家の恋は、歯車が狂ったように、奈落へと落ちていきます。

 一つ考えすぎかもしれませんが、もし救いがあるとすれば、最後に、画家は二通の手紙を受け取っていて、その一通が女優からの手紙で、あと一通については誰からの手紙か触れられていませんでした。もしかすると、その一通も女優からの手紙で、先の手紙を書いた後、思い直して慌てて出したもので、先の手紙の内容を否定し、恋の継続を願うものだったのかも知れません。

 ヴォードワイエは、この作品のなかで、夢想の重要性を謳おうとしてるように思います。虚偽ではあれ、女優の心のなかの画家の偽名/分身に対しての恋は真剣で、画家本人といえどもそれを侵害し、愚弄する権利はないということです。ボードレールの「l’imagination était la reine du vrai想像は真実の女王だった」という言葉が出てきましたが(p240)、この言葉がキーワードのような気がします。

 作品中に登場する絵画、文学、演劇の作家や作品は数多く、少し拾っただけでも、絵画では、アングル、ロレンツォ・ロット、ジョルジョーネ、ペルシアのミニチュア画、コレッジョ、ギルランダイヨ、ブロンツィーノ、プッサン、マンテーニャ、詩では、ミュッセ、シャトーブリアンボードレール、スウィンバーン、演劇では、ラシーヌ『アンドロマック』、ヴォルテール『ザイール』、ミュッセ『盃と唇』、音楽ではワーグナーシューマンショパンがありました。

 また、ジャポニスムがまだ健在らしく、日本の山百合(p44)、日本の蛙の彫り物(p177)、日本の青銅器の花瓶(p193)が作品に登場していました。