井村君江『日夏耿之介の世界』


井村君江日夏耿之介の世界』(国書刊行会 2015年)


 前回読んだ井村君江『私の万華鏡』のなかで、「長谷川潔氏や富士川英郎氏、斎藤磯雄氏、関川左木夫氏や岸野知雄氏等は、拙著『日夏耿之介の世界』に書いた」とあったので、読んでみました。他にも、城左門、石川道雄、平井功、西川満らが「第三章 日夏耿之介の周囲の人たち」で紹介されています。

 本の構成としては、書き下ろしの「序章 日夏先生との思い出」、日夏耿之介の詩作品を中心にした本格的評論を集めた「第一章 日夏耿之介に関する評論」、周辺のエピソードを綴った「第二章 日夏耿之介に関する随筆」、そして交遊のあった文人について紹介した「第三章 日夏耿之介の周囲の人たち」の4部に分かれています。これに加えて、日夏の初版本の書影や、文学仲間との写真が豊富にあり、日夏耿之介のファンにとっては貴重な書になっています。

 いろんな雑誌に寄稿したのを集めた部分があり、かなり重複が激しいですが、これは仕方のないことでしょう。また第一章冒頭の「日夏耿之介の詩の世界」と「第一詩集『轉身の頌』について」は以前読んだはずですが、まるで覚えていませんでした。

 日夏耿之介については、高校生の頃(中学生だったかもしれない)、どういういきさつからか新潮文庫の『日夏耿之介詩集』を手にして、その独特な詩風に心酔し、真似をして難漢字を連ねる詩を書いたりもしました。その本への書き込みを見ると、『咒文』の「塵」「蠻賓歌」、『黒衣聖母』の「道士月夜の夜」「悲哀」、『拾遺篇』の「たそがれの寝室」「落ちゆく人々」「癡人」に高い評価をつけていました。

 その後、日夏の詩は、あまり真剣には読んでおりませんでしたが、今回の井村君江の評論を読んで、懐かしく思うと同時に、日夏の詩作品の変遷がよく理解できたように思います。井村の言うように、これまで誰も日夏の詩作品をまともに取り上げた評論家や詩人が居なかったのが不思議です。日夏は23歳から本格的に詩を発表し始め、40歳過ぎからは詩をほとんど書かなくなり、後の詩に関する活動は、自らの訳詩をまとめたり、英詩や日本近代詩に関する評論を書いたり、詩人全集を監修したりなどに限定されています。

 井村は、日夏の詩作品が、海外詩との関係を抜きに語れないとし、ロマン主義神秘主義象徴主義の3点から展望を試みていますが、私がおぼろげながら理解できたものとしては、次のようなものです。

 『轉身の頌』から『黒衣聖母』、そして『咒文』にかけての変化に関する叙述としては、
①『轉身の頌』では、感覚や官能を通して精神の美へ達しようとしており、その官能的ロマンティシズムには、有明とか明星派の詩人たちの情調に通じるものがある。また『轉身の頌』のなかにも、いくつかの時期があり、父の死を契機にして、現世的官能の世界から汎神論的神秘主義の世界へと移行している。

②『黒衣聖母』あたりから、詩人や霊感を重んじることより、言葉、表現技巧を重んずる詩論へと変わってくる。『黒衣聖母』にあっては、「求道の老道士が中世風寺院内陣に安置された黒衣の聖母に祈る姿」という設定で全篇を統一するような構成になっている。

③『轉身の頌』が外界に向かって万象との融合と法悦を求めていたとするなら、『黒衣聖母』は外界を遮断して内奥に向かい道士的枯座のうちに心の自由を得ようとしており、さらに『咒文』になると、詩人は精神内界へと沈潜していく。

④それと呼応するかのように、耿之介の詩作品の光景のなかには、年を経るにつれて人影が薄くなってくる。『轉身の頌』の初期には、愛人や恋人の息吹が感じられ肉感もあったが、『黒衣聖母』になると、現われるのは青面美童であり黒衣聖母となり、『咒文』において中心となるのは、死である。

 詩の技法上の特徴としては次のような指摘をしています。
①『轉身の頌』時代に、官能美と精神美との渾和を願うところから、詩語の錬金を求め象徴詩の技法に近づいていった。それは、漢字の持つ視覚的な要素と大和言葉の響きの聴覚的なものとを一つの詩語から同時にひき出し、言葉の重層的効果を得ようとするもので、この手法は後のゴシック・ロマン詩体へ向かうことになる。

②ゴシック・ロマン詩体は、『黒衣聖母』時代に芽生え、錬金抒情詩風として確立したのは『咒文』においてである。日常的な言語では、複雑な思想や多様な韻律を鳴りひびかせるには不十分という認識から、自ら詩語を創造していったが、一方それに専念しすぎるあまり、日常語とはかけ離れた古語や雅語の発掘に努めることになり、世間一般からますます遠く孤立したものになるという宿命を担っていた。

③ゴシック・ロマン詩体は、詩の技法だけを指すものではなく、自らの稟性に基づく独自の詩風を名づけたもので、その背景には、日夏の浪曼主義や神秘主義への傾倒、錬金術や占星・接神、それにオカルティスムと巫道への興味、吸血鬼や妖魅美へ探求などがあり、そうした内部世界から生まれ出たものである。

 そのほか、「第三章 日夏耿之介の周囲の人たち」を中心に新しく知り得たこととしては、日夏の早稲田大学高等予科時代、文学の師として親しく接したのが吉江喬松だったこと、鴎外が支那の伝奇物語を「ロマンティック」という西洋の言葉に結びつけたこと、また鴎外に『魚玄機』という支那伝奇風の作品があること、堀口大學の父堀口九萬一がグールモン「秋詞」やサマン「風景」を漢詩訳していること、早稲田大学同僚の山口剛と親しかったこと、飯田市の詩碑除幕式の際、日夏耿之介への花束贈呈をしたのが村松嘉津(本では可津となっている)だったこと、火野葦平氏が早稲田大学での日夏耿之介の教え子だったらしいこと、城左門の「左門」はアルベール・サマンの名前からとったこと、など。

 最後に、本書に引用されていた俳句で好ましく思ったのは次の句。
蘭の香は薄雪の月の匂ひかな(松岡青羅)
秋風や狗賓の山に骨を埋む(日夏耿之介
公達(きんだち)に狐化けたり宵の春(蕪村)
落ちざまに虻を伏せたる椿かな(蕪村)