井村君江『私の万華鏡』


井村君江『私の万華鏡―文人たちとの一期一会』(紅書房 2015年)


 私の好みの文人や画家が並んでいる目次を見て、8年ほど前にネット古書で買っていたのものです。井村君江ケルト神話についての本や、『講座比較文学 日本文学における近代』収録の「日夏耿之介の詩の世界」を読んだことがありましたが、日夏耿之介の弟子として、これほどその周辺の文人と出会っているとは思いませんでした。

 こうした文人周辺の思い出話というのは、文人の人柄がうかがえる細部のエピソードが面白い。薬と称してジョニ黒を入れたデキャンタを持ち歩いていたという日夏耿之介、ピンポンに興じる矢野峰人、講義の中で詩や短歌などを独特の節回しで暗唱したという島田謹二らの思い出は貴重。

 いくつか私の知らなかったことがありました。
芥川龍之介が、イエイツのアイルランド文芸復興運動に影響されて、日本文学の昔の作品、『今昔物語』や『宇治拾遺物語』を読み直し、それが彼の『羅生門』や『地獄変』の成立に影響を及ぼしたこと(p19)。

川上澄生の「初夏の風」という作品(詩と版画)を見て、棟方志功が版画の道に向かうことになったこと(p34)、川上澄生が、自分には故郷がなく、あるとすれば空間的ではなく、「明治」や「文明開化」など時間軸で見ていたこと(p37)。

「一粒の砂の中に世界を見る」という言葉は、ウィリアム・ブレイクの詩の一節だった。その続きは、「一輪の野の花の中に理(ことわり)を見ること。/無限を片手の中に掴め、/永遠を一時間の中に生きよ」(p44)。

河出書房新社の『日夏耿之介全集』の編集長が藤田三男氏であったこと(p64)→個人的に存じ上げていたのに露知らず、驚き。

西條八十ソルボンヌ大学に留学中、ヴァレリーらと親交があったこと。また西條が「童謡」ではなく「母謡」というべきだと主張していて、その真意は、子どもが歌うのではなく母が子へ呼びかける歌で、そしてその優しい母の呼びかけには、宇宙の秘奥に誘おうという境地があるということ(p75)。

藤田嗣治が蘆原英了の叔父であったこと(p87)。

日夏耿之介が仲の良かった堀口大學と訣別したのは、日夏に可愛がってもらっていた平井功が、帰朝してきた堀口が日夏に高評価されてるのに嫉妬して、堀口のあることないことを告げ口して日夏を怒らせたことが原因のようだ(p114)。

コクトーは日本の歌舞伎座で観た六代目菊五郎の「鏡獅子」の獅子が頭を振って踊り狂うところからイメージを得て、『美女と野獣』の映画を作った(p124)。

『田園の憂鬱』(別名「病める薔薇」)の舞台が、神奈川県都郡中里村字(あざ)鉄(くろがね)(現在の横浜市青葉区鉄町)であったこと(p128)→これも昔遠からぬところに住んでいたことがあり、すでに近代的な住宅地になっていたので驚き。

 浅学のため、これらのことはすでに常識かもしれないので、お恥ずかしい限りです。